第27話・切り札
「……エル……。いまなんか、すげー言葉が聞こえなかったか?」
「俺も、聞こうと思ってた」
こそこそと顔を見合わせ、一人と一匹はぶるぶると首を横に振った。
いや――まさか。
「そこにいるなら早くはいってこい。いつまで立ち聞きしているつもりだ?」
突然カーネリアからの声が飛び、一人と一匹はびくりと一緒に飛びあがってそそくさと中にはいる。紫の瞳から憮然とした視線が飛ぶが、すぐに目を逸らした。
「こんなところまでついてきたからには、覚悟はできているんだろうな」
「お、おれさまは、もちろん!」
「俺、は……多分」
「多分、か。お前らしい」
ふっと笑って肯定すると、シオンでもフィロメラですらない女を見据える。
さきほどまで苦しみ、のたうち回っていたフィロメラは、魂ごと取り込まれたようだ。シオンの桃色の瞳が、血のような毒々しい赤に染まっている。ジークがびくっと飛び跳ねた。
「あれを倒す。お前たち、どこから立ち聞きしていた?」
「シオンがシオンじゃなくてさらに中の人もハメられたとかって」
「ああ、大体分かった。まあ、そういうことだ。できればシオンは助けたいが、無理な場合の覚悟もしておけ」
「それって、こ――」
「そうだ。私もな、人死には得意じゃない。だから、本当に最後の手段だ」
シオンでもフィロメラでもない。ディザスターは黒いオーラを漂わせながら、ふわりと浮かび上がった。ゆっくりと、こちらへ迫ってくる。
「あれをこの遺跡から出したら終わりだ。エル、剣を」
兵器の時と同じく、彼女が刃に触れると魔法陣が吸収されていく。刀身からは白いオーラが立ち上り、光の刃が上乗せされてリーチが伸びたように見えた。
「光魔法を付加した。光が触れても、人体は斬れん。上手くやれば、それほど傷つけずに済むだろう」
「上手くやれなかった場合は」
「そりゃあ斬れるだろ。さっさと構えろ。来るぞ!」
「おれさまは!?」
「切り札だ」
「ラジャー! さっすがおれさま!」
カーネリアに乗せられたジークは、スキップしながら壁沿いに逃げる。しかし、その目と鼻の先に漆黒のかたまりが飛んできて爆ぜた。飛び散った黒が当たった床は、隕石のような黒色に染まっている。別の場所に逃げようと辺りを見渡せば、浮かびあがったシオンの身体から立ちのぼる黒いオーラが、ところ構わず爆撃していた。
「わきゃ! カーネリア! おれさま黒くなるー!」
叫びながらも必死に黒をかいくぐり、ジークはカーネリアのもとへと戻った。カーネリアはジークに
「棺、遠い……」
「大丈夫だ。恐らく、棺は攻撃されない。あそこが一番安全だ」
あれは、大事なもの。
一次的に押さえ込まれているとはいえ、フィロメラが、意地でも守るだろう。
カーネリアは、こん、と杖を鳴らした。床に光の魔法陣が展開する。かざした手のひらの前にも同じものが出現し、無数の光線が、降り注ぐ黒の爆弾を消し去ってゆく。
「ジーク、走れ! エル!」
ジークが光線の下を走り抜け、エルが黒の爆弾を斬り裂きながらディザスターに向かう。
ぱんっ、と光線が弾かれ、かき消える。同時に、エルは大きく跳躍した。雄たけびをあげて上から斬り下ろす。光が綺麗な軌跡をえがく。
しかし、光はディザスターに届く前に漆黒の魔法陣によって遮られた。エルの身体が空中で一度止まり、弾き飛ばされる。彼は空中で体勢を立て直し、しっかりと着地した。
こん、と杖をつく音が、ディザスターの後ろから聞こえる。
魔法陣が展開したのは、ディザスターの真上だった。四重に重なって輝く魔法陣は、下に行くほど大きく展開している。幾何学模様を重ね合い、万華鏡のようにきらめく魔法陣から重力が生まれた。
「
一番上の魔法陣から鉄球のようなかたまりが落ちただけでどん、と床が放射状に凹む。魔法陣を潜るたび、鉄球は大きくなり、床の凹みも大きくなった。最後の魔法陣を通過し、ディザスターは真上からモロにそのかたまりを食らう。
機械の兵器に使ったものと同じとは思えない威力の差。シオンの身体が空中から床へと縫い留められる。そのまま、圧し潰そうとカーネリアがちからを込める。
が。
ぱんッ、と空気が爆発したような音が響き。
重力の拘束を、ディザスターはちから任せに跳ね飛ばした。
「魔法で、わたしは倒せなイ。この身体を壊すことハできてモな」
二人の人物の声を重ねて震わせたような、気持ちの悪い声が響く。
「そうか。だがお前も、こんな狭い空間では本来のちからが出せないだろう。世界に放たれてこそ、災厄はちからを発揮する」
ここにいる限り、いわば、お前はまだ災厄の卵のようなものだ、とカーネリアは笑った。災厄が魔法に潰されているあいだに移動したエルが、凹んだ床に飛び込む。足場の悪さをものともせず、普段のへっぽこぶりをどこかに置いて、エルは一足飛びに近づいた。また浮かび上がろうとするディザスターを、上から押さえ込む。借りている身体の関係もあるだろう。ちからだけなら、エルのほうが上だ。
守ってばかりでは分が悪いとディザスターも判断したようだ。いままで展開させていた、攻撃を弾くための魔法陣を解き、右手に黒い刃を出現させた。エルの振るう刃とは対極を成す黒い刃を斬り上げ、彼を飛び退かせる。間髪入れず、エルはもう一度飛び込むが、どうしても攻めきれない。いくら思い込みの激しい、ちょっと危なさも感じさせる女だとしても、シオンの身体を斬ることはやはり躊躇われた。躊躇えば、隙が生まれる。エルの身体に、一つ、また一つと傷が増えていく。どれも命に関わるような傷ではない。しかし、戦い慣れていないエルにはそれでじゅうぶんだった。チリチリとした痛みは思考を奪い、足をすくませる。いつの間にか、防戦一方に回っていることにも気づけず、エルは叫ぶ。
「シオン! 聞こえるだろ、シオン!」
「無駄だよ。彼女ハお休み中だ」
聞くだけで気持ち悪くなる、二重の声でディザスターは笑う。
「やはり、分離させねばダメか」
光を付与した状態でも、どうやら分が悪い。
中にいる本体に直接攻撃しない限り、あまりダメージは期待できない。
状況を細かく分析していたカーネリアは呟いて、目まぐるしく思考を巡らせる。シオンの身体から、彼女を乗っ取った魂を分離させるには、どうするのが一番効率が良いか。
まず試してみるべきは、気を失わせることだろう。ただし、気絶させても目を覚ましたときにシオン本人でなければ意味がない。それどころか、本人だけが気を失ってさらに支配されてしまっては元も子もない。
それに、シオンの中にはいま、フィロメラとディザスター、二人もはいりこんでいる状態だ。あまり面倒なことをしては、精神への負担が大変なことになるだろう。
もう一度、エルを見やる。彼は、シオンに語りかけながら、なんとか相手の刃をやり過ごしていた。
「ふむ」
エルを使う――か。
それがもっとも効率よい方法だとは、もうとっくに気が付いている。しかし、どことなく乗り気ではない自分がいるのだ。勘違い暴走女のために、そこまで気を使うことがあるのかと。
自分らしくもない感情。そんなものに、流されている場合ではない。
まずは、こちらを圧倒的優位に立たせることが先決だ。
そのためには。
カーネリアは、儚げに瞳を伏せ、静かに詠唱を開始する。
「我は選ばれし者。時空の縛りを越えて視る事を許された者。カーネリアの名を以って、その力を解放する――
ゆっくりと開いたカーネリアの双眸が、まるで紅玉のように光っている。瞳の中心には、古代文字が描かれているが、意味は分からない。
彼女はその紅い瞳で、ゆるりと全員を見回した。黒い刃と光の刃で削り合っているエルが視界にはいる。カーネリアは静かに、彼に指示を飛ばした。
「エル。私の言う通りに動け。なにも考えるな」
「カーネリアさ……ん?」
目が、紅い。
豊かな黒髪に、紅い瞳。
あれは、魔女の――。
エルの思考は、カーネリアの言葉によって遮られた。
「エル。右に避けろ」
右には、黒い刃がある。彼は一瞬迷ったが、どうせ自分の剣の腕は並なのだ。ならば、彼女に任せてもいいだろう。自分の判断で負けるぐらいなら、彼女の判断に従って一緒に散るほうがまだマシだ。
もうどうにでもなれと、目を瞑って右に避ける。ひゅっと左側から風を切る音を感じて、エルは目を開けた。
黒い刃は、右上から左下に向かって斬り下ろされていた。身体すれすれに通っていった刃にいまさら鳥肌が立つ。
「返す刃を受け流して、斬り返せ」
「え?」
困惑の声を返しつつ、身体は訓練の通り動いていた。下から斬り上げてくる黒い刃を受け止め、ちからを流してやり過ごす。バランスを崩した相手の身体はガラ空きだ。そこに斬り返すことは――やはりエルにはできなかった。
「エル。死にさえしなければ、私が治せる。割り切らねばこちらが死ぬぞ」
「いや……なんか、そういうのとは違って。治せるから斬っていいとか、俺は違うっていうか……」
「相手はそんなこと考えていないぞ。……確かに、平和すぎるのも」
「だって、治せるって言っても、カーネリアさん凄く疲れるんですよね? シオンが乗っ取られたのは――」
ああ、とカーネリアは内心でうなづいた。シオンが乗っ取られたのは、自分が癒しの奇跡を使わせたせいだと、思っているのだ。
それならば。
責任を、取らせてやろう。
迷いは、消えた。
「……なるほど。どけろ。私がやる」
「……え?」
カーネリアの言葉の意味がよく分からず、エルは困惑した声をあげた。体勢を立て直したディザスターの刃が彼を狙うも、それよりも早くカーネリアが飛ばした風のかたまりがエルを吹き飛ばす。
「右、次は――上、か」
カーネリアは最小限の動きでディザスターの攻撃を避け、魔法陣で弾き、余裕で近づいてくる。紅い唇は弧をえがき、魔法の飛び交う中をまるでレッドカーペットの上でも歩くように、美しいステップを踏んで。
信じられないといった表情で、エルはカーネリアを見つめていた。
ディザスターの繰り出す攻撃はことごとく、彼女を避けていく。そうとしか思えないような現実だった。カーネリアは、
ただ、彼女は視ていただけだった。
その、紅く光る瞳で。
古代の文字がきらめく双眸で。
視るだけで、ディザスターの動きがブレて視える。次になにをしてくるのか、それが重なって視えるのだ。なにを仕掛けてくるのか分かる相手に、小細工をする必要はない。歩いていたって避けられるし、止められる。
そして、伝えるだけで、他人も動かせる。
これが、彼女だけが持つ
悠々と歩いてディザスターの前に到着したカーネリアは、楽しそうな笑顔を浮かべている。対して、ディザスターは驚愕の表情で彼女を見ていた。
「ふむ。なにもしないのか? では、こちらからゆくぞ?」
「魔法でハ――」
「お前を倒せないのだったな? 忘れるほどバカではない」
にやりと壮絶に笑って、カーネリアは巨大なモルモットを見た。
「ジーク! 切り札の出番だ!」
「えええええお、おれさま」
「大丈夫だ、お前に攻撃は当たらない。思う存分お前のもふもふを触らせろ!」
びくり、と分かるほどにディザスターの身体が跳ねる。じり、と後退する彼女に向かい、カーネリアは満面の笑みを浮かべる。
「おや、どうした? あれの可愛さは罪……そうじゃあなかったか?」
「ふ、ふざけなイでッ! ねずみナド汚らわシい、ドレだけ駆逐しても死に絶えるコトがない、アレこそが本当にこの世界に巣食ってイる病床なのダッ!」
「カーネリア、し、信じるからなッ! ジャイアントローリングアターック!」
「やめ! 触ルなッ!」
不意に阿鼻叫喚の場と化した遺跡の奥底。モルモットにいいように追い掛け回されるディザスターを心底楽し気に見物しながら、カーネリアは慎重にことを起こす場所を見定めていた。
半ば呆けてやり取りを見ているエルの近くに移動し、無造作に、杖を振り上げる。ディザスターの姿が、現在と未来、重なって視える。
必死に揺れる三つ編みが、目の前に飛び込んでくる。
「エル、しっかり受け止めろ」
ちらりと騎士の青年を見やり、彼女は容赦なく杖でディザスターの首の裏をぶん殴った。
ごつん、と重たい音と衝撃が手に響く。
シオン本人の意識が飛んだのだろう。ぐらりと、目の前のオレンジのお下げが揺れる。飛び込んできたエルは咄嗟に、倒れるシオンを抱きとめた。無理な体勢で受け止めたため、彼女の体重が両腕に圧し掛かる。シオンのまぶたがふるふると震えた。
ジークのおでこを押さえて動きを止めながら、カーネリアはさらに指示を飛ばす。
「エル、ちゃんと支えて上を向け」
上……?
言われるまま、顔を上げる。
「しっかりしろ、シオン・アンリエッタ!!」
あろうことか、ぶん殴った本人が相手に気付けの活を飛ばした。
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