第一章・聖女の一日

第1話・もふもふとこりこり

 ドンドン、ドンドン。

 晴れ渡った空の下、繰り返し扉が叩かれる。最初は遠慮するように小さな音だったそれは、今では扉を殴り飛ばしかねない音になって響き渡っていた。


「カーネリアさん! いるんでしょ!? いー加減起きて下さいよ!」


 扉を叩き、声を張り上げているのは白を基調にした騎士服に袖を通した青年だった。金髪碧眼で整った顔に制服の赤いアクセントが映え、腰に差した剣も様になっているのだが、今は眉尻を極限まで下げた情けない顔でこれまた情けなく懇願している。

 彼はエルドレッド・ハーミット。通称エル。二十一歳の駆け出しからやっと抜け出した騎士――国でただ一人の聖女付き騎士だ。

 兵舎で朝一番に起き。身支度もそこそこに急いで朝食をかっこんだら、すぐに兵舎を飛び出し、王都外れに立っている石造りの古い塔に向かう。都外れだから、近くに民家は少ないというのに、毎日やっていても小さなノックからしか始められないのは彼の性格だろう。それでも結局、最終的には大音量で呼びかけながら、寝起きの物凄く悪い相手が起きて中から鍵を開けるまで、ずっと根競べをすることになる。そして大体、寝起きの悪い相手から、怒りの一発を食らう羽目になるのだ。


 しかし。

 今日は、いつもと展開が違った。

 ガチャリと静かに鍵が開き。


「なんだよこんな早くからうるさいなー。近所迷惑だぞ」


 ぶつくさ言いながらのそりと顔を出したのは、もちろんカーネリアではない。少年のような高い声と話しかたで分かってはいたものの――扉を押し開けたひとの姿を確認できず、青年は「うん?」と首を傾げた。


「んだよ、バカにしてんのかよー、下だぞ!」


 ぴょんぴょんと飛び跳ねながら主張する『それ』が視界にはいった。茶色い毛皮を持った――犬ではない。もちろん、猫でもない。大きさやもこもこ具合から、羊とも思ったがどうやら違う。飛び跳ね続けているせいで絶妙にブレるその生き物を、彼は勇気を出して頭の部分を押さえ込んだ。


「頭を押さえるな! 縮んだらどーすんだよ!」

「……ねずみ?」


 図体はデカいが、顔つきは前歯が出ていてそれ系だ。ねずみ? と呼ばれたその動物はまたギャーギャーわめきだす。


「ねずみじゃねー! モルモットだ、モルモット! 顔が大きくてキュートだろ!?」

「……キュート? いや、あまり動物の顔には詳しくなくてな――って、喋ってるーッ!?」

「いまさらかよッ!」


 手を離してずざざざざッと土煙をあげながら高速で後退した騎士に向かい、巨大モルモットは見事なタイミングで突っ込みをいれた。


「お? お? やる気かー? 剣を抜いたらそれで兄ちゃんの一生終わりだぜー?」


 魔物を見る顔で思わず剣の柄に手をやったエルをつぶらな瞳で見つめ、モルモットは無駄に自信たっぷりな態度で相手を威嚇する。


「ジーク。そいつは潰さなくていい。私付きの騎士だ」


 ハスキーな声がもふもふの背後から聞こえ、エルはためにためた大きなため息をついた。モルモットは不服そうに大きな顔を後ろに向けると、余計な一言を付け足す。


「カーネリア付き? こいつ弱そうだけど、必要なのか?」

「確かに強くはないが、不必要ではないな。こいつといると、少なくとも退屈はしない」


 肯定なんだか否定なんだか微妙な判断をくだされ、どういう表情を浮かべたら良いのか迷っていると、モルモットのふかふかな毛並みに白い手が埋まるのが見えた。顔を上げるとそこには、大音量で起こそうとしていた人物――カーネリア・シェラザードが立っていた。途中から見学していたのだろう。すでに身支度を整え、その美しい顔には楽しそうな笑みが浮かんでいる。


「カーネリアさん。趣味が悪いですよ」

「なにぉう! おれさまか!? おれさまのことを言ってんのかッ!?」


 またぴょんぴょんと跳ね始めたジークを放置すると、エルに向かって中へ入って来い、とくいと細い指を曲げるだけで示唆した。彼女がすでに背を向けているので、慌てて頭の上で一つにまとめた黒い髪の揺れる背中を追う。飛び跳ねていたジークも、エルが家に入ると跳ねるのをやめ、まるでライバルでも見るような視線で見上げながら横に並んで歩こうとする。毛玉のような巨大モルモットに並ばれると正直、狭い。


「で。いったいはなんなんですか。別の世界のいきもの、とか言うんじゃないでしょうね?」

「なんだとぉう!? キュートなおれさまを捕まえてこれ呼ばわりとは、やはり貴様とはきちんと決着をつけなきゃならんようだな!」


 真っ黒なつぶらな瞳を精一杯吊り上げて、ぷりぷりとジークが怒る。が、どうにも迫力がない。自分で言っているように、喋るもふもふ毛玉はキュートなのだ。

 カーネリアは何も言わず、壁に立てかけてある一本の細い丸太を指差す。指されるがままに顔を近づけてみると、それには白い糸のようなものがたくさん張りついていた。


「なんです、これ。……キノコ、ですか?」

「まあ見ていろ。もうすぐだ」


 言いながら、彼女はコーヒーを淹れるために奥へと引っ込んだ。特に変わった用事がない日には、エルがきたらまずコーヒーと、カーネリアの中で決まっているらしい。

 ごくりと生唾を飲み込み、言われるまま丸太を見つめる。細い糸が動いたような気がして、目を細め、もっと顔を近づけた。


 ――にゅいん。


 いかんとも形容しがたい音がして、鼻先に何かが咲いた。ぱっと開いたそれは、近づけすぎた鼻に触れる。肉厚だがぴろっとしたおかしな感覚に、エルは精一杯身体を引いて――後ろでにやにやと見守っていたジークの前歯に頭を盛大にぶつけた。


「うわわわわわわッ! ななななんですか、これッ! しかもなんか動いてるんですけどッ、動いてるんですけどおおおッ!」

「いってーなー! おれさまの前歯が欠けたらどーすんだ!」

「なんか、みょんみょんいってる! みょんみょん変な音がするううう! リズムに乗ってるうううッ!!」


 一瞬で阿鼻叫喚の場となったリビングへ、カーネリアが二人分のコーヒーを運んでくる。何事もなかったかのようにテーブルへ置くと、優雅にカップを口に運んだ。


「ふむ。生えたてはそういう動きをするのだな。まったく、これを見たかったのに、昨日ジークが培養室に潜り込んで食べてしまったのだ。まあ、というのが分かったのは怪我の功名だがな」

「……よっぽどお腹減ってた?」


 これを、食べた……と顔面蒼白でジークに問う。みょんみょんリズムに乗りながらそれぞれ好き勝手に伸びたり縮んだりしているキノコらしいものからは微妙に視線をズラし、ジークの柔らかそうな毛並みを見つめることで現実逃避しているようだ。

 そんな騎士の青年をなぜか自信たっぷりに見つめ、ジークは胸を張って答える。


「食ったぞ。こりこりして美味いぞ」

「ああ……。こりこり……」


 謎の不協和音が響く中で、喋る巨大モルモットと会話をしている。すでにその状況がもうおかしいのだが、あいにくエルは考えるということを放棄していた。


「そろそろ落ち着いたらどうだ。これはな、『繝、繝舌>繧ュ繝弱さ』というキノコの一種だ。とても珍しい種類故、見つけた時はうっかり興奮してしまってな。私としたことが、ちょっと魔力を抑えられなくて、これごと地表を少し燃やしてしまったのだよ」

「それって、少しで済むことです?」

「魔物だらけの森の中だ。普通に人が行く場所じゃあるまい。まあ、やってしまったことは仕方がないからな。『繝、繝舌>繧ュ繝弱さ』の菌糸を採取して、栽培していたのだ」


 カーネリアがマイペースにキノコについて語りだしたが、エルの耳を何度も聞き慣れない言葉が通りすぎていったような気がして、恐る恐る手をあげて聞き返す。


「あのー、すみません。……なんて名前のキノコなんです?」

「『繝、繝舌>繧ュ繝弱さ』。ああ、人間には発音しにくいかもしれないな」

「いやいやいやいや、カーネリアさんだって人間でしょう!」

「私を誰だと思っている? キノコの名前など、寝ていたって発音できる」

「ちなみに、おれさまも言えるぜ。うめーキノコ」

「……あー、うめーキノコ、でいいです」


 遠い目をして、エルが負けを認めた。一体何に負けたのかも分からないが、気持ちが何かに負けている。ついでに言えば、勝てる気もしないし勝とうとも思わない。

 このどうしようもない気持ちを落ち着かせようと、テーブルの上のコーヒーカップに手を伸ばす。カーネリアの淹れるコーヒーは、なぜかとても美味いのだ。こりこりのうめーキノコより、エルは聖女の淹れるコーヒーのほうがいいと、苦みの後に広がる甘酸っぱさを感じながら思う。

 コーヒーに逃避していると、カーネリアがなんの合図もなくみょんみょんしているキノコを無造作につかむと一気に引っこ抜いた。思わず、耳を塞いで様子をうかがう。


「……鳴かない?」

「マンドラゴラじゃないんだ。抜いても鳴きもしなければ逃げもしない」

「でもなんか、ぴくぴくしてますよ?」

「これはただの、反射みたいなものだろう。しばらくすればおさまる」


 言いながら、形だけはキノコそのものの肉厚な傘をつまんだり太い柄の部分を目を細めてじっくり観察している。言ったとおり、キノコはいつの間にか動かなくなっており、丸太に生えている奴らを脳内から消し飛ばしてしまえば、美味しそうにも見える。


「ふむ。動いている時は多肉植物のようだったが、動きが止まると傘は少し硬くなるのだな。これがジークの言った、こりこり食感を生むわけか。なるほど」

「……まさか、食べる気です?」


 おそるおそる聞いたエルに、カーネリアは見惚れるような笑みを浮かべて一言。


「食べてみたいのなら、料理ぐらいしてやってもいいが」

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