俺ーLINKS! ~脳内会議のメンバー達が、並行世界の俺自身だった件~ <2章開始>

Mr.ティン

1章 四人の俺

00 プロローグ 脳内会議と退妖ニンジャな同級生と人面犬

 目の前で、同級生が倒れていた。


「逃げて……さくら、い、君……」


 気絶の間際、譫言の様に漏らした声は、苦痛で途切れ途切れだった。

 その忠告に従いたいのは山々だけれど、正直言って難しい。

 目の前には、嫌らしいニヤニヤ笑いを浮かべた化け物。

 顔の高さは俺より低いのに、その体格は圧倒的だ。

 四つ足の軍用犬のような身体なのに、その顔がやや背の高めな高校生である俺の胸の辺りにあると言えば、その威容が判るだろうか。


「逃げていいぜ、餓鬼。逃げられるものならな」


 その化け物が、嫌らしい笑いのまま嘲ってくる。

 その顔は、醜悪な人のソレ。

 目の前の化け物は、所謂都市伝説で語られる人面犬というやつに違いない。

 事態を理解しきれず、取り留めも無くそんな事を考えていると、頭の中で声が響いた。


(『えっ? モンスター? 「コモン」世界でもモンスターって湧くんだ……ウェアウルフの中間形態かな? でも顔がヒューマンって事例初めて見るなあ』)

(【ちがう、きっとコイツも変異体。この辺りも実は汚染されていたんだよ。後天的に変異する事例もあるって教授が言っていた】)

([んな訳あるかよ。「コモン」世界であり得るのは、やっぱり企業のやらかしだろ? この辺に秘匿研究所があってバイオ兵器が逃げ出した辺りだと見るぜ])


 それぞれに好き勝手言い合うのは、全部俺の声だ。

 俺の中に響く、何人かの俺の声。

 ちょっと声の質は違うけれど、全て俺の声には違いない。

 同時に、俺は頭の中で叫んだ。


(「いや、コイツの正体とかは今は良いんだよ! それより、神谷さんを助けないと!」)


 目の前の推定人面犬が、モンスターなのか変異クリーチャーなのかバイオ兵器なのか、それとも俺が初めに思い浮かべた妖怪なのかはどうでもいい。

 今重要なのは、目の前で倒れた同級生を放っておけないって事だ。


 この場所に迷い込んだ俺を意識したせいで、人面犬に隙を突かれたらしい神谷さん。

 彼女をここに置いて逃げるだなんて、どう考えても後で後悔するに決まっている。

 そう、って奴だ。

 俺はそういうのが一番嫌いで、だから神谷さんを放っておけない。

 だいいち、この人面犬が大人しく逃がしてくれるはずがない。

 背中を向けて逃げ出そうものなら、背後から襲いかかってくるだろう事は容易に想像がついた。

 だったら、死ぬにしても生きるにしても、立ち向かう方が良いに決まっている。

 そんな俺の意思が伝わっているのか、頭の中で響く皆の声が活発化した。


(『いや、重要でしょ? 正体がつかめれば、弱点を突けるんだし。こいつがウェアウルフの類型なら、銀の武器が有効だとおもうけど……銀製の武器ってアイテムボックスに入れていたっけ?』)

(【この変異体は、さっきあのお姉さんの攻撃を避けていたから、特定の素材じゃないと傷付けられないって事はないと思う。ただ、瞬発力は高かった。四つ足だから機動力も高い。ただ、ハウンド系統の変異体にしては噛みつきが無い分楽そう】)

([そこだよな。知能は高そうだが、そのせいで攻撃方法を削るあたり初期実験体って所か。どうする「コモン」? この世界がお前の世界なら、決めるのはお前だ])


『ファンタ』が人面犬の弱点を推測し、【ポスアポ】が戦い方を練り始めて、[サイパン]が、俺に決断をゆだねてくる。

 こうやって話し合っている間、周囲の世界はいつしかモノクロームな静止画像のように動きを止めていた。

 俺達が話し合う時はいつもこうだ。

 高速で意識をやり取りしているせいか、周囲の時間を置き去りにしてしまう感覚がある。

 だからこそ、俺はこんな異常な事態なのに、妙に冷静でいた。


 正直なところ、何が起きているのかさっぱりだ。

 ちょっとした用で夜中に買い物に出かけて、その帰り際に何か周囲がおかしくなって、『ファンタ』が何か起きている方向を伝えてきて。

 辿り着いた先、よく通学の途中に通り抜ける公園で、同級生の神谷さんが人面犬に倒される瞬間を目撃してしまった。


 ついでに言えば、神谷さんの格好も何かおかしい。

 俺が知るのは、普段の文系少女っぽい制服姿くらいだ。

 しかし今は、妙に体のラインを出す様なレオタードモドキに重要部位を最低限守るような防具?を身に着けた様は、スマホゲームのキャラクターの様。

 アレだ、所謂妖怪を退治する忍者とかそういうやつだ。

 何もない平時なら、隠れた趣味としてコスプレを嗜んでいるとかの秘密を知れたと幸運に感謝するところだろうけど、正直にいってそれどころじゃない。

 こうして取り留めのない事を考えてしまうのも、意識が加速しているから余裕があるだけ。

 一種の現実逃避で無理やり冷静になろうとしているだけだ。

 同時に、こういう異常事態は、俺の世界では初めてだけれど、経験がない訳じゃない。

 だから、やることは決まっていた。


(「もちろん、コイツをどうにかして、神谷さんを助ける」)

([よし、決まりだな。じゃあ、まずは隠蔽だ。この妙な空間は外部と遮断されて電波も封鎖されているようだが、何処で独立型のカメラだかがあるか判ったものじゃねえ。「コモン」にこれからもいろいろ仕入れてもらうためには、自由でいてもらわねえとな。2秒くれ。ジャミングで色々潰しとくぜ])

(【アレの処理は任せて。教授の新作の試しもついでに済ませる。[サイパン]の後に即交代するから】)

(『その後の処理はこっちがどうにかするよ。あのお姉さんもこっちをそんなに長く認識していた訳じゃなさそうだし、夢の精霊に頼んで「コモン」を見たことは夢って事にしてもらうね』)


 全員”俺”なだけあって、息を合わせたように手順が決まっていく。

 頼もしい限りだけれど、同時に不安もある。

 これは皆から後で色々要求されそうだ。

 だけど、今神谷さんを助けられるなら、安いものだ。


(「じゃあ、[サイパン]、頼んだ」)

([おう、任せろ])


 そこまで決まって、周囲の止まっていた景色が、再び動き出した。


「如何した、餓鬼。にげねえなら、このままお前も喰ってやろうか……うん?」


 俺を怯えさせて楽しもうとしていたのか、人面犬が嫌らしい笑いのまま、こちらを嘲っていたところ、その笑みが消えた。

 何故かは判る。

 ごく普通の高校生の姿が、一瞬で身体の彼方此方からコードを生やした、コート姿の偉丈夫になれば、余りの異常に思考が停止するのも無理はないだろう。

 更には、


「お、お前一体!? グァッ!??」


 その偉丈夫の姿も直ぐに消えて、今度はボロ布を目深に被った小柄な姿が現れて、発砲してくるとなれば猶更だ。

 俊敏さを長所として居そうな人面犬に対して、小柄な姿は前足の関節部を正確に打ち抜いた。

 四つ足の動物が二本足の人間に比べて安定しているとは言え、無防備な獲物を前に隙を晒している状態で右前足の関節──人間でいう肘の部分──を撃ち抜かれれば、そちら側につんのめるのは必然だ。


 そこへ小柄な影が手にした銃を突き出し、踏み込む。

 狙いは、凡そ大概の存在が持つ弱点、頭部。


「舐めるな、餓鬼ぃ!!!」


 しかし人面犬もただではやられるかと、口を開く。

 耳まで裂けた口、という境域を遥かに超えて、首の根元まで開かれた口。

 喉奥まで続く口蓋には鮫のような鋭い牙が何重にも並んで喉近くまで続いていた。

 伸縮もするのか一気に広げられた顎は、小柄な姿──”交代”した【ポスアポ】の身体さえ一口に飲み込みそうだ。


 だけど、そうはならない。


「ガァァァッ!??!?」


 今にも喰いつかんとした顎は、見えない壁にぶつかった様に動きを止めていた。


「噛みつきが無いって読みが外れた。悔しい」


 小柄な【ポスアポ】がつぶやいた。

【ポスアポ】と繋がっている俺にはわかる。

 アレはかなり切れている。

【ポスアポ】は俺達に命を助けられているからか、事あるごとに俺達に恩を返そうと張り切るところがあるからな。

 今も一番恩を返したがっていた俺の力になれると、意気込んでいたのが伝わって来た。

 だと言うのに、噛みつきはないって予測が外れた。

 それが悔しかったのだろう。

 消耗が激しい為あまり強くは使いたがらない変異能力を、全力で使っていた。


「悔しいから、おまえは裂けて死ね」


 それどころか、変異能力──この場合は、念動力だ──の出力を上げて、受け止めていた顎を更に上下に広げていく。


「あっガガッガガガァァァァァァァ!???」


 大型の重機で無理やり押し広げられるような圧倒的な力が、人面犬の顎をさらに広げて、本来開けない領域へ無慈悲に押し開いて行った。

 ブチビチと肉の裂ける嫌な音が、あたりに響く。

 やはり妖怪の類なのか、裂けた箇所から血は流れず、何か黒い汚泥のようなモノがあふれては即座に黒い靄となって霧散していく。


「かぺっ」


 最期に妙に間抜けな声を上げながら、引き裂かれた人面犬は跡形も無く消滅した。

 同時に、ボロ布を被った小柄な姿が、今度は衣装を変える。

 所謂狩衣と呼ばれる装束に似た、『ファンタ』の姿に。


「……この黒い靄はこっちで言う瘴気に近いかな?」


 そんな事を呟きながら、『ファンタ』は倒れている神谷さんに近寄っていく。


(「治療は出来そうか?」)

(『ちょっと待って……うん、大丈夫。これくらいならね。支給のポーションもまだ余裕があるし』)


 神谷さんの状態を術で確認したらしい『ファンタ』は、魔術で処置を施していく。

 どうやら気絶はしているものの、外傷さほどではなく容体に問題はないらしい。

 そのまま、『ファンタ』は神谷さんへ何か術をかけている。

 さっき言っていた俺が此処に来た事を夢だと思わせるためのものだ。

 そして……、


「それにしても、何だったんだろう、あのモンスターは」


 治療を終え、安らかな寝息を立てる神谷さんを近くのベンチに横たえた『ファンタ』は、消滅した人面犬が居た場所を眺めていた。

 今も微かに立ち上る黒い靄がそこにある。

 同時にもう一つ、残されているものがあった。


「……コアストーン?」


 傍目からは、宝石と思いたくなるような、鮮血を思わせる深紅の透き通った石のようなモノ。

『ファンタ』は近づいて迂闊に手で触れないよう観察していたが、似たようなモノを思い浮かべた以上の判断はつかないようだった。

 何より、それ以上の観察を中断させるものを、『ファンタ』は知覚している。


(『……誰か、近づいてくるね。精霊が言うには、このお姉さんと似た服を着ているみたい』)

(「なら、神谷さんの仲間かな?」)

([なら、後のことはそいつに任せて、ずらかろうぜ。此処に居たら、これ以上の厄介ごとを引き込む羽目になるだろうさ])

(【なら、交代しよう。距離をとるなら、ボクの方がいい】)


 了承した『ファンタ』が【ポスアポ】に代わって、この場を後にする。



 これが、何の変哲もない平和な世界だと思い込んでいた「コモン」世界の俺の、非日常に踏み込む始まりになるとは、“俺”達全員想像もしていなかったのだった。

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