枯れ井戸

咲月 青(さづき あお)

 

 だんだんと東の空が明るくなり、町の明かりが消えていく。この時分じぶんになると、仕事を終えた地縛霊じばくれいたちが、颯爽さっそうと飲みにす。居酒屋いざかや井戸いど」は、そんな霊たちが贔屓ひいきにしている飲み屋のひとつだ。今朝もすずめの鳴き声を合図あいず大将たいしょうがのれんを出すと、待ちかねた霊たちがぞろぞろと店内に入り、思い思いの席についた。


 乾杯かんぱいを終えると、最初に出る話題はいつも同じだ。今日も、左大臣さだいじん白酒しろざけさかづきかたむけながら口火くちびを切った。

「最近の霊気れいきはどうだね?」

 左大臣さだいじんは、この辺りでは比較的古い平安時代に生まれた霊だ。本人の話では、生前せいぜん左大臣さだいじんつとめ上げたとのことだが、仲間内なかまうちでは受領ずりょう程度のものだったのではないかと言われている。直衣のうし烏帽子えぼしをきちんと身につけているが、これはいわば営業用の衣装のようなものだ。何枚もの重ね着の上にむせるほどこうめてあるため、実は本人も辟易へきえきしているらしい。

「どうもこうもありませんよ」

 左大臣さだいじんの隣の席でそう言ってどぶろくを飲み干したのは、薄汚れた軍服を着た元二等兵にとうへいだ。早くも酔いが回ってきたのか、落ち着きなく足を組み替えるせいで、ゲートルがたゆんでいる。

昨夜ゆうべもね、はかあたりを流してたんですが、そもそも人がいやしない。たまにいるかと思えば、いきなりしげみで逢引あいびき始めやがるんです。俺も頑張がんばってたま出したり、軍刀ぐんとうちらつかせたりしたんですが、コトに夢中むちゅうで気が付かないんですよ。いやになって早々に引き上げちまいましたよ」

 二等兵にとうへいがそう愚痴ぐちりながら再びさかづきを満たしていると、はすかいのばあさんが言った。

「そんなもん、まだマシな方だがね。ワシなんか担当地区にでっかい道路が出来ちまって、どれだけ声張り上げて"うらめしや"と言ったって、車がうるさくて誰の耳にも届きやしない。姿を見せようにも、道路脇にある終夜しゅうや営業の飲み屋やスーパーのネオンが一晩中ひとばんじゅうともっているせいで、明るすぎて誰にも見えないんだからねえ」

「まったく、昔は良かったよなあ」

 左大臣さだいじんがいつもの口癖を言うと、周囲の霊たちが一斉いっせいにため息をついた。


「皆さん、やっぱり苦労されてるんですね」

 突然、店のはしから聞きなれない青年の声がした。左大臣さだいじんは初めて青年の存在に気付き、驚いて言った。

「おや、見かけない顔だな。あんたはいつからそこにいたんだい」

「ご挨拶あいさつが遅れましてすみません。実はついひと月前つきまえにこの世界に来たばかりなものですから、まだ勝手がわからなくて」

「あんた健康そうだけど、何で死んだの?」

 二等兵にとうへいが好奇心丸出しの顔でたずねると、青年は照れくさそうに頭をきながら答えた。

「いやあ……浮気がバレて、女房にょうぼうにめったしされちゃいまして」

「そいつあ気の毒だけど、自業自得じごうじとくだわなあ」

 左大臣さだいじんの言葉に、婆さんが何度もうなずいた。二等兵にとうへいは、さらに質問を重ねた。

「それで、どうしてこの世界に?」

「いやあ……おっしゃる通り自業自得じごうじとくですから、女房にょうぼうに対するうらみなど別になかったんですけど、たまたま一緒になった友達が入霊じゅれい試験しけんを受けるというので、僕もついられて」

「へえ、それでその友達はどうしたんだい?」

「それが、彼は落ちてなぜか僕だけ受かってしまったんです」

「ありがちだな」

 二等兵にとうへいが小さくつぶやいた。

「もう担当地区は決まってるのかい?」

「ええ、3日前から小学校に配属はいぞくされました」

「それで、どうだい霊気れいきは」

「いやあ……最近の小学校はセキュリティ対策とかで、放課後になると学校を完全に閉めてしまうんですね。子どもたちをおどかそうにも、夜の学校には誰ひとりいない。僕が子どもの頃は夜中にこっそり忍び込んで肝試きもだめしなんてやったものですが、最近の子どもはじゅくで忙しくてそんな暇がないみたいです」

「やれやれ、本当に昔は良かったよなあ」

 左大臣さだいじんが再び同じセリフを言うと、また一様いちようにため息がれた。


「ところで見たところ、この店にはあまり新参しんざんの霊はいないようですね。入霊じゅれい試験は毎日行われているのですから、若い人もそれなりにいるんじゃありませんか?」

 青年が尋ねると、すっかり出来上がった二等兵にとうへいが笑いながら答えた。

「ああ、最近来た中でも特に若い霊は、別の店で飲んでるのさ。クラブで踊ったり、カラオケで歌ったりね」

「この世界にも、クラブやカラオケがあるんですか?」

「あるともさ。最近ではネットカフェも出来たらしいよ。そこから心霊しんれいスポット情報を発信して、営業活動に利用している霊もいるようだね」

 青年が感心かんしんしていると、左大臣さだいじん苦々にがにがしげに言った。

「まったく、最近の若いやつらくばかり考えおって。昔は入霊じゅれい試験に合格したものは、その後1年間の厳しい修行しゅぎょうを受けさせられたもんだ。なのに最近の奴等やつらはすぐにを上げるので、ついに修行しゅぎょう期間がたったの3週間になってしまった」

「若いもんはみんな東京で働きたがるしなあ。地方に配属はいぞくされようもんなら、二言目ふたことめには"だったら成仏じょうぶつしてやる"とくる。ただでさえ近年はが少ないのに、これ以上頭数あたまかずるのはかなわん。連中れんちゅうもそれがわかってて、足元あしもと見ているんじゃよ」

 ばあさんがそう言って左大臣さだいじんさかづき白酒しろざけを注ぐと、左大臣さだいじんはお返しにばあさんのグラスへワインを注いだ。

「なるほど……何だかどの世界でも生きづらい世の中になっているんですね」

「まったくだな」

 青年の言葉に合わせたように、あちこちの霊たちがため息をつきつつ、酒を飲み干した。


 そのとき店の扉が開いて、ひとりの男が入ってきた。その姿を見るや、店じゅうの霊たちが一斉いっせいに立ち上がった。男は軽く右手を振り上げ、何やら霊たちに話し掛けたが、新参しんざんの青年にはその言葉が理解できなかった。周囲を見回しても、どうやら男の言葉を理解している霊はいないようだ。男が一番奥の席にこしえると、霊たちは一斉いっせいに腰を下ろした。

「あのう、あの方はどなたですか? 何をおっしゃっているのか、僕にはよくわからなかったのですが」

 青年は小さな声で、二等兵にとうへいたずねた。

「しっ。あの方に失礼をすると、遠隔地えんかくち左遷させんされますよ。あちらは、この辺りでは最長老さいちょうろうであられる、縄文人じょうもんじん様です」

「さすがの私も、あの方には太刀打たちうちできない」

 主役をうばわれた左大臣さだいじんは、肩を落としながら白酒しろざけをちびちびと飲んだ。なるほど、年功序列ねんこうじょれつというのもどの世界でも共通なものなのか。青年はそう思いながら、えいひれを千切ちぎった。


 こうして今日も、居酒屋いざかや井戸いど」のひるぎていく。

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枯れ井戸 咲月 青(さづき あお) @Sazuki_Ao

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