第205話 同族



 蒼猩猩あおショウジョウであれば四肢と尾を切断して毛皮ごとそれを持って行く。だが今回の猟果はとっても美味しい鬣鱗猪りょうりんイノシシ、それも旬の個体である。可能な限り綺麗に解体し、無駄なく消費したいところだ。

 ここで内臓を綺麗に抜いていこう、とシルティは決めた。〈冬眠胃袋〉で冷蔵しておけば、日が経つに連れて柔らかく旨味の増した肉を食べられる。


 まずはレヴィンに通気性のよい解体室を生成して貰う。形状は琥珀豹レヴィンの頭部をそのまま模した。かつて陽炎大猫かげろうオオネコに襲われた際、行動不能に陥った自分たちを守るために作ったシェルターと同様のものだ。ほぼ生成可能上限まで体積を費やし、さらに生命力による強化も乗せているので、宵闇鷲よいやみワシの蹴り一発ぐらいは軽く防いでくれるはず。

 特徴的なのは、端の部分から細長い管が樹幹付近まで伸びていることか。これはシルティの要望で付け加えたもので、室内で出た廃水を空中へばら撒くことなく地面へ流すための縦樋たてどいである。


「さて」


 姉妹で協力して鬣鱗猪の死骸を運び込んだあと、シルティは懐からローゼレステとの契約錨けいやくびょうを取り出した。

 ローゼレステを呼び出すため、ではない。前回、『いい加減にしろ』『二度と汚物を洗い流すために呼び出すな』と怒られてしまったので、もう水道代わりに魔法を借りることはできないのだ。しかしその際、ローゼレステは『水が欲しいだけならそう言え。出してやる』と言っていた。

 つまり、こちらに来ずとも水を出すことは可能ということだろう。シルティとしてはもっと会話したりじゃれ合ったりしたいのだが……まあ、仕方がない。

 摘まんだ契約錨を口元へ持って行き、物理的声帯ではなく霊覚器を震わせる。


【ローゼ。すみません、水を貰えますか?】


 呼びかけて一拍後、摘まんでいた水珠がぷるりと大きく震え、そして滾々こんこんと水を吐き出し始めた。


「ぅおっ」


 川や滝と呼べるほどではないが、ちょっとしたものを洗うには充分すぎる流量だ。冷たくて気持ちがいい。


「おーっ。おォーうっ!」


 シルティが水からの手をまじまじと見ながらはしゃいだ声を上げる。のしのしと近付いてきたレヴィンが首を傾げ、姉の手から滴り落ちる水をれろんれろんと舐め始めた。冷たく新鮮な水が嬉しいのか、美味しそうに目を細めている。


「すっご。これは……すっご。どうしよう、めちゃくちゃ便利だ……すっごぉ……」


 シルティは見た瞬間に即座に理解した。狩猟者からすれば喉から手が十本くらい出て指をワキワキさせてもおかしくないほどの価値がある。これは、次にローゼレステを呼び出した際は、キンキンに冷やしたウイスキーをたっぷりじっくり振舞わなければ……。

 難点、というか注意点は、水が湧出している最中の契約錨が物凄く見辛いことだろうか。

 元々、契約錨は単なる水を固めているだけに過ぎないので、水に混ざると完全に同化してしまって目視は不可能となるようだ。

 万一にも取り落としてしまえばそのまま行方不明になってしまうかもしれない。


 シルティはすぐさま懐からハンカチを取り出し、水を噴き出す契約錨を完全に包み込んだ。

 固化した水である契約錨は布地を貫通できないはず。これで随分目立つようになった。よほど油断しなければ紛失することはないだろう。


【ありがとうございます。もうしばらく出しっぱなしにしておいて貰えますか。お礼のお酒は、今度会った時にたっぷりと】


 シルティがハンカチ越しにローゼレステに感謝を告げていると、レヴィンが姉の指示を待つことなく魔法を行使した。円筒形で背の高い貯水槽だ。底部からは程よい太さの流出管が一本伸びている。


「おっ。さっすがレヴィン。ありがとー」


 シルティは契約錨を包んだハンカチを貯水槽に投入し、さらに〈冬眠胃袋〉から酒瓶を取り出した。栓を引き抜き、流出管にぎゅちりと詰める。こうして水を貯めておき、必要な時は栓を抜けば流れ出てくるという算段である。レヴィンもまさにこれを想定していたらしく、流出管の寸法は酒瓶の口とぴったりだった。


「さて、まずは」


 シルティは頭部を失った鬣鱗猪の死骸を検め、その背筋せすじから小さな五角形の鱗を一枚拝借した。

 直径は小指の長さ程度。表裏を確認すると、個体差だろうか、シルティの愛する十二枚とはまた雰囲気の異なった模様をしていた。

 おもむろに唇を開き、摘まんだ飛鱗を口元へと運ぶシルティ。

 実は前々から味が気になっていたのだが、まさか革鎧の飛鱗を食べるわけにもいかなかった。よい機会だ。


 ギキ。パキッ。ゴリ。ゴリ。

 クッキーのように齧り取るのは不可能だが、完全に口腔へ入れてしまえばどんな硬い物でも噛み砕く。嚼人グラトンがその身に宿す『完全摂食』はそういう魔法である。


「……なんか、おちちと林檎を混ぜたみたいな……? 優しくてお上品なお味だ……」


 思っていたよりずっと美味しい。

 シルティは鱗をもう一枚唇へと運び、パキゴリゴリとやりながら鬣鱗猪をかかえ上げた。


「レヴィーン、台作ってー」


 レヴィンがすぐさま魔法を行使する。解体しやすいような架台の生成も慣れたものだ。シルティは妹に感謝を告げ、生成された台の上に鬣鱗猪を仰向けに寝かせた。架台の四隅に設けられた突起部にロープを通し、四肢それぞれを広げた状態で固定する。


(お。おちんちんがある)


 この個体はオスのようだ。メスはオスよりも牙が短いらしいが、シルティは遭難中に斬った一匹しか生きている鬣鱗猪を見たことがない。どのぐらいの差があるのはわからないので、性器を確認するまでは雌雄判別ができなかった。

 不銹ふしゅうのナイフ〈銀露ぎんろ〉を振るい、陰茎を切り取って股間を切開、膀胱を引き出し、縦樋たてどいを通して中身を地上へと廃棄。肛門を刳り貫き、直腸を縛って止め、ふんの漏れを防ぐ。前面部、股から頸の断面まで切れ目を入れ、胸骨と肋骨を繋ぐ肋軟骨ろくなんこつをサクサクと切断する。

 通常は胸骨の片側を切断すれば胸腔は開けるのだが、今回は両側を切断し、胸骨を完全に分離した。

 切除した細長い板状の胸骨を指先で摘まみ、ぷらぷらと揺らしながらレヴィンに視線を向ける。


「食べる?」


 尾を伸ばして返事をするレヴィン。シルティがぽいと軽く放り投げると器用に口で咥え、寝転がり、両前肢で挟むように押さえながらガリゴリと咀嚼を開始した。

 こびり付いた肉片や脂もあるが、なにより胸骨には髄が豊富に含まれている。充分な咬合力があれば美味しいおやつだ。


「んふふ。んじゃ、もうちょっと待っててね」


 ご、る、る、る、る。

 背景に流れるレヴィンの遠雷を楽しみつつ、シルティは手早く解体を進めた。





 太陽が拳一個つ分ほど傾いた頃。

 身体の節々を濡らしたシルティは大層満足げな表情で頷いていた。


(我ながらいい仕事ができたな!)


 綺麗に開腹して綺麗に臓物を抜いて綺麗に洗った。清潔な流水が潤沢にあるからこそ可能な大仕事だ。

 贅沢を言うならばこのまま水槽にでも沈め、水を長時間かけ流しにして冷却と完全な血抜きを行ないたいところだが、さすがにやめておいた。この水はローゼレステが生命力を使って生み出している。ローゼレステ曰く『水を生み出すくらい大したことではない』らしいが、それでも無駄に浪費すべきではないだろう。


【ローゼ、長々とありがとうございました。終わりました】


 シルティが契約錨に呼びかけると、すぐに水が止まった。いやはや本当に便利だ。

 タオルを使って鬣鱗猪の水気を吸わせ、絞る。しばらくこれを繰り返し、充分に脱水できたら分離状態のレヴィンの〈冬眠胃袋〉へと詰め込む。『熱喰ねつばみ』は強力な魔術だ。四半日も経つ頃にはカチカチに凍り付いているだろう。今回と同様に上空へ登ってしまえば火も気にせずに使えるので、凍結した肉でもすぐに食べられる。

 なにからなにまでレヴィンに頼り切りで正直姉として立つ瀬がないが、まあ、今更だ。


「お待たせレヴィン」


 地面に伏せて目を閉じていたレヴィンが耳介を跳ねさせ、のんびりと頭を上げた。ぐわあと大口を開け、盛大な欠伸あくびを披露。くァーんゥ、と喉の奥から甲高い音が鳴った。解体中に鬣鱗猪の肝臓や心臓などを摘まんでいるのでそこそこ満腹なのだろう、かなり眠そうである。


「あ、眠い? もうちょっと休憩してく?」


 レヴィンは再び大欠伸おおあくびを披露したが、二度寝に耽ることもなくすぐさま立ち上がった。

 尻を高く上げながら両前肢を前に伸ばし、胸を床に付けるような姿勢に移行、上半身をほぐす。その後、後肢をその場に残したまま二歩だけ前に進んで腰を伸ばし、さらに左右の後肢を順番に持ち上げ、後ろへ向けてピンと伸ばした。続いて、前肢と後肢とを狭い間隔で揃え、ぶるぶると身体を震わせながら背中を弓なりに大きく逸らす。その後、三つ指座りエジプト座りに移行する。

 一連の行動で目が覚めたのか、レヴィンの表情はシャキッとしていた。……ちょっと無理をしているような雰囲気もあるが、ともかく、休憩時間は不要らしい。

 シルティは鬣鱗猪を収納した〈冬眠胃袋〉を持ち上げ、妹の背中にそっとてがった。レヴィンは慣れた様子で脱着機構を操作し、しっかりと背中に固定する。シルティもまた同様に、自分の分の〈冬眠胃袋〉を背中に固定した。


「よし。んじゃ、降りよっか」


 ヴォゥン。

 了承の唸り声と共に琥珀豹頭部型シェルターが空気に溶け、さらに階段状の足場が飛び飛びに出現する。この足場の上り下りももう慣れたものだ。眼下に警戒の視線を向けつつぴょんぴょんと軽やかに駆け下り、地上へ。


「おおう。びしょびしょだ」


 ローゼレステが生み出してくれた大量の水は縦樋たてどいを通して捨てていた。この森の土壌は水捌みずはけがやたらといいので水溜まりにはなっていないが、結構な時間垂れ流しにしていたので、地面が酷く泥濘ぬかるんでいる。


「うーん、動きにくい。さっさと海岸線に戻ろう」


 シルティは脚力を武器とする戦士。最近は魔術『操鱗そうりん聞香もんこう』にも習熟し、立体的な殺し合いもそれなり以上にこなせるようになっているが、やはり足場が悪い場所に長居はしたくないもの――抜刀。


 足を広げて膝を抜き、腰を落とす。並行してハーネスの脱着機構を操作、背中の〈冬眠胃袋〉を分離した。両手で握る〈永雪〉を中段に構え、視線を左へ。

 姉の動作に半瞬遅れ、妹もまた同様に動く。荷物を降ろして身軽になり、四肢を広げて戦闘態勢へ移行した。鼻面にしわを寄せて黒い口唇をまくり上げ、嬉しそうに白い牙を剥き出しに。低く、微かな唸り声を漏らす。



 姉妹の視線の先では、レヴィンにも勝る巨躯を誇る一匹の獣が堂々と佇んでいた。

 大きな頭部、屈強な四肢、太く長い尾。黄金色のに黒い輪のような斑紋模様がいくつも入った、特徴的で美しい被毛。

 見間違えようもない。

 琥珀豹だ。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る