第126話 背乗燕と雷竜



 シルティは手の内の剥製を改めて観察した。


「〈雷避け〉……。初めて見ましたけど、この子たちはどんな魔物なんですか?」

「うん。シルティ、雷竜ブロントって知ってるかしら?」

「! はい、知ってます! でっかくてめちゃくちゃ大人しい竜ですよね!」

「そうそう、それそれ」


 雷竜ブロント

 笑ってしまうほど長大な頸部と尾部を持つ、見上げるように巨大な六肢動物の一種だ。アルベニセよりもずっと北方に生息する六肢竜ろくしりゅうで、太く短い屈強な六肢あしでその巨躯をしっかりと支え、樹木の少ない乾燥した草原を悠々と歩いている。

 最強生物である竜としては頭抜けて温厚なのんびりとした性質で知られており、他の動物が近寄って来てもほとんど気にすることはない。あしや尾に触れられても大抵は無反応だ。もちろん、身体能力は誇張抜きで化け物であるし、うっかり踏み潰すことはあるので注意する必要はある。

 また、数匹の群れを作るというのも、竜としてはかなり珍しい生態だと言えるだろう。


 彼らがその身に宿す魔法は三種。竜共通の破壊魔法『咆光ほうこう』に加えて、『呑雷どんらい』と『投雷とうらい』の計三種だ。

 雷竜ブロントは肉も食べないし草も食べないし魚も食べない。どうやってその巨体を維持しているのか今も不明なのだが、定期的に、しかも全く平気そうにしている様子から、おそらく雷そのものを糧としているのだろうと推測された。

 つまり彼らは、とでも呼ぶべき超常の食性を持った魔物なのだ。


 嚼人グラトンの『完全摂食』や土食鳥つちくいドリの『熱喰ねつばみ』と同様、人類種の学者は雷竜ブロントの超常の食性を魔法によるものと断定し、これを『呑雷どんらい』と名付けた。自身を直撃した雷を地面に逃すことなくし、生命力に変換するのだと言われている。実際、落雷を浴びる瞬間の雷竜ブロントの至近に居ても、地を伝う雷の威力は一切感じられないらしい。

 一説によると、雷雲を生み出すあるいは呼び寄せるような効果もあるとかないとか。これについては検証方法がないので事実かどうかは不明だが、雷竜ブロントの群れが現れるとその周辺は途端に天候に恵まれるらしい。

 雷を浴びる際は、前肢を持ち上げて中肢と後肢のみで立ち上がり、長い頸部を垂直に伸ばして雷を呼び込む。頭頂部が飛鳥ひちょうの領域を貫くは圧巻の一言ひとこと。シルティもいつか見たいと思っている。


 もう一つの魔法『投雷』は、『呑雷』とは逆に生命力を雷に変換する魔法だ。

 外敵に対する攻撃としても凶悪だが、最強生物たる彼らは基本的に無敵である。自衛手段としてはほとんど使われず、仲間に向けてぶっ放すことの方が遥かに多いらしい。なおこれは攻撃ではなく、獣たちの毛繕いグルーミングと同じような愛情表現、つまり社会的な行動ではないかと考えられていた。

 ちなみに、同族同士でなんらかの争いが起きた場合は、首の長さを競って決着をつけるとか。

 なにからなにまで平和な竜である。


 テーブルの上の小鳥を指先でつつきながら、マルリルは説明を続けた。


「この鳥は背乗燕せのりツバメって言ってね。その雷竜ブロントの背中に巣を作るの」

「えっ、竜の背中にですか? そんなの、すぐに落ちちゃいそうですけど……」

「ふふ。ちょっと待ってね」


 マルリルは魔法『光耀焼結こうようしょうけつ』を行使して霧白鉄ニフレジスを創出した。乳白色の金属が長い頸部と尾を持った六肢動物を象っている。


「おおっ! もしかしてこれ、雷竜ブロントですか?」

「そうよ。見たのは初めて?」

「はい。話には聞いてたけど、首と尻尾、ほんとになっがいなぁ……」


 シルティは身を乗り出して顔を近付け、じいっと観察を始めた。雷竜ブロントの名は知っていたが、姿を見たことはなかったのだ。

 マルリルはクスクスと笑いながら、伸ばした指で模型の背筋せすじをなぞる。


「見て。ここ、背筋せすじに沿って棘状の鱗クレストがたくさん並んでいるでしょう。背乗鶯の作る巣は土と唾液を混ぜて固めたものなんだけれど、このクレストを抱き込んでしっかり接着してあるのよ。形も壺みたいに入り口が細くなってて、頭の方を向いているから、雷竜ブロントが立ち上がってもそうそう落ちたりしない……らしいわよ?」


 私も直接見たことはないんだけれどね、とマルリルは締めくくった。


「へえぇ……。こんなにちっちゃいのに、なかなかやりますね」


 シルティは愉快そうに笑いながらテーブルの上の剥製たちを見る。

 雷竜ブロントの大きさを考えると、この背乗燕はあまりにも小さい。大きさの比では人類種と壁蝨ダニくらいの差があるはずだ。


「肝心の背乗燕の魔法は、『雷斥翼套らいせきよくとう』って呼ばれてるわ。まぁ、雷の熱と破壊を遠ざける魔法ね。つがいのうちどちらかは常に巣に居て、卵を温めながら雷から守っているの」

「んむん。それで、〈雷避け〉の魔道具になるわけですか」


 シルティは浮かべていた笑みを消し、代わりに尊敬の目で剥製たちを見た。

 九歳の頃に雷に打たれた経験のあるシルティは、雷のを身を以て知っている。

 まさかこんなちっちゃい身体で、あの凄まじい熱量と破壊力をね除けられるとは。そういう魔法なのだとしても、我が家と卵を守り切る彼らは充分に尊敬に値する強者だ。格好いい。


「……でもなんだか、随分と雷竜ブロントに特化した魔法ですね? 攻撃手段でも防御手段でもないし……。雷竜ブロントの背中ってそんなに居心地がいいのかな」

「うーん……。まあ、他の魔物もさすがに雷竜ブロントの背中によじ登ろうとはしないだろうし……」


 マルリルは伸ばした人差し指を自らのおとがいに当てて考え込んだ。


「というより。雷竜ブロントと背乗燕の生息地は落雷が多いらしいから、元々雷に耐性があったのかもしれないわよ?」

「あー、なるほど」


 雷竜ブロントの背中の居心地がいいから、背乗燕が雷を無効化できるような魔法を宿すようになったのか。雷が効かない魔法を宿していたから、雷竜ブロントの背中に巣を作るようになったのか。魔物たちがその魔法を宿すことになった経緯を真の意味で証明することは、永きを生きる森人エルフにも不可能だろう。


 シルティは指で剥製の頭を撫でながら、眉間にしわを寄せ、表情を浮かべた。


「……ってことは。この七個の剥製を持ってたら、雷をんですか」

「ええ。その〈雷避け〉は周囲から雷を遠ざける……というか弱める魔道具なの。くっ付いていればレヴィンも守れるでしょう」

「……んん」

「……どうしたの?」

「雷って避けなきゃダメですか?」

「え。……あなたまさか」


 マルリルが目尻を吊り上げる。どうやら怒っているようだ。しかし残念ながらマルリルは垂れ目なので、迫力は全くない。優しそうな怒り顔である。


「痛いからまた雷を浴びたい、なんて言うんじゃないでしょうね?」

「もちろん、浴びたい気持ちありますが」

「もちろん、じゃないわよ。やめなさい」

「あ、いえその、今回は浴びるつもりはないんですよ? ただ……」


 シルティは渇望を孕んだ目でにたにたと笑った。

 テーブルに立てかけてあった〈永雪〉を愛おしそうに撫でる。


「前から、雷を斬ってみたかったんですよね」

っ……」


 マルリルは顔を盛大に引き攣らせた。


「いや、あなたね」

「難しいのはわかってます。でも、絶好の機会ですし! 斬り損ねても耐えてみせます! 今の私なら、一発くらいなら、多分余裕です!」


 気炎を吐くシルティとは対照的に、マルリルは盛大な溜め息を吐く。


「シルティ、少し冷静になって? 雷を斬るって……魔雷まらいならともかく、天雷てんらいを斬れるわけないでしょう?」


 雷竜ブロントの『投雷』や、火と風の原質支配げんしつしはいのように、雷と同質と思われる現象を引き起こす魔法はいくつか知られている。起源で区別する必要がある場合、魔法による雷を『魔雷まらい』、自然の雷を『天雷てんらい』と強調して呼ぶのが通例だ。


「天雷がどれだけ速いと思ってるの?」


 魔雷にせよ天雷にせよ瞬間の現象なのだが、生物の意思が根底に存在する前者は、純粋な自然現象である後者よりも遥かに遅く、また威力の面でも劣ると言われていた。事実、一流と呼ばれる狩猟者たちは魔雷をかわすし耐える。刃が形相切断に至った者ならば、すぱりと切開して見せるだろう。


 マルリルも、雷竜ブロントの『投雷』はちょっと無理かもしれないが、大抵の魔雷は躱せるという自信があった。極度の集中による主観時間の引き延ばしは武具強化と並ぶ狩猟者の必須技能だ。それに加えて、マルリルには霊覚器がある。魔法のを見れば、魔雷が世界に現れる瞬間を読んで身を躱すことはそう難しいことではない。

 だが、天雷は速すぎる。

 あれはもう、光ると同時に命中しているようにしか思えない。

 マルリルの認識では、空と大地を一瞬で繋ぐ天災に追いつくというのは『至難の業』ではなく、はっきりと『不可能』なのだ。


「え、でも……天雷かみなりを斬ったって話、いろんなところで聞きますよ?」


 一方、シルティの認識では、雷の切開は『至難』の範疇に収まっていた。

 形相切断により天雷を斬ったという逸話は大陸を問わず広く散見される。わかりやすく派手なので、いろいろとが良いのだろう。

 実際に斬った者がいるのだから、自分に斬れないわけはない。必ず斬ってみせる。シルティはそう決意していた。

 しかし。


「そんなの全部嘘よ」


 マルリルはぴしゃりと言い切った。

 彼女は、天雷を斬ったというような話は全て、自らへの箔付けを狙った虚偽妄言あるいは己を追い込むための大言壮語だと思っている。

 確かに、形相切断に至った者が、天雷は柔らかいのだと心底確信し、刃を合わせることが叶うならば、これを切開することは可能だろう。

 だがそれはあくまで理屈の上での話。ただ単に天雷の経路と刃が重なるだけではもちろん駄目だ。これを実現するためには、天雷の動きを克明にし、斬れて当然だという確固たる意志を込めて、斬らなければならない。

 どれだけ目が良くても、どれほど主観時間を引き延ばしても、人類種が天雷の動きを視認するのは不可能だ。マルリルはそう考えていた。


「確かに見栄張っちゃったヒトもいるかもしれませんけど……」


 マルリルの言葉を受け、シルティは唇を小さく尖らせる。


「でも私は、全部が全部嘘ってわけじゃないと思います」


 およそ一月ひとつきほど前、体重操作と足場強化の共存という神業を目の当たりにしたシルティは、人類種には限界などないのだという考えに取り付かれていた。

 あんなイカれたことを軽々とこな化物ヒトがいるのだから、ただ速いだけの雷など、斬れない方が嘘というもの。


「うーん……そうかしら……だって、アレよ? 雷よ? ピシャン、ゴロロロロ、のアレなのよ?」

「ほら、ヴィンダヴルさんとかなら絶対斬れますよ!」

「あー……んんー……ヴィンダヴルさんね……どうかしら……」


 マルリルとヴィンダヴルとの間に面識はない。マルリルは港湾都市アルベニセでかれこれ八年弱ほど狩猟者をやっているが、ヴィンダヴルはもう二十年ほど前に引退しているので、活動時期が全く被っていないのだ。

 だが、かつてアルベニセの狩猟者の中では最上位に位置していた鉱人ドワーフとして、マルリルもヴィンダヴルの名前は知っていた。

 彼が凄腕だったという話も、様々な相手から聞いている。

 他ならぬシルティの言うことだから、信じてあげたいという気持ちもある。

 だが。しかし。

 人類種が。

 天雷を。

 斬る。


(いやー……無理でしょ……)


 マルリルにはどうしても信じられなかった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る