第87話 美味しい超常金属
翌朝。
目が覚めたシルティは、いつものようにストレッチで身体を解してから寝癖を直し、鎧を身に付け、身嗜みを整えた。〈紫月〉と〈玄耀〉はいつもの位置に。〈冬眠胃袋〉は部屋に置いていく。
本日の目的地は、精霊術の師匠である
事前に約束したわけではないので、訪ねても不在かもしれない。だが、それならそれで仕方がない。
とにかく、居ても立ってもいられなくなってしまったのだ。
(早くお金を返さねば……)
マルリルは授業のたびに
昨夜、ベッドに入ってから眠るまでの間にこれまでの使用量からざっくりと費用を計算してみたところ、シルティはシンプルに青褪めてしまった。とてもではないが、へらへら笑っていられるような金額ではない。
準備を終え、レヴィンを伴い
「あれっ、シルティ?」
エキナセアはすぐにシルティに気付いた。
「あ。おはようございます、エキナセアさん」
エキナセアは
「おはよう。いつの間に帰ってきてたの?」
「昨晩遅くに。なんとか帰ってこれました。
「そっかそっか。無事でよかったよ。何匹?」
「予定通り、六匹です」
シルティは勤めて平静に答えた。
つもりだったが。
エキナセアはその声色になんらかの違和感を覚えたらしい。
一瞬だけ怪訝な表情を浮かべ、そして悪戯っぽく目を細める。
「……もしかして、見た?」
「んえっ? いやっ……なに……いや……その……。んん……!」
やってしまった。
過敏に反応してしまった時点で認めたようなものだ。
シルティは未熟な己を脳内でボコボコに殴りつつ、項垂れるように頷いた。
「……はい」
「見られちゃったかー」
「すみません、覗くつもりはなかったんですけど……」
「にひひ。こっちこそごめんね? まさかあの時間に帰って来るとは思ってなかったよ。油断してたなー」
「……ええと、お二人は、その、お付き合いを?」
「うん。ネオリくん、二人っきりだとかわいーんだ」
シルティをからかっているのか、あるいは照れ隠しなのか、身体と触手を大袈裟にくねらせながら全力で
「……そっすか。いいですね」
シルティは曖昧に愛想笑いを返した。
思考および嗜好が、刃物と斬り合いという二つに大きく傾倒しているシルティにとって、まだ恋愛は理解の及ばぬ遠い世界の出来事である。
「みんなには内緒にしててね? ちょっと恥ずかしいし」
「はい。……といっても、ラウレイリスさん以外とはほとんど会わないですけど」
「狩猟者は留守がちだからね。ネオリくんは私に会いたいからって、近場で狩りしてるけど。にひひ」
「そっすか。いいですね」
エキナセアの言うみんなとは、現在『頬擦亭』の部屋を長期で取っている宿泊者たちのことである。
シルティのほかに三名。
紅狼を相棒とする
残念なことに、シルティはまだ全員との顔合わせが済んでいなかった。
シルティがこの『頬擦亭』の部屋を取ってから既に二か月と少しが経過しているが、部屋で眠ったのは二十日ほどしかない。シルティ以外の三名も、程度の差はあれど似たり寄ったりの状況である。狩猟者はどうしても不在期間が長くなるものなのだ。
エキナセアの言葉通り、ネオリは港湾都市アルベニセの近場で狩りをすることが多いらしく、『頬擦亭』で過ごす時間が長い。シルティは『頬擦亭』に部屋を取ったその日に顔を合わせることができた。
しかしロイドは、狩猟者に加えて行商人も兼任するような生活を送っているため特に不在が長く、まだ会ったことがなかった。
シルティはロイドの朋獣の
「とりあえず、これ。赤罅山の林檎ジャム、お土産です」
「おっ! いいの? あの辺りの林檎、美味しいんだよね。ありがと!」
瓶詰のジャムを差し出すと、エキナセアは
(うおぅ……)
シルティはごくりと生唾を飲み込む。
(……このジャムより、絶対に
エキナセアはけらけらと笑いながら、触手を一本伸ばし、シルティの口元へ添えた。
「んえっ……」
「ちょっと飲む?」
「い、いいんですか!?」
彼らがその身に宿す魔法『
一度失ってしまうと、補充するのにとても時間がかかるのだ。
だがエキナセアは、その貴重な
「……ほら。きみなら、いいよ?」
囁くような声と共に、シルティの口元へと差し出された触手の先端が、握り拳ほどの大きさの
かなりの量である。
こんなに飲んでいいのか。
シルティは再びごくりと生唾を飲み込んだ。
「で、でも」
「ネオリくんとのこと。口止め料ね」
「いやその、こんな、貰わなくても、もちろん黙ってますけど、いやでもそうですね遠慮なくいただきますッ!!」
もちろんシルティは我慢できなかった。
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