第28話 折損
金属同士を打ち合わせたような、耳障りな断末魔が響き。
シルティの振るった必殺の木刀が、刀身の半ばほどで
「な」
シルティの目が大きく見開き、一瞬にして顔面が真っ赤に染まる。その身体は完全に硬直していた。
(あっ)
茫然自失に陥っていたのは極僅かな時間だ。だが、我に返った時には既に、羚羊はシルティの間合いの外にいた。脚力は健在の様子。シルティの一撃は羚羊に傷一つ与えることはできなかったらしい。
(クソ馬鹿ッ!!)
戦闘中に自失して動きを止めるとはなんたることか。
父に見られていたら
不甲斐ない己に激しい怒りを覚えつつ、それでもシルティの手足は即応した。木刀の
静止状態からたったの一歩でトップスピードへ到達し、地面を這うような低空疾走で羚羊に追いつく。
羚羊は明らかにギョッとした。
羚羊は経験から知っている。
余裕を持って逃げられるはずだった。
だと言うのに、気が付けば、青くない猿はすぐ間近にいた。
羚羊の瞳が恐怖に染まった。
シルティは左手を羚羊の右角へ伸ばし、決死の握力でそれを把握。
身を屈め、突進の勢いのまま羚羊の喉下をするりと潜り抜け、さらに全力で跳躍を行なった。
掴まれた角に引っ張られ、羚羊の首が一瞬にしてぐるりと捻転し、湿り気を帯びた硬質な音を響かせる。羚羊の四肢がビグンッと痙攣し、身体が跳ねた。シルティは跳ね上がった羚羊の背中を足場に、さらに跳躍。角を掴んだままのシルティの身体は上へ、反作用で羚羊の身体は砂浜へ叩き付けられる。
羚羊の首が、捩じれたまま伸び切った。
掴んだ角越しに、ミチミチと、筋肉が引き千切られる感触が伝わってくる。充分な手応えだ。頸髄は完全に断絶されただろう、とシルティは判断した。
角の生えた動物は得てして頸部が頑丈になるものだが、関節が存在する以上、捩じられる動きにはどうしても弱い。シルティの突進力、全体重、そして跳躍力を集約した首折りにはさすがに耐え切れなかったらしい。
シルティは空中でくるりと体勢を整え、問題なく着地した。速やかに羚羊の状態を確認する。
動きはない。頭部が一回転するほどの頚椎の捻転骨折、そして筋肉が千切れるほど強く首を引き伸ばされたショックで、完全に失神しているようだ。
四肢はおろか、表情筋すら微動だにしていない。
だが、まだ死んではいない。
魔物の場合、頸椎を捩じ折った程度では完全に無力化したとは言い難い。
頸髄が損傷していれば身体は一部ないし全部が麻痺し、身動きは取れなくなるだろう。だが、膨大な生命力を持つ魔物は、時間をかければ損傷した神経も完全に再生できるのだ。そしてそれは脊髄も例外ではない。
つまり魔物は、生き長らえてさえいれば、いずれ確実に脊髄損傷の麻痺からも回復するのである。
まぁ、今回の場合は損傷が酷く、呼吸筋まで麻痺しているようだ。放置しておいても脊髄が回復するより早く窒息死を迎えることになるだろう。
現状でならば、気を失っている間に失血させるべき。
シルティは羚羊の後肢を掴み、浜の川辺まで引き摺って運んだ。
羚羊をまるごと全ては持って行けないので、ここで解体する必要がある。砂浜に血を染み込ませるよりは湧水の小川へ垂れ流しにした方が、周辺へ広がる臭いも少なく済むだろう、との判断である。
シルティは〈玄耀〉で羚羊の喉を大きく切除した。
〈玄耀〉の刃渡りは指三本分程度しかなく、平時の魔物であればすぐに治癒してしまうような浅い傷しか作れない。よほど小さい相手でなければ、胸に突き刺しても心臓まで達しないのではないだろうか。だが、意識を失って再生力の落ちた相手ならば、頸動脈を切って失血死させることは可能だ。
くぱりと開いた喉の切れ目から大量の血液が断続的に噴出し、浜の小川へ流れ込んでいく。首の骨が折れても心臓は止まらない。血抜きが捗って助かる。
小川の先、入り江の海がほんのり赤く染まっていくのを眺めながら。
シルティは先ほどの自らの体たらくを思い出し。
「ぬあぁあぁぁぁ……」
唸り声を上げ、頭を抱えながら、改めて盛大に赤面した。
まさか、刀を折られるとは。
シルティたち蛮族の戦士にとって、己の得物を折られるというのは最大の恥といっても過言ではない。基礎中の基礎である武具強化を疎かにしていたという、この上ない物証だからだ。
たとえ得物が枝を石で削ったクソみたいな木刀であったとしても、折られたという恥辱は変わらない。
自信満々に放った木刀を呆気なく圧し折られたのは、シルティのこれまでの人生でもかなり上位に入る汚点だった。少なくとも、遍歴の旅に出てからはぶっちぎりで最大の赤っ恥である。思わず自失して動きを止めてしまったほど、致命的に恥ずかしかった。
何度か深呼吸を繰り返し、羞恥で煮えた頭を無理矢理に冷却する。
冷静さを呼び込んでから、さらに戦いを思い返す。
(……なんか、
シルティの目は、自らの放った木刀が羚羊に到達する直前、空中で、刀身半ばほどから大きく
手の内の木刀から返ってきた、硬いような柔らかいような、矛盾を孕む異質な手応え。
似たような感触に覚えがある。
故郷の記憶。
両手それぞれで一本ずつ剣を扱う、二刀流の戦士との模擬戦でのこと。
幼いシルティは先達の胸を借りるつもりで、全力で唐竹割りを放った。
相手は絶妙な位置・角度で、両手に持つ木剣をそっと合わせた。
ただそれだけのことで、シルティの打突の力は全て綺麗に
まるで
今の感触は、あれに近い。
なにかが、シルティの太刀筋を無理矢理に歪めようとしていた。
それも、一方向ではなく、二方向、三方向へ、同時にだ。
打突に粘りを持たせようと咄嗟に手の内を締めて体重を乗せたところ、木刀の強度が足りずに……圧し折られた。
正体はわからないが、やはりこの羚羊は魔物だったのだろう。草食動物のくせに、
恐ろしい事に、その現象がシルティの目には映らなかった。
念動力の
あるいは
(正直、今のは運が良かった……。もっと気を引き締めないと……)
ぶり返してきた羞恥に身悶えしつつ、シルティは自分に言い聞かせた。
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