第4話 刃物愛好家



 視覚と嗅覚と聴覚を最大限に駆使し、慎重に黙々と森を進んでいく。

 しばらく進むと、ある時から森を構成する木の種類がガラリと変わった。海水塩分から離れたことで植生が移り変わっただろう。

 この辺りに生える木は、まるで竜巻のようにねじくれて伸びる樹幹が特徴的だった。入り江で木刀の材料とした木とは明らかに別種だ。比較的広い間隔を空けて立ち並んでいる。手を軽く握りノックしてみると、コンコンと非常に澄んだ音が響く。かなり硬い木のようだ。樹皮は赤みを帯びた白色で、斜面に生えた個体も綺麗に鉛直に伸び、径はあまり太くないが、背が高い。


(見たことない木だ)


 シルティの知識にはない種だった。

 と言うことはやはり、現在地はサウレド大陸、ないしサウレド大陸付近に浮かぶ島の可能性が高い。


(お願いだから、大陸……せめて、でっかい島であってほしい……)


 シルティは真摯に祈った。

 今のシルティには大金が必要なのだ。

 大陸か、一定以上の人口がある大きな島であってほしい。

 稼ぎ口があるのであれば、シルティは魔物や動物を狩って稼ぐ自信があるし、実績もある。故郷を出て四年、これまでもそうしてきたのだ。適当な魔物や動物を狩ってバラせば、サウレド大陸でも多少の値段は付くだろう。

 と。


(あっ)


 そこでシルティは肝心な事に気が付いた。


(刀、ないんだった)


 改めて、大きな溜息を吐く。

 シルティは〈虹石火にじのせっか〉を失ってしまった。これまでと同じようには行かない。

 超常金属輝黒鉄ガルヴォルンを鍛えた〈虹石火〉は、達人が振るえば竜の強靭極まる鱗ですら斬り裂く業物中の業物である。その重くも鋭い至極の切れ味は、シルティが振るう暴力の根底を成す重要な屋台骨だった。

 対して、今のシルティの手にあるのは木の枝を削った木刀である。

 比べようとすることすら烏滸がましい。


(お金稼ぐなら、まず、まともな得物を調達しないとなー……あと、最低限、ナイフが要る……)


 シルティは手元にある木刀でもある程度は獣を屠れる自信があるが、綺麗に殺すのは難しいだろう。解体も同様だ。雑に殺して雑にバラした獲物は価値が著しく下がってしまう。

 シルティが自分で食べるだけならそれでもいいが、資金を得る手段としての狩りには、やはりそれなりの道具が必要になるのだ。

 これまでシルティには〈虹石火〉という絶対の存在があったため、この四年間で己の武器について悩むことはなかったが、これからはそうもいかない。

 刀剣なり長柄ながえなり、なんらかの武器を手に入れなければ。


 シルティのように魔物を殺すことを生業とする狩猟者たちは、得てして大型かつの武器を好む。

 刀剣で言えば、例えばレイピアやエストック、コリシュマルドのような細身で刺突に重きを置いたものはあまり使われない。無論、刺突剣も大抵は骨肉を切るに充分な切れ味を持っているが、やはり最大の持ち味は刺突である。突かずに切るのであれば、わざわざ刺突剣を使わない方が利口というものだ。

 長柄武器にしても、パイクやスピアのような細く短小な穂を持つ直槍すぐやりで突くのではなく、長大で幅広な穂を持つ大身槍おおみやり、もしくは湾刀状の穂を持つグレイブや薙刀のようなものを、振り回すようにして使うことが多かった。

 もちろん、刀剣にせよ長柄にせよ、流れの中で刺突を放つことはある。

 だが、それをメインには据えなかった。


 何故なら、『刺し傷』は魔物に対して致命傷になりにくいからだ。


 物質的に存在しておらず、目視することもできない、だが確かに存在する『生命力』というものの作用について、現代でも全てが解明されているとは言い難い。だが、生成者の意志を強く帯びた生命力は、超常の力と化すことがわかっている。

 そして魔物たちは、魔物ではない生物に比べ、途方もないほど多量の生命力をその身に内包していた。

 多くの場合、負傷した生物が抱く最も強い意志は、『生存したい』という本能だ。傷の無い身体に戻りたいという安楽への渇望である。

 この生存本能を帯びた生命力は、生成者が『自己の生存を妨げている』と認識した要因……つまり負傷を無かったことにするために、その超常を発揮する。


 要するに。

 魔物と呼ばれる生物たちは、もれなく超常的な再生力を持つのだ。

 多少の傷などすぐに塞がってしまうし、骨折なども安静にしていれば半日ほどで真っ直ぐ繋がる。根元から欠損したあしですら、多くの日数をかければ綺麗に生えるし、後遺症も残らない。

 さすがに心臓や頭部を一撃で大きく潰されたりすれば死ぬが、消化器はらわたに少し穴が開いた程度は軽傷のカテゴリである。たとえ身体を完全に貫通するような深い傷であっても、それが小さければ簡単に治癒されてしまう。

 刺突傷で魔物を殺すには、生命力が完全に枯渇して再生できなくなるまでチクチクチクチクと延々刺し続けるか、あるいは脳や心臓などの急所を正確に貫いて破壊するか。

 どちらにしても強大な魔物を相手に実行するのは難しいし、なにより、そうして殺した死骸の商品価値は著しく下がってしまう。


 では、どうするか。

 生命力の巡りは血潮の巡りに似ている。心臓を要として全身を巡っている。その巡りから切り離してしまえば、その部位は即座に再生されることはない。

 つまり、切り飛ばすのが有効だ。

 魔物の狩猟において最善とされるのは、一撃で首を刎ねることである。

 ゆえに、魔物を狩る者たちは魔物の肉体を両断できるほど大きな切断系武器を好むのだ。


(どんなのにするかなー……森の中にいると、斧もいいなって気になってくるなー……)


 ここでシルティの想定している斧は、木材の成型や樹木の伐採を目的とする道具・工具としての斧ではなく、明確に戦闘を前提にした戦斧である。重心が完全に先端にあるため取り回しには癖があるが、同程度のサイズの刀剣や槍と比べるとその破壊力はまさに圧倒的の一言だ。少々の鎧や毛皮は実質的に無視できる。

 無論、戦斧が戦闘を前提にしているからといって、道具として使えないわけではない。樹木の伐採、大雑把な木工、そして斧頭の重量を利用したハンマー替わりなど、非常に広範な使い道がある。

 例えば、今この場に斧があれば、周囲の巨木を切り倒し、中身をり貫いてカヌーを作ることだって不可能ではないのだ。


(前に見たバルディッシュってのも格好良かった……あれ使ってみたいなー……)


 シルティは道なき道を進みつつ、進路上に立ち塞がる藪を木刀でと切り拓きながら、新調する武器に思いを馳せ、


「……んふ、んふふふ」


 つい、頬を緩めた。


 シルティは、『刃物』が好きなのだ。

 心の底から愛していると言っても良い。

 理由は当人にも巧く説明できないのだが、刀剣、槍、斧、包丁、ナイフ、やじりはさみや爪切りに至るまで、およそ刃物に分類されるあらゆる全てが、幼少の頃から堪らなく好きだった。

 使うのも大好きで、手入れすることも大好き。眺めているだけでもこの上なく幸せになれる。


 状況が許すならば、シルティは世界中の刃物を蒐集しゅうしゅうしたいと常々思っていたのだが、残念ながら現在は旅の身空のため、荷物を無為に増やすことはできない。

 旅の最中で各地の店を覗いても、これまではひやかすことしかできなかった。無論、旅を終えて故郷へ帰る際はしこたま買い漁って持ち帰ろうと思っているが、やはり鬱憤は溜まっていたのだ。


 だが、今は。

 不運にも〈虹石火〉を失ったことで、結果的に、大手を振って新しい武器刃物を購入することができる。

 喜んでいる場合ではないし、喜ぶべきでもないとわかっている……のだが、ついつい、頬が緩んでしまうのだった。


(斧もいいけど、やっぱり刀だなー。でっかい刀が欲しい……)


 シルティは故郷でさまざまな武器の扱いを学んできたが、刀剣を振るうことを特に好んだ。

 片刃でも諸刃でも扱えるのだが、幼少より家宝〈虹石火〉を受け継ぐ前提の訓練を積んできたし、故郷を出てからは実際に振るってきたから、やはりつるぎよりも刀、特に刀身が弧を描く湾刀わんとうが得意である。

 つるぎと刀にはどちらにも長所と短所が存在するが、シルティの主観において最も大きな違いは、その重量だった。

 同じ素材で作られた剣と刀を比較すると、同程度の刃渡り・身幅・厚み・刃角はかくを持つならば、刀の方が圧倒的に重く頑丈だ。これは断面形状からも明らかで、超常の要素でもなければ覆ることはない。

(※諸刃と片刃の断面を物凄く雑な概略図で示すと、凡そ『<>つるぎ』、『匚>かたな』となります。このように、同程度の刃渡り・身幅・厚み・刃角ならば刀は剣よりも断面積がかなり大きくなるため、刀の方がずっと重くて頑丈になります)


 得物の重量は威力に直結する。

 無論、重いということはメリットばかりではなく、取り回しの悪さにも繋がってしまうが、シルティは己の身体を正確精密に動かすということについてはかなりの自信を持っていた。得物の取り回しの悪さは自らの動作の正確性と技法、そして予測で補い、小柄な女性の身ゆえにどうしても不足しがちな威力を得物の重量で担保する、という戦い方を磨いてきたため、重い得物の方が手に馴染むのだ。

 ゆえに、剣よりも重たい刀。

 それも、重心が先端にグッと寄った重厚な湾刀が好みである。


 シルティは記憶力にはそこそこ自信がある。好きな物事に対してはより一層冴え渡る。十二歳の頃から四年間、各地の店をひやかし、手に取ってきたさまざまな刃物たちの姿を鮮明に思い出すことができた。


(グロスメッサーっていったっけ、あの変わった形のつばの刀も、綺麗だったなぁ……)


 シルティは脳内の型録カタログをめくりつつ、どんな刀にしようかとにやにやしながら歩みを進める。

 そうしているうち、太陽の位置が随分と高くなった。

 間もなく正中という、その時。


 目か、耳か、鼻か、舌か、肌か、あるいはなにか別の。

 どの感覚器で捉えたのかすらも自覚できない、極めて僅かな違和感を覚え。

 その直後、シルティは頭部に強烈な衝撃を受け、地面に倒れた。


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