夢見るリンネを探して

サトウ・レン

最初の物語『リンネが最初に見た夢』

 私があの夢をはじめて見たのは、

 籠の中の鳥が死骸になっていた日の夜のことだ。


 自身の境遇を重ね合わせ、愛でていた人語を解する怪鳥『王夢』は、いまは亡き婆様が、私の七つの誕生日に贈ってくれたものだ。幼い頃から私は、外に出ることが許されなかった。外に出てはいけない、危険だから、と何度も何度も両親に言われ続けた。すべてを信じたわけではないが、すべてが嘘だとは思っていない。


 私の知る世界は、家族と使用人だけの本当にちいさなもので、そのことを誰よりも哀れんでいたのが、婆様だったのだ。そして私が心を許せた人間はたったふたり、婆様と、年齢の近い友人のような幼い使用人だけだった。


『あなたの心が、すこしでも穏やかになるように。この方はひととしゃべることができるから』

 と私のそばに、鳥籠を置いた。この方、と婆様が言うのが、すこし不思議でもあった。鋭いくちばしに、七色を成すその独特な姿に、最初はなんでこんなにも気味の悪い鳥を、とも思ったが、長く過ごすうちに、言葉のやり取りを重ねることもできるようになり、気付けばその『王夢』はかけがえのない存在になった。「リンネ」と、様、も付けずに私の名を呼んでくれることも嬉しかった。


『王夢』のことは、『王夢』と呼んでいた。だって私はそれ以外の『王夢』を一匹も知らなかったから、『王夢』それ自体がひとつの愛称になるのだ。世の中にどれくらいいるのかも知らない。いてもいなくてもいい、私の目の前の『王夢』さえいてくれれば。そんな私の願いが叶うことはなかった。


『王夢』が死んだのは、私が十四の冬だ。


 窓越しの暗夜には、小雪がちらついていた。私の両親がかつて住んでいた場所には、雪は降らなかったそうだが、ここには雪が降る。


 色鮮やかな羽根はもがれ、首は折れていた。誰かが殺したのだ。犯人は分からないままだったが、こんなことをするのは我が家で、母くらいだったから、私は母が犯人だ、と決め付けていた。


 母とも、もう長く話していない。

 母は誰も信じない。

 私のことも、婆様のことも、『王夢』のことも。

 唯一信じている人間がいるとしたら、それは父だけだ。父が死んで、母は変わってしまった。私は母が嫌いだ。憎んでいる。だけど同時に、私と同じ孤独を心に飼う人間で、私は母に誰よりも同情的だ。


 悲嘆に暮れ、疲れて眠ってしまった私はその夜、夢を見た。


『頼む。リンネ、リンネを救ってあげてくれ』

 その夢は聞き馴染みのある声からはじまった。柔らかく、すこし高い声は、『王夢』の声だ。田舎町のちいさな家の中、ベッドの上で、そこに眠る誰かに話しかけている。ベッドから起きた青年は、『王夢』の姿に驚いている。


「誰だ、お前は」

「私は、王夢」


 エルデイル大陸東端のちいさな田舎町ヤアレル。ふっと私の頭の中にそんな言葉が浮かんで、私は私自身にびっくりしてしまった。私はそんな大陸も、そんな町のことも、いまのいままで知らなかったはずなのに、浮かび上がる映像をすこし見ただけで、そこがヤアレルだ、と分かってしまっている。


 何故だろう。


 ひとつだけ私がヤアレルを知る手掛かりがあったとすれば、それは我が家の書庫だ。地下に、大きな書庫があり、旅人でもあった父が著した本をはじめ、大量の書物が収められている。私は幼い頃からそこの書庫に入り浸っていた。その中で何らかの紀行文から、ヤアレルという記述を見つけたのかもしれない。もしかしたら夢の中の映像はヤアレルではないかもしれないが、私が勝手にその映像を見て、きっとヤアレルだろう、と当てはめてしまっただけ、なのかも。


 最近はもう誰も使っていない書庫だ。私が使わなければ、私以外に使用する者など誰もいないので、埃だらけになっていることだろう。


 夢の中の私は、青年の目を通して、この世界を見ている。

『王夢』が青年に語りかける。


「私の名は『王夢』」もう一度、『王夢』が名乗る。「王が見た夢。王が見る夢。王に愛された夢」


 アルト。それは青年の名だ。私は青年の名前を知らないはずなのに、知っている。青年の目を通して、すでに知っている。二十の齢にも満たない青年は、愛用の青い外套をまとって、『王夢』に誘われ、しばしの旅に出る。旅の中で、彼は様々な人々と出会い、様々な経験をし、成長していく。


「リンネを救ってくれ。リンネを救ってくれ」

 繰り返し、『王夢』は語る。


 青年は、私のことなど、リンネのことなど知らないはずなのに。『王夢』の言葉を信じて。素直で真面目で、優しい青年なのだろう。彼ならば、きっと私を。そう願ってしまうのは、欲が深すぎるだろうか。でも、それでも。


 アルト。


 私はあなたを待っている。待ち侘びている。それは夢を見る前から、生まれた時からはじまっていたのかもしれない。


 私は虚空に向かって、手を差し伸べる。誰もいない孤独な部屋で。

 いつか私の手を取ってくれる日を信じて。


 私は久し振りに地下の書庫を訪れる。存在理由をすでに失っていた書庫は、巣を張った蜘蛛の住処になって久しい。父が著した不思議な一冊の本がある。それを本と呼んでいいのかは分からない。言葉が紡がれることのなかった不思議な本だ。旅人だった父が、何も書かれていない、読者こそが自ら記録するように、と遺した本だ。


 狭く、鎖された世界から、一歩も動けなかった私にとって、もっとも必要のないはずだった書物だ。


 ざらついた表紙にかぶったほこりを、手で払う。

 夢の記憶を、私はこの本に記録することにした。


「ねぇ『王夢』聞こえる」私は『王夢』の死骸に語りかける。「彼を、アルトを、私のところまで誘って」


 私が夢に見た冒険譚は、そのままアルトの目を通して見た冒険譚になる。

 アルト、はやく私のもとにたどり着いて。


 そして、

 私を救って。囚われたこのちいさな世界から。

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