助かりてぇなってハナシ

雨月 日日兎

助かりてぇなってハナシ

 助かりたいんだよなぁ。とそいつは言った。酒の席である。アルコールに思考能力をある程度奪われる程度には飲み進めた頃の事だった。そいつは、助かりたいと宣いながらケラケラ笑ったのだった。

「助かりたいって、何からです?」

「えぇ?」

 へらへら、酔っぱらいの回答は時間がかかる。

「何からって、はは、難しいこと聞くねぇ」

 実を言えば隣に座る相手は見ず知らずのおっさんである。名前すら知らない。よぉひとりか? などと既に半分出来上がった口調で絡まれてからずっと、一方的に喋り続ける彼の話を相づちも打たず聞いていたのだ。

 つまり反応したのはここが初めてである。驚いたのだろうと後になって気付いたがこちらとて酔っぱらいだ。マトモじゃあなかった。

「難しいっすかね」

「そらぁ難しいだろ。何で助かりたいなら兎も角何から助かりたいかだろぉ、難しいねぇ」

「じゃあ何で助かりたいんすか」

「苦しいからさ」

「なんで?」

「アッハッハ、なんで、なんでって三歳児か。坊や、酒なんて飲んでねぇでミルク飲んでさっさとおねんねしな」

「いや、俺も助かりたいんで。なんかうまい方法ないか知りたいんすよね」

 アッハッハ。笑い上戸か。朗らかに笑う男は言うほど苦しくも、辛くもなさそうだと思う。そりゃあ生きてりゃ苦しいだとか、そのくらいは分かるだけ生きてるつもりだ。だからどんなにへらへらした酔っぱらいだとしても、悩みのひとつや二つはあるんだろうと思う。思うが、何の前触れもなく助かりたいと言う。その心情の始まりと終わりを知りたいと思ったのだ。

 なぜって、自分が助かりたいから。

「そいつぁ難儀だなぁ。坊や、そう言うお前は何から助かりたいよ」

「えー……理由のないしんどさ?」

「しんどいのか?」

「や、だって、しんどくないっすか? 毎日息して、心臓動かして、朝起きて、飯くって、生きるのって、なんかちゃんと考えるとしんどいなーって、思います」

「ちゃんと考えるからだろ」

「あーやっぱり?」

「だって死にたいわけじゃねぇんだろ」

「んー……それはまぁ、そっすねー」

 ならしょうがねぇんだよ。

 ケタケタ笑いながら、いつの間にやら始まった人生相談の相談員は何杯目かの酒を手酌で注ぐ。たぶん、そろそろ本気でやめた方がいいとは思う。無事家まで帰れるのだろうかと心配が頭の片隅でソワソワしていて話があまり入ってこないのだ。どうでもいい話、それ以前にこちらの脳ミソの半分以上は酒精に染まっているのでこの会話を明日も覚えているかは不明である。

 閑話休題。

 おっさんは、生きてるってなはそういうことだからな。と適当な終着点へと会話を進め始めた。

「ありきたりっすね」

「そんな格言言ってやれるほどの人間じゃあねぇからな」

「そうっすね、助かりたいのは同じですしね」

「あぁ同じだよ。しかも、坊やよりも長く生きてたってどうすりゃいいのか分からずに足掻き続けてんだ。嫌になるだろ、おっさんになるの」

「嫌っすねー」

「わっはっは、けどなるんだよ。生きてるから、生きてくなら、お前もおっさんになる」

「助かる方法も分からないまま?」

「それでも生きてはいけてるからな」

「はー、しんどいっすね」

 しんどいなぁ。とひと息。酒の残りを飲み干しておっさんはくつくつ笑い始めた。いや、ずっと笑っていたか。まぁやはり終始楽しげなのだ。それが羨ましいのだろう。妬む心が意味もなく心の奥底を焼いていた。

「けどなぁ、生きてんならまぁいいだろって思うんだよ。死んじゃあ何も出来んからな。骨になって終いだ」

「あー……。なるほど。うん、確かに。骨は、まだ先でいいっすね」

 だろうと笑う。その声も穏やかに彼は、あーあ、助かりてぇなぁと振り出しの台詞を宣った。

「そうっすね」

 けれど今度はこちらも穏やかに肯定を返すに終わった。どうせ答えなんか出ないのだから、まぁいいかってそんなくらいの気持ちで頷いておいたのだ。

 どうせ明日には忘れてまた呟くのだからいいだろう。

 今日も適当に生き延びた。それを理由に、知らないおっさんと祝盃でも交わしておこう。

 後悔なんぞ、明日にでもしておけばいい。

 今日はそんな気分だから。

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助かりてぇなってハナシ 雨月 日日兎 @hiduki

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