第5話 偶然



 今日はケビンの帰宅が遅く、夕飯は共にできなかった。

 宮廷官僚は残業が多い。

 よくあることだ。


 しかし、夜遅くに夕食をとるケビンの目の前には、妻マリーがいた。

 彼女は、コーヒーを飲みながら、ニコニコしている。

 実は、これもよくあることだった。


「マリーさん。わざわざ起きて待ってなくていいんですよ」

「待っていませんよ」

「いつもコーヒーやホットレモンを片手に、私に付き合ってくれて」

「わたしは通りがかっただけです」

「通りがかり?」

「はい。なのでお気になさらず」

「???」


 クスクス笑って、楽しそうにしている妻マリー。

 困惑しつつも、妻の笑顔に見惚みとれる夫ケビン。


「わたしたちが結婚したのは、朝のジョギングで、通りがかりにケビンさんと出会ったのがきっかけだったでしょう?」

「そうですね」

「わたしにとって、ケビンさんと通りがかりに出会ったことが、幸せのはじまりだったんです」


 妻マリーは、うっとりと、遠くを見ている。

 夫ケビンは、完全に食事の手が止まっている。


「もう結婚してしまって、朝のジョギングで偶然通りがかるのは難しくて」


 ケビンは頷く。

 朝は同じ家から一緒にジョギングに出発しているので、二人が通りがかることはない。


「だから、こうして家の中で偶然会ってみようかなって」

「偶然」

「はい、偶然。今日もたまたま食卓に来たら、ケビンさんが夕食をとっていたので、ちょっとコーヒーを飲んでみました。待っていた訳ではないんです。ここ、重要ですよ。試験に出ます」


 教師マリーの言い方に、受講生ケビンは笑いを漏らす。


「通りがかりにケビンさんに会えたので、きっと明日のわたしも幸せです。ケビンさん、どうもありがとう」


 妻マリーは、ニコニコ笑っていた。

 夫ケビンは、真顔になった。


「わた、わた、私の、方が」

「?」

「私の方が、きっと幸せです」

「まあ。それなら嬉しいです。嬉しくて、わたしの方が幸せになっちゃいますね」


 それから二人は、「いえ私が」「いえいえわたしの方が」「いえいえいえいえ私の方が」と、幸せ合戦をしながら過ごした。


 妻マリーは、偶然ケビンに会えた幸運からか、翌日は一日、元気いっぱい幸せいっぱいにすごした。

 そして、さらにケビンへの感謝の気持ちをつのらせた。


 夫ケビンは、偶然マリーに会えた幸運を受け止めきれず、翌日は妻マリーのことで頭がいっぱいだった。

 そして、さらに妻マリーへのとある想いを募らせた。


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