第4話 虎の尾を踏む私

「それ、なんの歌ですか?」


「俺の故郷で一番親しまれてるー、パンのヒーローの歌ぁ」


 いい具合にへべれけのユージ氏はちょっと陽気な旋律を口ずさんでいる。

 ユージ氏の故郷の歌、まあまあ好きかもしれない。パンのヒーローという牧歌的で純朴そうな題材は、ユージ氏にあまり似合わない気もするけど。


「ユージ氏ぃ、どうして結婚しようと思ったんですか? まだお若いのに」


「んー?」


 勿論、魔王を倒した救世の勇者を周囲が放っておかなかったのもあろう。けれどもまだ年若い青年の、しかもハーレム願望を包み隠さない程度には迂闊なユージ氏が、さっさと身を固めたのは不思議でならない。


「命が惜しいからだけどぉ? いけませんかー?」


「はい?」


「魔王倒しましたー、でも元の世界には帰せませんでしたーぁ。ってなったらそりゃ、あいつらは俺を始末したいだろ。こえーもん」


 私は何か、訊いてはいけないことを訊いてしまったのでは。そんな後悔がうっすら過った。


「魔王を殺せる強くて物騒で恨む理由が明確な奴、そりゃあ権力者はどうにかしたいよなー、分かる」


 どうしてだか寒気がして、腕をさすった。夜気のせいだと思いたい。ああでも、そうだ。私はユージ氏のことを何も知らない。勇者の実態さえ、知らない。


「妾腹の王女、教皇の孫、境界の森の魔女、同盟国の姫騎士、獣人の族長の娘……」


 指折り数えるユージ氏の顔に感情は浮かんでない、ように見える。別人みたいだ。


「有力者の縁者を娶れば、そのまま俺の安全に繋がるだろ。手を出したらやばいって馬鹿にでも分かる。俺にでもそんくらい考え付く」


「……あなたにとって奥方達は、保身の為の人質なんですか?」


「責められる筋合い、ねーんだけど」


 いつの間にか足を止めていた私達は、夜闇の中で向かい合っていた。

 私は多分……今初めてユージ氏を怖いと思っている。レベルが高いとか、男性だからとか、そういうことではなくて。

 得体の知れない怪物を前にしたような、そんな悍ましさを感じている。


「お前らが俺に何してくれたんだよ」


「え……?」


「ある日いきなり知りもしない世界に連れ去られてさぁ、勇者だから魔王を殺せっておかしいだろ。喜んで誰かを殺しに行く義理なんかねーよ。少なくとも俺は殺しなんて絶対駄目だって教えてくれる親と生きてたんだよふざけんなよ。家族も学校も生活何もかも奪っておいて、武器なんて持ったこともねーのに必死で戦う訓練させられて、誰かを殺す練習させられて」


 乾涸びたような声、力ない口調なのに、それは痛烈に響いた。


「なのに魔王を倒しても元の世界に帰す方法はない。試したけど失敗でした原因は不明ですって……そんなあからさまな嘘で納得するかよ。いくら馬鹿でも察しくらい付くわ。最初から方法なんかなかったんだって。処分するにも片道切符で特攻させるにも都合がいいから異世界人に押し付けるんだって」


 憤りが滲み出たわなわなと震える声は、泣いているようにも聞こえる。

 勇者というお伽話の存在は確かに実在していて、私達と変わりないただの人間で。その事実を直視しない大勢の無関心な人々の為に、犠牲を強いられた人がいるのだと。今更実感してしまった。


「何より一番腹が立つのは……お前らだよ。何も知らないで俺の犠牲と平和を享受してるだけの、お前ら。死ねよこんな糞みたいな世界の連中、皆死んじまえよ一人残らず……!」


「ユージ氏」


 思わず手を取るとパッと振り払われた。それで諦めるものか、もう一度手首を鷲掴みに行く。今度はガッチリ成功。私は逞しい系女子なのだ。


「落ち着け、責めてない。私が言いたいのはそういうことでもないし、多分奥方達は皆分かっててあなたの盾になったかと」


 ──だから泣くな。


 そう言うとユージ氏は茫然と目を瞠った。目瞬きを忘れた瞳から涙が落ちて行く。私はそれを拭うつもりも慰める気もない。泣きたければ泣けばいいのだ。勇者だって涙していい。


「盾……?」


「ご存知ないかもしれませんが、女性は男よりずっと現実的な生き物です。ユージ氏の態度と他の奥方への接し方を見ていれば、客観視も比較的容易ですしね。気付いてらしたと思いますよ、あなたがこの世界の人々を憎んでいること」


 ……という全力のハッタリである。ろくすっぽ知らない奥方達の内心を私が推し量るなど出来ませんよ。しかし今ここで、さも確信がありますとばかりに断言せねば、ユージ氏は闇落ち勇者か新たな魔王になってしまいかねない。

 ユージ氏が保身を選んだように、私も闇落ちユージ氏の八つ当たりで死にたくはない。命とても大事。


「気付いてて……なんで結婚したんだ……」


「昔のあなたが素敵だったからでは? リズさんが仰ってましたね」


「昔の俺はただ、必死で。役立たずだって殺されるのも怖くて、魔王と戦うのも嫌で……何も」


「孤立無援の中で自分を磨いたんですね。それを応援したい、力になりたいと感じてくれた人がいたんですね。あなたの周りには」


 ──最早誰一人残っていなくても。

 それは仕方がないと思える。手を伸ばしてくれた者を大切にしようとしなかったのだし。


「あなた多分いつまでもいつまでも、どうせこの世界の奴だからって、奥方達を疑い続けていたのでは?」


 ユージ氏はギクリとして言葉を失ったまま。それが答えなんだろう。

 どれだけ心通わせたいと願えど、思いを捧げど、相手が拒むのならいずれは底尽きる。現状は起こるべくして起きた事態だ。だから、私はあなたに同情しない。

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