道路標識と私

しがなめ

第1話

 朝7時。市内にある筈なのに地味に遠い高校まで、笠島かさじまニコは自転車で走って行く。

 のんびりと走っていると冬の冷たい風が肌に当たって痛くて、乾燥しそうだなと特に自分が気にしそうもないことを思ってみる。今の所面白いことない高校一年はあっという間に過ぎ去っていくものだ。

 ふと足を止める。何か違和感があった。


「……なんだ」


 ふと目を向けるも、それはただの道路標識だった。30の青文字に、赤と白の円。その下に、同じ円に斜線付きがもう1つ。


「私も、こんな風にずっと突っ立っていたいなぁ」


 まいっか。

 そんなことを思うだけ無駄だと、再び頭は英単語の復習に気を取られていった。同時に自転車を再び漕ぎ始める。


 遥か後方でがこん、と音が聞こえたのは、誰かが収まりの悪いマンホールを踏んだのだと思うことにしていた。

 其時そのときまでは。


「ニコ。おはよー、元気?」

「私が元気じゃないのは日常茶飯事だと知っているでしょう」

「んわー冷たいよニコちゃん〜。ヒカリちゃんが可哀想だー」


 今私に話しかけてきた江川光えがわひかりは、入学初日から私に目をつけていたという。


「そのさらっさらの髪っ!なんて綺麗なんだと思って!」


 耳元で叫ばないで欲しかったぞ、ヒカリ……


「ねーねーニコ〜今日売店でチュロス食べよー」

「まだ朝なのに昼の話?」

「昼とは限らないぞニコチャン」

「嫌いじゃない」


 と、その時。


「か……笠島さん……」

「何?」

「これ……昇降口に落ちてたよ」

「ああ」


 私のハンカチだ。何故わかったのだろう。

 よく使っているし、そのせいか。


「わざわざありがとう」

「いえ、じゃあ僕はこれで……」


 今話しかけてきた彼は誰だろう。

 私は頗る記憶力が悪い。クラスメートの名前……人の名前に限るが。


「筒井クンか〜意外だね」

「? 何が?」

「だってあの表情、あの顔でバレー部だよ?でも背が高いからなぁ〜。そんなもんかね」


 筒井……?筒井直人つついなおとか。

 それにしてもあの表情あの顔とは、さすがに偏見がすぎる。

 気弱そうな見た目をしてバレー部。なるほど、確かに背が高かった。入学式の時に目立ったような目立っていなかったような。まぁいいや。


「意外とモテるらしいね〜。ニコは興味ある?」

「ない」

「即答だね」

「当たり前」


 そうやって駄弁って、適当に勉強して、放課後はまっすぐ帰宅。これが私の毎日だ。

 その日も自転車を漕ぎ、夕方の西日を横目に家に帰る……


 その、途中だった。


 がこん。


 今朝、聞いた音が、また耳に入ってきた。


「……何?」


 誰も答えない。


「誰かいるのか?」






「…………」


 長い沈黙の後。


「呼んだか?」


 声と呼んでいいのか、それは、

 金属が擦れるような。聞く人が聞けばとても不快な音だった。


 ありえないような話だ。


 本当に何にも興味がなく、具体的な趣味もなく。学校でだって、部活にも入らず。

 勉強しか取り柄がない、どうしようもない淀みを背負った私が、誰にも絶対に経験できないようなことを経験したのは。

 後にも先にも、その時だけだ。

 

 答えたのは道路標識だった。

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