4 街路樹と君
二人が珈琲店を出たのは8時半を回ってから。
車というのは密室のようなもの。出会って間もない女性と車内で二人きりになるには抵抗があったからだ。友人でもいればもっとスマートにことを運べた可能性もあるが、無理をしても良いことはないだろう。
早朝ほどではないが外は肌寒く、散歩をするには丁度いい気温。
陽菜もそのことを感じていたのか、街路樹を見上げ『綺麗ね』と言葉を漏らした。
戀はそんな彼女をチラリと見やり『君の方がずっと綺麗だ』と返しそうになったが、”いつの時代のトレンディドラマだよ”と心の中でセルフツッコミをして口を噤む。
彼女は薄いベージュ色のオーバーニットに黒みがかったオレンジのロングフレアスカートという秋の装い。肩から肘までダブっとしているものの、袖口が絞られており、その袖につけられた釦が良いアクセントとなっていてお洒落だ。そして黒のショートブーツが全体を引き締めている。
「戀くんは、その小説読んだことがあるの?」
”せっかく友達という関係なのだからフランクに話そう”と提案すれば彼女は快く承諾してくれた。
学生時代の1歳という年齢差は、社会人になるとまったく意味を成さない。自分よりも後から入社した者の方が先に出世することもざらにあるし、自分よりも随分年下の者が上司なんてことも当たり前だ。いつまでも年齢に依存して威張っていては社会から取り残される。戀は少なくともそのように感じていた。
しかし陽菜は自分よりも一つ上ということで立ててくれているのだろう。戀は友達という理由だけではないが、早々にその壁を取り払いたいと思っていた。
恋人や友人ならなおさら、年齢関係なく対等な立場であるべき。戀はそういった思想の持ち主ではあったが、それを陽菜に語ろうとは思わなかった。
「途中までなら読んだよ。事情があってその先は読んでない。読めないこともないけれど」
陽菜が問うのは例のコミカライズされるという小説の話。読んだと嘘をついても良かったのだが、感想を問われると困ると思った戀は正直に答えた。
「そうなの」
「興味があるなら読んでみたら?」
”読んだのか?”と質問した時とは明らかに声のトーンが違うことが気になったが、無難な提案をしてみる。提案はしたが読むも読まないも自由。
「そうね。あらすじを読んでから考えてみるわね」
その後は自然と図書館の話へと話題が移った。
「じゃあ、そのお兄さんを捜しに?」
「ええ。そうなの」
陽菜の兄はフリーライターで昨年の今頃、姿を消した。もちろん警察には捜索願をだしたものの照会のみでさがしてくれるわけではないし、事件性がなければ動いてはくれない。
兄の友人の中には、便りがないのは元気な証拠などという者もいたが、陽菜は諦めきれないでいた。そんな中、最近になってある場所に足繫く通っていたことが彼の手記によって判明。それが今二人が行こうとしている図書館なのである。
「あの日は会社帰りに図書館に行こうとしたのだけれど、途中で雨に降られてしまって」
「そうだったんだ」
駅方面に引き返してきたところ、行きには目につかなかった珈琲店を見つけるが、そこで陽菜は財布がなくなっていることに気づいたのであった。
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