第二話――始まる予感
しばらく、本当にしばらく歩いた。
この世界にも太陽はあるようで、それは丁度真上からムヤミを照らしていた。
転生直後の時間帯は朝だったらしく、街の中心へ歩く間に時は過ぎ、今は昼頃だろうか。
これまでで分かったことは王道異世界ファンタジーの世界観ということと、自分について何も分からないことのみである。
道中でふとポケットをまさぐってみると、五枚の硬貨らしきものが見つかった。価値が分からないので使いたくは無いと思いつつも、ふとこの世界の店に興味が湧いたムヤミは、途中でいくつか店に寄ってみた。
しかしそこで使われる文字は読めず、その値段も名前も分からない。そもそも見るだけなので店主に話を聞くのも気が引ける。
三度ほど、間違えて悪漢ひしめく酒場らしき場所に入ってしまった時は肝を冷やしたが、持ち前の逃げ足で追ってを巻くなどという一幕もあった。もしかしたらここは治安の悪い区画なのかもしれない。
とにかく、人の多い方へ向かえば何かイベントでも起きるかと期待して街の中央らしき場所へ向けて歩いている。
なぜ中央が分かるのかと言えば、遠くの方に高く聳える白銀と紺碧の城が見えるからだ。高台に上って街を見渡してみれば、城に近いほど建物のサイズが大きく、凝った装飾が施されている。もしこの国に貴族のようなものがあるなら、さっきまでムヤミの歩いていた場所は平民の街なのだろう。
その証拠に、進むに連れて亜人の数は明らかに減り、豪華な衣服を纏う人間や帯剣した兵士が増えた。どうやらここは人間が中枢の国らしい。差別主義者では無いが、転生しても人間であれたことは幸運だ。作品によっては蜘蛛やらスライムなんてこともあるのだから、条件が悪いと詰みだ。
神様的な存在からの説明もチート付与も、これまで暮らした記憶も無い現状が良いとも思わないけれど。
いつしかムヤミは顎に手を当て、思考をそのままぶつぶつと口から垂れ流して歩いてた。
ムヤミは考え事を始めるといつもこうだ。周りが見えなくなる。しかしそれでも、身に染みついた避ける能力はムヤミの意識とは関係無くあらゆる脅威を躱そうとする。
正面、大柄の兵士がいた。
地面を見ながらぶつぶつと不審なムヤミの前に立ち、その様子をまじまじと見ていた。向かってくるムヤミにゆるりと手を伸ばしたが、それはすんでのところで空を切る。
その鮮やかな体捌きに愕然としつつも、兵士は「そこのお方!」と背後へ回り込みまた歩き出そうとするムヤミに声を掛けた。
「ひゃい!」
背後から突如掛けられた声に身をはねさせ、悲鳴のような返事をする。
振り返って見れば、今のムヤミがうんと手を伸ばしてようやく鼻に触れられるかというような巨人が鎧姿で立っていた。
「な、なんなな、なんでしょうか」
ぷるぷると情けなく震えるムヤミを見て、兵士は跪き、兜を脱いだ。
ブラウンの髪色をした、頑健そうな男が柔らかな笑みを湛えてこう言う。
「すみませぬ、怖がられることは多いのですが、配慮が足りていませんでした」
実直な印象を受ける声色に、ムヤミは少し安堵を覚え、体の震えも多少収まっていた。正面を向くことはまだ出来そうになかったが。
「私はこの国の兵士団副長、ゴードン・マーティと申します。通りがかりに見た貴殿の様子が気になりまして、声を掛けさせていただきました」
そう言われ、また悪い癖が出ていたことに気付く。
「あ、えっと、僕は大丈夫です……。こうやって歩くの、癖……なので」
それに「ふむ」と鼻を鳴らしたゴードンはまじまじとこちらを見つめ言った。案外まつ毛が長く、丸い目をしている。
「空を見上げてください」
「そ、そら……?」
顔の横で人差し指を空に向けて言うゴードン。言われる通りに空を見上げる。太陽がまぶしい。
「ほれ、顔の影が落ちましたぞ」
そう言うゴードンを見ると、にっかり笑っていた。
「顔に闇を落とせば、心に闇が落ち、その人までも闇に落ちてしまうものです。だから少年。怖くとも光を見て生きなさい」
それは突然で、人からそんな生き様を教えてもらったことが無いムヤミには、それこそ眩しく照る太陽みたいな人に思えた。
しかしそんな感慨を言葉にすることもムヤミには出来ず、唖然としている表情を見たゴードンは膝を叩いて豪快に笑った。
「はっはっは! と言うのもですな、ここ数カ月程は人攫いが多く、貴殿のように見目が良く鬱屈とした、人と交流の無さそうな民はうってつけの標的な訳なのです」
「え、あ、え」
「それでは、私は人を探しておりますゆえ、これにて失礼致します。貴殿に光のあらんことを」
どうやらただの注意喚起をされただけのようだった。
それからもムヤミの小さな旅路はのろのろと続いた。
進むに連れて建物の並びは整理され、真っ直ぐ伸びる大通りが増えて馬車の通行量も最初の場所の比ではない。そしてここまで来ると亜人の姿はほとんど見当たらず、いるとしても街並みに引けを取らない身なりの者だけで、いよいよ貴族の街だなという感慨が湧いてきた。
ということはだ。今のムヤミの恰好は平民の街で溶け込める服装な訳で、ここでは異物なのだ。
ムヤミは限りなく壁際を、軒下をびくびくと歩き出した。
戻って空気のように溶け込める場所で空気になっていたい想い。
先に進んでどこかの偉い人に会うことで自分のことが分かるイベントを起こしたい想い。
これがライトノベルやゲームなら、主人公は無鉄砲に進まなければならない。そうしなければ何も起こらない困った作品になってしまう。しかしそれはムヤミに一番向かない立場でもある。
一体、ムヤミは何を期待されてこの世界に転生させられたというのか。
せめてそれさえ分かれば。それさえ……。
辺りを行き交う紳士貴族の面々が、いよいよムヤミを通報しようかと考え始めた頃、小さな地鳴りが起きた。
「ひっ……なに、なにこれ」
顔をうっすら上げてみれば、周囲を行き交っていたはずの人々は、大通りの中心で一つの人だかりを作っているのだ。
何事かと立ち上がったムヤミもまた、それに引き寄せられるようにして人だかりの最後列に並ぶ。
「ありゃ団長様だな。何か事件でもあったのか?」
そんな呟きを耳にしながら背伸びをするムヤミ。なんとか見えるのは馬に騎乗した兵士の一団。その中でも一際異才を放つ人物がいた。
甲冑を纏った馬に跨る、純白の騎士。目の覚めるような金色の頭髪を風に靡かせる彼は、これまで見た誰よりも整った顔立ちの美青年だ。腰に提げる剣なんてどうみても、そこらの兵士の持つものとは比べるべくも無い伝説級のアイテムであろうことが窺える。周囲に立ち並ぶ兵士が数多くいるというのに、衆目は彼に惹きつけられて止まない。
それほどに存在感の違いを示す青年は大きく口を開いて、何やら演説めいたことをやっているようだが、ここからではよく聞こえない。一体何を言っているのだろうか。重要イベントの伏線を逃したくはないが……。
そうやって背伸びをして前に進もうとしたムヤミを疎ましく思ったのか、正面の貴族らしきリザードマンが肩を回してムヤミを払った。ムヤミはそれをまたも無意識に躱し、予想した手応えの無かったリザードマンはバランスを崩して転んだ。
「え、え、え、あ、ごご、ごめんなさ……」
「てめえクソガキ! なにしやが……」
声を荒げて怒りを露わにするリザードマンだったが、ムヤミの顔を見た瞬間、訝しむような面持ちに変わる。舌をしゅるとちらつかせ、首を傾げながらムヤミの顔をまじまじと見ている。
「お前……」
その様子にムヤミもまた首を傾げて疑問を浮かべる。
そんな混乱に割って入る者がいた。
側の人だかりが割れる様にして開かれた。そこから現れるのは、鎧をかしゃと鳴らし歩く純白の騎士。演説の美青年。
立ち止まり、何も言い出さぬ彼の存在感はムヤミを俄然怯えさせた。
「あ、あ、あの、あのえっと、あ、あ」
もはや言語機能すら失ってしまったムヤミ。
そうやって立ち竦むムヤミの正面に立って彼はようやくとうとう、口を開いたのだ。
「……よかった。人攫いに連れ去られたかと思って心配していたんだ」
安堵したような様子の彼に、ムヤミは怯えながら違和を感じていた。だからなんとか、それを聞いた。
「あ、あの……あなた、は?」
その問い掛けに怪訝な表情を浮かべた彼は「まさ、か」と零して言った。
「忘れたのか……? 俺を、エーリッヒ・エルギニアを……」
呆然と、感情が追いつかないような面持ちで、彼はこう叫び出す。縋り付くようにして。
「髪色が違う程度でお前を間違えるものか、思い出せ。お前は俺の……弟だろうが! ――ジルヴァート!」
それはおそらく、この肉体の名であった。
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