第十話 黒猫と風鈴と

 チリリ……ン……

 チリリ……ン……

 

 風が吹いてきたみたいね。

 軒下に吊り下げてある、お椀を逆さにしたような小さな鈴。

 その鈴が、ふるふると震えているのが見えるわ。

 柳都の手のひらにおさまりそうな大きさで、透明なガラスで出来ている鈴。

 それがお日さまの光を反射しているものだから、真っ白に見える。

 ちょっと眩しいけど、あたし、その絵柄を良く覚えているのよ。

 それにはねぇ、青いお花の絵が描いてあるの。

 大きく開いた丸い形のお花で、葉っぱは広三尖形。

 それには細かく毛が生えているの。

 お庭に咲いている朝顔の花と全く同じ。

 あたしの大好きなお花よ。

 ねぇ、涼しそうな色だと思わない?


 チリリン……

 チリリン……


 その鈴の内側からぶら下がっている小さな短冊。

 それが、風に誘われてゆれている。

 それは、廊下に寝そべっているあたしの上で、くるくると回っている。

 そのたびに涼しそうな音が、耳の中に入ってくる。

 すごく心地良いものだから、あたしは寝そべったままううんと背伸びをした。しっぽも思いっきり伸ばして。

 この音は、ゆっくりと目を閉じて、いつまでも聴いていたくなるわ。

 ジリジリと、ただやかましく鳴くセミ達とは大違いよ。

 この音に良く似たスズムシ達の声が聴こえてくるのは、まだ当分先のようね。

 この暑さ、どうにかならないかしら。

 身体中が熱を持った感じがするし、頭がぼうっとしてきそうになる。


 すると、ぶううん……と大きな音がしたとたん、何か涼し気な風が、部屋の奥から吹いてきた。

 冷たずぎず、暑すぎず、丁度いい温度。

 その風が、あたしの毛を地肌からそっとなで上げてきたの。


 同じ方向から、足音もしてきた。

 

「ディアナ。部屋を冷やすのが遅くなってすみません。そこは暑いですから、早くこちらにおいで」


 穏やかな声が聴こえる。

 ああ、柳都の声だ!

 あたしはすくっと身を起こし、声が聴こえた方向へと足を動かした。

 すると柳都ったら、何故かまゆにシワを寄せているの。

 あらやだ。一体どうしたというのかしら?

 彼の美しい額にシワが残ったら困っちゃうわ!


「ディアナ。心地良いところで寝そべるのは構わないのですが、きちんと水を飲んで下さい。グルーミングだけでは足りませんよ。熱中症になったら大変です」


 ……しまった! あたしったら、またやってしまったわ!


 そこで気付いたあたしは、すぐ傍に置いてあった真っ白なお皿に目をやった。 

 それには、ひたひたになるほど入れてある、お水が風に誘われて小さなさざ波を作っていた。

 お皿に入れてあるお水に、全然手付かずだったのが彼にばれちゃった。


 ああん柳都、ごめんなさい。

 あたしのために、せっかくお水を準備しててくれたのに、そのまま放置しちゃって。

 この廊下のひんやりとした感じが好きで、あたしったら、ついうとうとしちゃったの。


「みゃぁう~……」


 すっかりうなだれちゃったあたしを、彼はその大きな両手で抱き上げたの。何かから奪い去るかのような勢いよ。あたし、びっくりしちゃったわ。



 部屋の奥の方は、廊下と違ってほんのり涼しい温度になっていた。あの音がした、クーラーと言う機械のおかげね。

 でも、人間と猫の体温は違うって、この前テレビで言ってたっけ。

 あたしは丁度良いんだけど、これって彼にとっては、暑くないのかしら?

 彼の腕の中で丸くなりつつも、ついつい気になってしまった。

 濡れたタオルで身体のあちこちを拭かれた後、そのままうとうとしてたんだけどね。

 

 机の上に置いてある真っ白なお皿。

 その中には、少しかさの減ったお水が入っている。

 言われた通り、あたしちゃんとお水を飲んだわよ。

 もちろん、眠っちゃう前だけど。

 だって、これ以上柳都に心配をかけたくないもの。

 体調だって、今はどうもないし。

 

 すると、上から優しいんだけど、どこか心を決めたような声が聞こえてきたの。


「昔に比べここ近年は酷暑になっていますから、アイスジェルマットかクールマットの購入を考えましょうか。そうすれば、あなたが寝そべっても大丈夫ですから」


 え? それって何?

 あたしがいつもの場所でごろごろしても大丈夫になるものなの?


 あたしは彼の顔をつい見上げた。

 銀縁眼鏡の奥から、榛色をした優しい双眸が、あたしの瞳を見つめ返してくる。


「あなたは心配しなくても大丈夫ですよ。冷え過ぎも良くありませんし、あなたに合わせていれば、体調を崩すことはありませんから」


 何か、また頭の中を読まれちゃったみたい。

 背中がなんだかむずがゆくなってきた!


「なぁ~ごぉ~!」


 柳都~心配かけてごめんなさい。

 あたし、今度からなるべく忘れないように、必ずお水を飲むようにするから!


 しっぽをぴんとまっすぐに立てて、ぷるぷるふるわせたあたしの頭を、彼はその大きな手で優しくなでてくれたの。

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