第2話 兄の嘆願

歓迎の宴の最中。

前カルムクライン夫婦の長女リディルレーネは実兄の部屋で兄を看病していた。


「お兄様、体調はいかがですか」

今日は一段と顔が悪い気がする。


「リディ、よく聞いてくれ」

兄バイリムートが静かに妹の名を呼ぶ。


リディルレーネは兄の顔を覗きこむ。息が浅い。


「僕はもう長くない」

その言葉に彼女は唇を引き結ぶ。


「……そんなことはありません。お兄様なら大丈夫です」

「気休めはいい」

兄はハッキリと彼女の言葉を切り捨てた。


その言葉に彼女は何も言うことが出来ず、兄を見つめる。


「アインズビル領主一行が来ている今がチャンスだ。嘆願書を書いた。これを持って、リディを引き取ってもらえるよう交渉してきなさい」

兄は書簡を渡す。


「……嫌です。お兄様と一緒がいいです」

彼女は絞るように声を出す。


分かっている。分かっているのだ。兄はもう長くない。叔父家族がカルムクラインを乗っ取ってから、徐々に兄は衰弱していった。毒を盛られていたのだ。


「リディ、君はよく分かってるはずだ。兄を困らせないでくれ」


その兄の言葉にリディルレーネは悲痛な顔をする。


「おいで、リディ」

バイリムートは片手を上げる。


彼女は顔を近づける。泣きそうな顔だ。

彼女の頬に手を添えるバイリムート。


「今までよく頑張ってくれた。カルムクラインは没落する。そんな所に君を置いてはおけない。連座確実だ。だから君だけでも逃げてくれ。僕とリディで調べ上げたこの嘆願書があれば、交渉の材料にはなるだろう。リディ、今までありがとう。君の幸せを願ってるよ」


バイリムートは彼女の頬を撫でながらそう述べた。

彼女は涙がこぼれ落ちてくるのを止められない。


「お兄…さまっ…」


「アインズビル領主は謹厳実直な方だ。事情をいくらか考慮してくれるだろう。だけど、君から上手に立って交渉してはいけないよ。あくまでこちらは保護してもらう立場だから」


「……そのような話は聞きたくありません……」

リディルレーネは鼻をすする。


「いいや。聞くんだ。もうこの機会を逃せば、カルムクライン領への視察は1年後だ。その時にはもう僕はいない。君を守れない」


残酷だけれども現実を教える。

大事な妹を守りたい。


「……わたし…は、どうすれば、いいの、ですか」

途切れ途切れだが、彼女は言葉を紡ぐ。


「まずは申し上げないといけないことがあることを述べなさい。それを材料にして自分の連座を回避しなさい。証拠と引き換えに自分を預かってほしい、と。義弟のグレイザック様は魔法陣の研究など魔法のことに大変興味がある。君が考察した物を見せるのも手だろう。あちらには君の保護者になる利点が全くない。だから、庭師でも使役獣番でも料理人でも何でもいい、住むところとご飯だけは与えて欲しい、と」


彼は苦しそうに言葉を続ける。


「ここ1年はまともにご飯も食べれていないだろう?」


(住む場所があってご飯があるなら、平民でも何でもいい)

彼女はぐ、と顔を上げて、涙を拭う。


「……わかりました」


「良かった。では最後に命じる。……幸せになりなさい」

バイリムートは力なく微笑んだ。


「お兄様、助けにきますので、どうか、どうか、生き延びてください」

彼女は嘆願書を握りしめる。


「ありがとう、リディ。……さあ、行くんだ!!」


兄の言葉に背中を押され、彼女は嘆願書を持って部屋を出た。

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