第7話 後宮妃


 こうして、凜月の『欣怡シンイー妃』としての生活が始まった。

 欣怡は、ある属国の王の遠戚の娘で、皇帝へ献上されたことになっている。

 もちろん、実在しない人物だ。

 それなのに、こんな簡単に後宮に入内できるのが凜月は不思議だったが、自分の娘や親戚の女性を献上するのはよくある話とのこと。

 

 現在、後宮には百名ほどの妃嬪がおり、皇帝の寵愛を巡り日々しのぎを削っている。

 すべての妃嬪に皇帝のお通りがあるわけではなく、入内後一年経っても夜伽のない者は実家に帰される。もしくは臣下へ下賜されるのが慣例だ。

 そのため、常に妃嬪の入れ替わりが行われている。

 

「そんな方々の争いも憂いも、『欣怡妃』には関係のない話ですから平和そのものですね~」


 朝餉朝食のあと、出かけるまでの空いた時間に奉納舞の稽古をしている凜月へ気安く言葉をかけたのは、欣怡妃付きの侍女となった瑾萱ジンシュエンだ。

 歳は十八歳で、胡家(宰相の家)に長年仕える使用人の娘である。

 本来、妃嬪と侍女は主従関係となるが、同い年ということもあり凜月は友人のように接してほしいとお願いをした。 


 瑾萱は、宰相からの信頼が厚い。

 だからこそ、今回凜月の侍女に抜擢されたのだが、当の本人は「旦那様(宰相)から、事情持ち訳アリの妃嬪様の面倒ばかりを押し付けられてきた」と愚痴っている。

 


「他の妃嬪様たちから目を付けられないように、目立たないように、入内してから宮の外には一歩も出ていないからね」


 欣怡妃は『異国での生活に馴染めず、精神的に不安定な状態にある』ことになっている。

 体調不良を理由にお茶会などの誘いもすべて断っているため、表向きは真正の引きこもりだ。

 事前の取り決め通り皇帝のお通りはないため、「陛下に見向きもされない、可哀想な妃嬪」とか「一年を待たずに、実家へ帰される出戻り妃嬪」などと噂されているらしい。

 もちろん、凜月が噂を気にすることは一切ないが。


「凜月様は宦官ではなく官女として働けば、いずれ良い出会いがあるかもしれないのに、本当にもったいないです!」

 

 瑾萱の夢は、高位の官吏を射止め妻の座に納まること。しかし、現実はなかなかに厳しいようだ。

 

「私は、出会いよりも植物と触れ合っているほうが楽しいけど」


「でも、わざわざ泥だらけになる仕事を選ばれなくても……」


「瑾萱、おまえのくだらない考えを凜月様へ押し付けるな」


 会話に割り込んできたのは、宦官の浩然ハオラン。二十四歳。

 彼もまた宰相からの信頼に厚い人物で、欣怡妃付きの護衛官となっている。


「くだらなくない! 女としての幸せを望んで何が悪いのよ!!」


「宮中にいる女は、そんな考えの者ばかりだな。高位の官吏の前で、色目を使ったり」


「私は、そんなことはしていません!!」


「どうだか……」


 二人の言い合いが今日も始まった。もはや、この宮の日常風景となりつつある。

 しかし、本当に仲が悪いわけではないから、凜月はいつも微笑ましく眺めてしまう。

 浩然も事情持ち妃嬪担当のようで、二人は戦友みたいな関係なのだろう。

 凜月の宮に使える使用人は、この二人だけ。情報の漏洩を防ぐため、少数精鋭を揃えた結果とも言える。

 

子墨ズーモ様、そろそろお時間ですので参りましょう」


「はい」


「いってらっしゃいませ!」


 瑾萱の元気な見送りを受け、凜月は浩然と一緒に宮を後にした。

 今日から、『妃嬪の欣怡(十八歳)』ではなく『少年宦官の子墨(十六歳)』としての新たな仕事が始まる。


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