第5話 宮殿へ


 峰風フォンファンと同じ馬車に乗せてもらった凜月リンエは、窓から都の景色を眺めていた。

 月鈴国に居たときは自由に外出ができなかったこともあり、異国の都の風景や様式の異なる建物などが物珍しく興味をひかれる。

 市場でも、目に付いた美味しそうな食べ物をついつい買い食いしてしまったほどだ。

 

「先ほどから熱心に外を見ているが、あちらの都とそう大差はないだろう?」


「いいえ。こちらの都のほうが、賑わっていると思います」


 これは、お世辞ではなく凜月の本心だ。

 月鈴国の都より明らかに街中に人が多く、とても活気がある。

 機会があれば、都内の名所なども見て回りたい。

 

「そ、そうか」


 向かい側に座る峰風は、少し誇らしげに微笑んだ。それに、ちょっと嬉しそうにも見える。

 凜月よりも年上の峰風は、キリっとした精悍な顔つきをした大人の男性だ。

 それなのに、静かに喜んでいる様が可愛らしいなと思ったことは凜月だけの秘密。


 大市場の会場から宮殿までは、馬車での移動ならあっという間だった。

 凜月が二日連続で門前払いをくらった門も、峰風が帯に付けた佩玉はいぎょくを門番に見せるだけであっさりと通行の許可が下りる。

 

 商会の店主からは、峰風は高位の官吏だと聞いた。

 市場で大勢の衛兵を指揮していたのだから、凛月はそこで気付くべきだった。

 何も考えず気安くものを尋ねてしまい、結果こうして面倒をかけている。

 しかし、平民の凜月に対し峰風が気分を害している様子はない。

 

(お育ちの良い、良家のご子息様なのかな?)


 自分が本当は女であることを峰風へ打ち明けるかどうか迷っているうちに、宮殿に着いてしまった。

 「行くぞ」と促されるまま馬車を降り、峰風の後ろをついて行く。

 周りは官服を着た文官や武官、官女ばかりで、平民服の凜月はかなり目立っている。

 頭一つ背の高い峰風の陰に隠れるようにして、凜月は歩いていった。



 ◇



「こちらで、少し待っていてくれ」


 大きな建物の応接室に凜月を案内した峰風は、書簡を手にすぐ部屋を出て行く。

 入り口の扉の前には、厳めしい顔をした武官が立った。

 

 室内には艶やかな色彩を放つ壺が置かれ、趣のある掛け軸がかけられている。見るからに価値がありそうな物だ。

 異国の文化に触れることができる貴重な機会。凛月としては、待っている間にぜひとも間近で鑑賞したい。

 しかし、武官の鋭い視線を全身に感じ席を立つことができない。

 結局、凛月はおとなしく椅子に座ったままじっとしていた。


 一時二時間ほど待たされたところで部屋に入って来たのは、官服を着た中年の男性。後ろには峰風もいる。

 男性は凜月を見て笑顔を浮かべると、峰風と武官に下がるように命じた。


「よろしいのですか? 護衛官だけは残されたほうが……」


「問題はない。彼と少々込み入った話をするから、この部屋には誰も近づけぬように」


「かしこまりました」


 凜月をちらりと見やってから部屋を出て行こうとする峰風へ、慌てて声をかける。


「峰風様、この度は大変お世話になり、ありがとうございました」


 立ち上がり、深々と頭を下げ礼を述べる。

 もし今日彼と出会っていなければ、凛月はこれからも毎日宮殿へ出かけては門前払いをくらっていただろう。


「俺も君に世話になったから、お互い様だ」



 峰風たちが部屋を出て行くと、男性は「大変お待たせいたしました」と詫びたあと、懐から書簡を取り出した。


「さて、まずは大事な確認を。そのような恰好をされていますが、あなたは女子おなごで間違いないですか?」


「はい。自衛のために男装をしておりますが、私は女です。峰風様には『子墨ズーモ』と名乗りましたが、本当の名は『凜月リンエ』と申します」


 峰風に名を聞かれ、とっさに出てきたのが商会の主人の子息の名だ。

 子墨は『泰然自若な男の子』という意味があると、先ほど聞いた。

 たしかに、旅立つ際に挨拶をした子息は、凜月とは違いその名の通り落ち着いた人物だった。

 それなのに、自分に似合いの名だと言われ、本人に申し訳なさを感じてしまった。


「私はフー劉帆リュウホといいまして、この国では宰相を務めております」


「さ、宰相様……」


 紹介してもらった人物が、まさかこんな大物だったとは。

 どおりで、門番に取り次いでもらえないはずだ。

 凜月の背中に、ひやりと見えない汗が流れた。

 

の御方と私は、親戚関係にあるのです」


「そうでしたか」


「書簡によれば、この国で職を探されているとか。職種や条件など何かご希望があれば、教えていただきたい。あの方も、『ぜひ、よしなに』と仰っておられますので」


 皇太后は、そこまで書いてくれていたようだ。

 心の中で感謝をしつつ、凜月は自分の希望を述べる。


「できましたら、植物に関係した仕事に就きたいです。作物の栽培とか、庭園の管理などです。あと、住み込みで働けるところであれば有り難いです」


 凜月は八歳のときに孤児院から宮廷に引き取られたため、世間一般的な暮らしの経験がない。

 自身の身の回りのことや家事などはできるが、生活をしていく上での手続きなどの一般常識が抜けている。

 ここは他国なので、生活に慣れるまでは住みこみで働かせてもらいたい。


「そういえば、豊穣の巫女様はあらゆる植物をつかさどる豊穣神様の化身と言われておりますな。ですから、植物に関係した仕事を希望されるのですね」


「いえ、特にそういうわけでは。それに、私は巫女ではなくただの巫女見習いです。見目も、他の巫女見習いとは異なっておりますし」 


「それでも、豊穣神様から神託を受けられたことに違いはございません」


 宰相は、凜月の左手に視線を向ける。


「噂には聞いておりましたが、本当に『麦の穂』のような形をしているのですな」


「宰相様は、『証』をご存知でしたか」


「はい。部屋に入ってすぐに、左手を確認させていただきました」


(なるほど)


 だから、書簡も凜月も偽物だと疑われず、話がすんなりと通ったのだと納得。


「ご希望を伺った上で、ぜひこちらからお願いしたい職がございます」


「それは、どのようなものでしょうか?」


「凜月様は、『後宮妃』と『宦官』になるおつもりはありませんか?」


「……はい?」


 宰相の口から飛び出したのは、びっくり仰天の提案だった。



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