第2話 追放
稽古場に煌びやかな衣装で現れたのは、
歳は凜月の一つ上の十九歳。高位官吏の娘だ。
「
孤児だった凜月とは違い、桜綾は生粋のお嬢様。そして、何かと凛月を敵視してくる面倒な相手でもある。
「あなたは、髪色も瞳も地味な黒。手の甲の証だって、薄くて貧弱だもの」
桜綾の言う通り、凜月の証は知らなければそれとわからないほど薄い。ある日突然消えていても、誰も気付かないだろう。
しかし、あの日の夜だけは違った。
月明かりに反応し証が光を放っていたなど、口が裂けても言えない。
「桜綾様、恐れながらわたくしは巫女見習いで終わりたく存じます。さすれば、希望の職に就けますので」
たとえ巫女に選ばれなくても、これまでの貢献に対しての
この好条件のために、これまで頑張ってきたと言っても過言ではない。
凛月は、昔から植物を慈しんできた。
さすがに巫女見習いの立場上宮廷で畑仕事はさせてもらえなかったが、暇があれば庭師と一緒に花壇の手入れなどをしていた。
庭園の管理をする。もしくは、作物を育てる。植物に関係した仕事がしたいと、ずっと考えていた。
もし、また中途半端に姿が変わってしまうのであれば、人目に付かない田舎に生涯引きこもっていたい。
のんびり作物を育てながらの自給自足生活も、悪くはない。
凜月のように、次の職を求める者は稀だ。元巫女見習いというだけで、嫁の貰い手は引く手
師も巫女を退いたあとは望まれるまま高位官吏へ嫁ぎ、跡取りを立派に育てあげた。
未亡人となった現在は、後進の指導に情熱を注いでいる。
「ですから、どうかわたくしのことはお気になさらず」
「なんですって!」
桜綾の顔が真っ赤に染まった。
つい本音をぶちまけたところで、彼女を怒らせてしまったのだと気付く。
今回、豊穣の巫女に選ばれた者は皇族との婚姻が決められており、桜綾がそれを一番に望んでいることは皆が知る事実。
それなのに「私は(皇族へ嫁ぐよりも)好きな仕事がしたいから、あなたは私に構わず(早く巫女に選ばれるように)頑張ってね!」と遠回しに言ってしまったのだ。
口は
しまった!と思っても、後の祭り。
「ちょっと、あなた! 元孤児の分際で!!」
扇を手に、桜綾が恐ろしい形相で向かってくる。
二人の歳が近いせいか、凛月は昔から何かと絡まれてきた。
元々の身分が違うのだから放っておいてほしいと、いつも思う。口には出さないが。
ものすごい剣幕に身の危険をひしひしと感じるが、おとなしく扇で打たれる気はさらさらない。
(手元に鍋の蓋でもあれば、武官のように盾にできるのに……)
凜月に武芸の心得はないが、扇を弾くことくらいはできる。しかし、今手にしている模造刀では刃傷沙汰になってしまう。
盾の代わりになるような物がないか、辺りを必死に見回す。
そこへ、時機よく官吏がやって来た。
「失礼いたします。先ほど、神託が下りました」
この神託が、その後の自分の人生を左右するものになろうとは。
このときの凜月は、知る由もなかった。
◇◇◇
それから数日後、凜月は隣国へ向かう商隊の荷馬車に乗っていた。
隣国で半年に一度開かれる大市場へ出店する商会の一員として、同行している。
◇
神託で次の巫女に選ばれたのは、桜綾だった。
凜月は希望通りのことに喜んだが、その後まさかの展開が待っていた。
これまでの言動が(次期)豊穣の巫女に対する侮辱罪として、国外追放処分となってしまったのだ。
嶺依は「根も葉もない言いがかりだ!」と異議を唱えようとしたが、師へ累が及ぶことを恐れた凜月が必死で止めた。
桜綾の個人的な恨みをここで晴らされたのは間違いない。高官である父親の影響力も働いたのだろう。
抗議したところで決定が覆るわけもないと、凛月は粛々と処分を受け入れる。
もう、これ以上桜綾に関わるのが面倒だった。
同じ国に居れば、これからも嫌がらせを受けることは火を見るよりも明らか。
ならば、ここですっぱり縁を断ち切り、心機一転、他国でやり直そうと考えた。
なぜか皇族への不敬罪でも処罰されるところだったが、皇太后の取り成しでそちらは撤回されたと嶺依からは聞いた。
おかげで、財産は没収されず、俸禄はきちんと受け取ることができ、さらに、隣国で職に就けるよう紹介状まで頂いてしまう。
隣国から
嶺依と皇太后は古くからの友人で、その関係で凜月も二回ほどお茶会に招かれたことがある。
女性皇族の頂点に立つ皇太后は、孤児だった凜月に対しても優しく接してくれた。
嶺依は「これくらいしか、凜月の力になれなかった」と嘆いたが、ここまでしてもらった凜月は感謝の言葉しかない。
二人の顔に泥を塗らないよう、隣国で精一杯働こうと決意を新たにしたのだった。
◇
「凜月様、明日には国境を越えます。今夜が、
「そうですね」
商会の店主の声に、凜月は宿の部屋から月の出ていない夜空を眺める。
今日は新月だ。
彼の店は都内では一流店として名を馳せる大店で、皇太后が長年贔屓にしてきた。
女の一人旅は危険だからと、ちょうど隣国へ行くこの商隊を紹介された。
店主だけが凜月の事情を把握しており、彼の親類の娘として同行させてもらっている。
「隣国の
「それは楽しみです」
十八年間暮らした国を出て行くのに、凜月に悲愴感はまったくない。
どちらかといえば、新たな希望に燃えていると言ってもいいくらいだ。
もう、過去は振り返らない。
前を向くと決めたのだから。
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