第26話 拭えぬ過去の傷②

「ねえ、シエン。カリーナさんのお願い、聞いてあげたら?」


 家に戻ったミレイはぽつりと呟いた。


「………お前、カリーナさんに何吹き込まれた?」

「べつにぃ」


 にこにこと笑う彼女にシエンは呆れてため息が出る。

 カリーナは国興しを狙っている。

 それがいかに大それたことか、事の重大さが彼女はきっとわかっていない。


「あのなぁ。あいつがやりたいことは自分の家の復興だ。関わったらロクなことにならねェよ」

「でも、お姉さまって素敵な人じゃん。この町で憲兵するよりも、手伝ってあげた方がシエンのためにもなると思うんだけどなぁ」


 やっぱりわかっていない様子だ。


「………俺は今の仕事に満足してる。座ってりゃ給料が出るいい仕事だ。ここの管轄は俺一人だから居眠りしてもなンも言われねえ。頑張って戦ったおかげでこんな楽な仕事につけた。不満はねェよ」

「本当に?」


 ミレイはシエンの顔を覗き込む。

 薄茶色の大きな瞳に見つめられるが、シエンはすぐに視線をそらした。


「本当さ」

「うそつき。」


 いつもは間延びした彼女の話し方が一変する。


「ウチはね。シエンが従軍したの、この町が戦場にならないためにって知ってるんだからね。それにそんな無気力な人が、セレーネさんが無実だって証明するために、二年も頑張り続けるなんて絶対できっこないでしょ」


 シエンは目を見開いた。


「…………なんで、ミレイがセレーネのことを知ってるんだよ」


 なぜなら、シエンはセレーネの話を、ミレイに一度もしたことがなかったからだ。


「ごめん。シエンが話してくれるのを待つつもりだったんだけどさ……カリーナさんから聞いたの。トレドの街の出来事と、セレーネさんのこと」

「じゃあ、聞いたならわかるはずだ。あの一見は下手に知りすぎたら、ミレイの身だって危ないんだ。俺はそういうことに首を突っ込んでいて……」

 しどろもどろになるシエンを見て、ミレイは「あのねぇ」と切り出す。


「気遣いは嬉しいよ。でもさ。だからといって全部隠されると、余計に心配なんだけど」

「……ごめん」

「いいよ。昔からシエンは隠すし平気で嘘つくからね。慣れっこ。それに戻ってきた時のあの落ち込みぶり。トレドの町でセレーネさんのことについて、手がかりをつかんだけど……王都で何かあったんでしょ」


 何から何まで見透かされており、シエンは身をこわばらせる。


「シエンはすごい人だよ。昔からヒーローみたいでさ。ウチが昔、いじめっ子たちにとられた本を取り返してくれたり。海で溺れた人助けるために、すぐに飛び出したりさ。大人になっても変わらない。今じゃ神器戦争を終わらせた救国の英雄なんて呼ばれてる。でも、結局一人でできることなんて限界があるでしょ。今がその限界の時なんじゃないのかな」


 ミレイの言うことは、一理ある。

 シエンはそう思ったが、同時にこうも考えた。


 カリーナさんは条件を出せば二つ返事で協力をしてくれるだろう。

 だが、それはできない。


 トレドの街の一件で、帝国の内部に皇帝暗殺事件の犯人はいると睨んでいる。

 そいつらは、正体に勘づき始めたシエンに対して、確実に始末しに来るだろう。

 自分がいくら狙われるのはいい。

 しかし、シエンには懸念している点があった。

 相手が自分を落とすために、周囲の人間の命も狙ってくることだ。


 華美すぎヴァーミリオンと同じように、相手が自分の大切な人質にとって来ることは想像に難くない。


 もし仮に、家族のミレイやカリーナさんが人質に取られてしまったら。

 誰かの命を犠牲にする場面に出会ったら、俺はきっと、見捨てることはできない。


 だからこそ、これ以上親密にされるわけにもいかない。

 彼女は性格こそアレだが、必要としてくれている人間は沢山いるはずだ。

 自分のヤボ用に、そんな人を巻き込むわけにはいかない。


 それに。

 もしバディを組んだとしても、俺はきっと守れない。


 あの日、俺はセレーネの足を引っ張ったように。


 誰かとバディを組んで戦うことはもうしない。

 セレーネを死なせたあの日から、心にそう決めた。

 もう誰も、俺の目の前で死んでほしくないから。


「…………ダメだよ。俺は誰も巻き込みたくない」


 それだけ言うと、シエンは自室に入りドアを閉める。

 一人リビングに取り残されたミレイはため息を着いた。


「……なんか腹たってきたわ。シエン君、年下なんだけどあの達観したというか、悟ったと言うか。あのスカした感じっていうの? 本当に気に食わないのよね」


 ミレイが振り返ると、そこにはカリーナがいた。


「あら、お姉さまいつからそこに?」

「さっき帰ってきたところ。気まずくてね。全部聞いちゃった」

「まあこの通りでしてー……」


 ミレイは苦笑いをした。


 カリーナはシエンの自室のドアを思い切り叩いた。

 まるで戦場で鳴らす太鼓がなったかのような音が鳴り響く。


「開けなさい!! シエン君! さっきの全部聞いてたんだからね!」

「ああまってまって。逆効果ですよ。アイツ頑固ですから。北風と太陽と同じで、北風作戦じゃ響かないですってばぁ~」


 ミレイの必死の制止により、シエンの自室の扉を蹴り破る寸前でカリーナは動きを止めた。


 シエンはふて寝したのか、扉の奥から反応は帰って来ることはなかった。

 カリーナを必死になだめて、テーブルに座らせてからミレイは口を開いた。


「カリーナさん。改めてお願いです。あいつを連れてってください」


「………いいの? ウミガラス商会の仕事は用心棒よ。荒事も多いと思うけど。もっと危険な目にシエン君をあわせるかもしれないわ」

「良いですよ。シエンはあの戦争からも帰ってきました。それくらいなら、ウチはシエンを信じてます」

「確かに彼、頑丈よね」


 ふたりは顔を見合わせて笑った。


「それに。お姉さまになら、あいつの治療をお願いできます」

「治療?」


 カリーナは首を傾げた。


「それならお医者さまのミレイちゃんの方が適任じゃない?」

「いいえ。シエンの傷は、きっとお姉さまにしか治せませんよ」

「そうなの?」

「はい。この診療所、もともとウチのお爺ちゃんのものだったんですよ。お爺ちゃん、凄腕の医者で。神医だなんて呼ばれていたそうです。一目見れば病気を言い当て、手術させれば絶対成功。ただ、そんなおじいちゃんでも、治せなかったものがあります」


「そんな凄い医者が、何を治せないのよ?」

「心の傷です」

「こころの、きず?」


 聞きなれない言葉に、カリーナは眉間にしわを寄せる。


「はい。お爺ちゃんが言っていました。心の傷は医者の手じゃ治せない。心は壊れてしまうと、二度と戻らないし特効薬がない。ウチらができることは、自然に治っていくのを見守るしかない。心の傷は穏やかに、時間をかけて寛解させていくしかなくて、きっかけが無ければ寛解すらもありえない。最悪の病です」

「そう…………」

「戦争による心理的負担で性格が変わる人がいるように、シエンも変わっちゃったんですよ。あいつ、本当はもっと大きい声で………笑うんですよ」


 伏し目になるミレイの目が少しばかり潤んだが、すぐに目元をぬぐって続けた。


「それが一カ月前。トレドの町から帰ってきたとき、あいつが久しぶりに笑っていたんです。昔みたいに。その時、思ったんです。やっと、『きっかけ』が見つかったんだって。もし、お姉さまがきっかけなら。シエンのことをお願いしたいです」


「私、手加減なんてできないわよ。荒治療になるけど」


「かまいません。ウチは、こう思ってます。医者の仕事は人を治すことじゃなくて、傷を癒す補助をするものだと。医者がいなくても、その人の人生は続きます。自分で、立って、歩けるようになる。その人自身の治癒力で治るようにする。そのためには、病巣の根幹から治療するしかありません…………だから、お願いします」


 そこまで言い切ると、ミレイは深々と頭を下げた。


「なるほどね。お姉さまに任せなさい!」


 カリーナは胸を叩き、にっこりと笑った。


「お願いします。それに………知ってしまった以上。傍観してるだけはもう、嫌なんですよ」


 そう言うミレイの目は、とても悲しげだった。

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