死神の数字

名取信一

第1話

大学時代の私は大学の天体観測サークルに入っていて、定期的にみんなで郊外の公園へ向かい、望遠鏡で星を観察していた。特に大学2年の時の夏合宿では25年ぶりに地球に接近したエドモンド彗星の観測が目玉だった。原っぱに寝転がり、満点の星空の中で彗星を見上げるという体験は格別である。満天の星空の中、白と青の綺麗な尾をなびかせる彗星には悪魔的な魅力を感じたものだ。同期や先輩・後輩ともすっかり仲良くなった。典型的な今を楽しむ文系大学生だったわけだ。


 あの出来事が起きたのは大学2年の頃の冬だった。その日は夜の8時ごろから岡島と予定が入っていた。岡島が宅飲みをしようというのである。岡島は天体観測サークルの同期だ。授業が長引いてしまったので、私は「悪いけど少し遅れる」と岡島に連絡した。すると岡島からメッセージが帰ってきた。

「俺のバイト先の友達と飲む予定がダブルブッキングしてしまったみたい。ごめん。ワンチャン一緒に飲み会しないか?」


 岡島は確か渋谷のバーでアルバイトをしていたはずだ。バイト仲間がどんな人間かは知らないが、適当に話を合わせて飲めば盛り上がるだろう。相手がどんな人間なのか若干気にしながらも、私は岡島の暮らしているマンションへ向かった。


 岡島の部屋に上がり込むと、彼のバイト仲間という男が先にくつろいでいた。彼は坂巻と名乗った。私たちと同じ大学2年で、中堅の私立大学に通っているらしい。顔立ちは整っており、髪を茶色く染めていて、ホストのような見た目の男だ。大学2年とは言っているが、バイトに明け暮れて留年を繰り返しているらしい。焼酎を飲みながら取り留めもない話で盛り上がっていると、すぐに打ち解けることができた。


 くだらないゲームで飲み会を楽しんでいると、岡島の彼女である瑞希も合流した。彼女は天体観測サークルの後輩で、明るく染めた髪とスレンダーな体型が魅力の美女である。夏合宿では、彗星を望遠鏡から覗き込みながら2人がいちゃついていたのが印象的だった。あの辺りから2人は付き合っていたらしい。岡島のようなうだつの上がらない男と付き合って面白いのかは分からないが、2人は半年ほど交際を続けていた。少し頼りないけど、優しいところが岡島の魅力だと言っていた。


 瑞希はかなりの酒豪だ。彼女のグラスが空くと坂巻はすかさずグラスに酒を継ぎ、彼女はそれを豪快に飲んだ。なんともテキパキとした手つきだ。坂巻の洗練された動きに私はすっかり感心してしまった。一方の岡島は焼酎の瓶を握りしめてフラフラしている。いつものように飲みすぎたらしい。夏合宿の時もそうだった。相変わらず間抜けなやつだ。私は岡島を揺さぶってトイレに連れていき、吐かせた。


 宴もたけなわになり、時計を見るともう10時を過ぎていた。終電は12時だ。もう少し会話を楽しんだら帰りの支度をしなければと私は思った。すると、坂巻が口を開いた。「バーの常連から教わった面白い占いがあるんだけど、やってみない?」


 私は占いの類いは信じていなかったのだが、酔った勢いというのもあり、面白そうだと思った。瑞希も興味津々のようだった。岡島はやっと酔いが冷めてきたらしい。坂巻はカバンから紙とペンを取り出すと、50音のカタカナと0から9までの数字を書き始めた。


「必ず当たる占いらしい。オカシラ様という死神と交信できるんだって」

 坂巻はそう言うと、ハサミで紙を切り抜き、4つのヒトガタを作った。


「コックリさんみたいに4人でヒトガタを触って少しずつ動かすんだ。4人じゃないとできない。4は死神の『シ』だかららしい」


 坂巻の言う通りに私達はヒトガタに触り、占いを始めた。「まずは俺からやってみるよ」と坂巻は言い、頭の部分に自分の名前を書いた。坂巻は自分の髪の毛を抜くと、ヒトガタの首に巻き付けた。「こうするとオカシラ様に自分が認知されるようになるんだ」


 4人でヒトガタを触ると、坂巻は唱え始めた。


「オカシラ様、オカシラ様、私達に答えを与えてください」


まるで指が魔法にかかったように人形はスイスイ動き、文字を指し示した。


「72」


 ただ数字が示されただけだった。「何だこれ?ラッキーナンバーか何かか?」と岡島は不思議がった。「次は私がやってみていい?」と瑞希が言った。


 結果は似たようなものだった。指し示された数字は「69」だった。これは本当に占いなのだろうか?数字の解釈を行えば運勢がわかったりするのだろうか?


「あれ、おかしいな。数字しか出てこない。やり方が間違っているか、調子でも悪いのかも」

 坂巻は不思議な顔をしている。すると岡島が言った。「もう1回、今度は俺が試してみていいか?」


 岡島が占いを試してみても、結果は似たような感じだった。提示された文字は「22」だった。「なんだこれ、意味わかんねえ」岡島はしらけた表情をしていた。


 最後に私が占いをやろうとした時、瑞希が「時間、やばくない?」と叫んだ。私は時計を見て驚いた。もう時間は12時近い。終電を過ぎてしまいそうだ。瑞希や坂巻も慌てて時計を覗き込み、慌てて帰り支度を始めた。占いの続きは気になるところだったが、それどころではない。私は一目散に最寄り駅に向かった。


 結局、あの占いが何なのかは釈然としないままだった。知らない人間に訳の分からない占いをさせられ、結果が分からず終わっただけだ。それにもかかわらず、あの不気味な占いは妙に記憶に残る出来事だった。





 月日は流れ、私は大学4年生になっていた。周囲の同級生は次々と就職を決めていった。私も運良く最近人気のコンサル会社に内定することができた。あの高い倍率の中で良く内定したと思う。採用担当の人と偶然馬が合ったからだろう。他の同級生も銀行や広告代理店といった就職先に次々と内定していった。


 しかし、中には何社も何社も受けて一つも引っかからないという学生がいる。岡島もその1人だった。最初は「銀行はオワコン。これからはGAFAの時代だ」と言っていたのだが、GAFAはもちろん銀行も全滅という状態だった。今度は「レベルを下げてホワイト企業を目指す」と言い始めたが、大半の会社は選考が終わっており、二次募集も全滅していた。


 就活が一段落して岡島と会った時には、彼の周りに重苦しい空気が漂っていた。就活の苦戦ぶりを考えると無理もないだろう。私は掛ける言葉が見つからず、会話は弾まずに終わった。


 私が岡島との会話を気まずく感じた理由はもう一つある。当時の私は瑞希に惚れていたのである。その時の瑞希は岡島との関係が悪化していた。岡島は瑞希に暴力を振るう時もあったらしい。瑞希はこっそり私にメッセージを送って他愛もない相談を行っていた。少し後ろめたい気持ちもあったが、瑞希の魅力が私の中で上回った。私と瑞希は定期的に密会するようになった。彼女は岡島に愛想を尽かしており、私の方に気があるようだった。


 結局瑞希は岡島と破局し、私は瑞希と正式に付き合えることになった。当時の私は高揚感でいっぱいだった。ただ、サークル同期内での乗り換えなので、なにかと気まずい。卒業するまでは他の同級生には黙っておこうと思った。サークルの活動頻度はかなり低下していたし、私は瑞希とのデートと卒論の提出で忙しく、サークルの活動にはほとんど参加しなかった。卒業の時のコンパでは後輩と盛大に飲み明かしたが、その時岡島は欠席していた。とても卒業コンパを楽しめる精神状態ではないだろう。同じ同級生でもここまで明暗が別れるんだな、と私は恐ろしくなった。


 岡島が自殺したという噂を聞いたのは翌年だった。就職浪人してもう一度就活にトライしたが、うまく行かなかったらしい。将来を悲観してしまったのだろうか。結局私は仕事が忙しく、岡島とは一度も会っていなかった。相談に乗ってあげれば良かったのだろうか。それでも彼の人生がうまく行く保証はないし、余計な妬みを買う恐れもある。そうした気まずさが理由で岡島とは会うことなく終わってしまった。


 瑞希に至っては完全に岡島のことは忘れてしまっているようだ。人生の新たなステージを見据えた彼女にとって、岡島は単なる過去の存在にすぎないようだった。私達は4年ほど交際を続けた後、結婚した。結婚式は盛大に行われ、多くの友人たちが祝福してくれた。天体観測サークルのメンバーも式に来てくれた。岡島ただ1人を除いて。


 岡島については1つ気になる点があった。それは占いの時に岡島に提示された数字だ。岡島は「22」と出ていた。岡島が自殺したのは22歳だ。オカシラ様の占いで出た数字は実は相手の寿命だったのではないか、そう考えると私は不気味な予感がした。もしかしたら偶然の一致かもしれない。数字以外に何一つ情報は存在しないので、解釈のしようがない。


 あの占い通りだとすれば、瑞希は69歳で死ぬことになる。今の時代にしては少し早すぎる。考え違いだと信じたい。ただの占いで出たなんの根拠もない数字じゃないか。


 もう一度オカシラ様の占いを行って試してみたい欲求に駆られたが、坂巻はあの日会ったきりで、どこの何者かも分からなかった。占いは4人でやらないとできないので、なかなか相手がいない。会社の同僚とやってみるには内容が少しばかりハードすぎる。私はあの不思議な占いのことが気になったまま、月日は経過していった。





 結婚してからはお互いの仕事が忙しいため、瑞希との間に子供を作るのは先延ばしにしていたのだが、これが良くなかった。30を過ぎてから、瑞希は妊娠しにくい体質だと判明した。5年近くに渡る高額な不妊治療を経て、私と瑞希の間にはようやく娘が生まれた。やっとの思いで生まれた一粒種だ。名前は利亜夢と名付けた。今の時代らしい、覚えやすい名前だ。自分の子供は目に入れても痛くないというが、本当にその通りだった。利亜夢はすくすくと育ち、あっという間に大きくなった。


 利亜夢の10歳の誕生日、私は九州の実家に帰省し、昔愛用していた望遠鏡を取り出して、瑞希と利亜夢と三人で天体観測を行った。そこには再び地球に接近したエドモンド彗星が輝いていた。白と青の鮮やかな尾のコントラストは25年前と同じだ。瑞希は「私達が学生の時のことを思い出すよね。懐かしい」と喜んでいた。利亜夢も彗星の美しい姿を見て目を輝かせていた。あと数年で娘も年頃だ。父親の私に懐いてくれる最後の年齢だろう。利亜夢への最高の誕生日プレゼントだ。


 実家に帰省したのにはもう一つの理由がある。父の体調が思わしくないのだ。父は膵臓ガンを患っていた。ガンの中でも特に致死率が高いと知られるのが膵臓ガンである。手術の日程は決まっているが、成功するかは分からない。私は父の体調が心配で仕方なかった。


 私はここで一つのアイデアを思いついた。あの占いで父の寿命を占ってみたらどうだろうかと考えたのだ。不謹慎かもしれないが、そうでもしないと私の精神は持ちそうになかった。手術が失敗して亡くなるなら心の準備をした方がいい。どちらに転ぶか分からない不安な日々を過ごすよりも、自分だけは運命を知った上で臨みたかった。所詮は根拠のない占いだ。あの数字が寿命なのかも分からない。外れたらその時はその時だ。


 私は父・母・瑞希と共にあの占いを再び行った。コピー用紙をヒトガタにくり抜き、父の髪の毛を首の部分に巻きつけて、名前を記入した。母は気味悪がっていたが、適当な理由を付けて誤魔化した。結果がどうであれ、私は「父の手術はうまくいく」と伝えるつもりだった。瑞希はどうにも坂巻や岡島とのあの日の出来事は忘れているらしく、オカシラ様の占いに関しても初めて聞いたような顔をしていた。


「オカシラ様、オカシラ様、私達に答えを与えてください」

 学生時代のあの日と同様に、ヒトガタにのせた4本の指はスイスイ動く。力を入れていないのに勝手に動き出すのだ。


「101」


 それが父に提示された数字だった。占いが正しければ父は手術を生き延び、かなり長生きすることになる。私は胸をなでおろした。父に「数字を解釈すると、ガンはすぐ治るし、その後も幸せに暮らせると出たよ」と伝えると、父はニコリと笑った。本人が一番辛いだろう。少しでも励ますことが必要だ。ついでに母の寿命も占ってみたところ、「95」と出た。夫婦揃って長生きのようで、本当に良かった。しかし、瑞希は相変わらず「69」のままだった。私自身の寿命は恐ろしくて占うことができなかった。


 手術は奇跡的に成功し、父はまたたく間に回復した。その後、再発の兆候は見られない。主治医いわく、膵臓ガンの患者にしては珍しいらしい。死神の占いが正しいとすれば、父は長生きするのだろう。私には占いを信じたい気持ちと信じたくない気持ちが混在していた。自分の寿命を知るほど恐ろしいことはない。そんなものは知らないほうが幸せだろう。私は自分や他人の寿命を占うのは止めようと思った。死ぬことよりも、死神か何かの手によって自分の未来が決められてしまうことの方がよほど嫌なことに思えたからだ。私の頭の中には瑞希に提示された「69」という数字が浮かんでは消えていた。





 それからさらに月日が経過した。私と瑞希は初老と言える年齢になっていた。父は既に90歳を過ぎているが、相変わらず元気だ。母も同様である。子供のころに良く望遠鏡で天体を見せてあげたおかげか、利亜夢は私と同じく天文好きになっていた。利亜夢は私よりも遥かに優秀で、文武両道の努力家だった。日本の大学には進まず、米国の一流大学に合格し、日々勉強に勤しんでいる。将来は宇宙飛行士になりたいらしい。学生時代、飲み会に明け暮れていた私とは大違いだ。


 仕事も一線を退き、娘も家を出ていったとなれば、少し寂しくなる。行き付けの繁華街をブラブラしていると、面白そうな外観のバーを見つけたので入ってみた。すると、バーテンダーとしてそこに立っていたのは坂巻だった。随分見た目は変わっていたが、顔の特徴も雰囲気もあの時のままだった。


 坂巻は少し会話をすると、私のことを思い出したようだ。坂巻は7年かけて大学を卒業した後、不動産会社に勤めていたが、歳を重ねてから、かねてからの夢だったバーをやってみたくなり、開店したそうだ。取り留めもない世間話を重ね、楽しく酒を飲んで帰路についた。楽しかった若い頃の思い出、それらが次々と浮かんできた。そういえば坂巻は岡島と共通の知り合いだった。岡島は22歳にして自殺してしまった。今から考えると随分もったいないことをしたものだ。私がもっと力になってあげるべきだったかもしれない。そうしたら今頃彼とバーで笑い合っていたかもしれないのだ。


 話題には登らなかったが、坂巻と会話したことで再びあの不気味な占いのことを思い出した。あの時、オカシラ様から坂巻に提示された数字は「72」だった。あと十数年で彼は亡くなってしまうのだろうか。バーを経営しているくらいだから、相当な酒好きに違いない。酒の飲み過ぎで肝臓を壊して死ぬのかもしれない。それとも別の原因で死ぬのだろうか。


 その時、私は長い間見落としていた事実に気がついた。岡島の早すぎる死や父の長寿に気を取られ、その背後に潜む恐ろしい共通点を見落としていたのだ。オカシラ様が本当かデタラメかは分からないが、「もしかして」という可能性もある。特に坂巻まで関係していると考えると、とてつもなく恐ろしい事態が進んでいるのではないか。


 50代も後半になってくると、今まで背負っていた仕事上の責任が軽くなり、昔の仲間で集まろうという話になりやすい。私にも久しぶりに高校の時の友達と4人でゴルフに行く約束が入っていた。絶好の機会だ。私はもう一度オカシラ様の占いを行うことにした。ゴルフの後の飲み会で、私はヒトガタにくり抜いた紙を用意して、彼らの寿命を探ることにした。


「オカシラ様、オカシラ様、私達に答えを与えてください」


 私自身の寿命は適当な理由を付けて占わなかったが、残りの三人の寿命に関しては占うことができた。死神の占いを行った三人の高校同期のうち、1人には「59」という数字が提示されていたが、残りの2人には「70」という数字が出た。私の嫌な予感は確信に変わっていった。

 坂巻は私と同学年だったが、大学で留年を繰り返していた。あの時点で2年留年していたと考えると、瑞希と坂巻の年齢差は3歳ということになる。瑞希が69歳の時に坂巻は72歳だ。


 私は父が31歳の時に生まれた子供だ。したがって父が101歳の時に私は70歳であり、瑞希は69歳ということになる。また、父と母は6歳差であるため、その時点で母は95歳だ。瑞希・坂巻・父・母の三人は同じ年に死亡することになる。偶然と考えることも可能だが、もしそうでなかったら、どうなるのだろうか。


 そして、その不安が現実に変わったのが高校同期の寿命を知ったときである。3人のうち、2人が70歳で死ぬことになる。瑞希たちとやはり同じ時期である。70歳で死ぬと提示された高校同期のうち、1人は北海道在住であり、もう1人は関西在住だ。大震災が原因とも考えにくい。同時に都内に来ている時に震災が発生する可能性もあるが、それだと九州在住の私の両親が死ぬことの説明がつかない。


 数年後、59歳とオカシラ様に示された高校同期は実際に59歳で急死した。前日まで何の予兆も無かったのに、突然の心臓発作で帰らぬ人となった。オカシラ様が予言した運命は今のところ必ず的中している。どうしても逃れられないらしい。


 こうなったらなりふり構ってはいられない。私は占いを別の知人にも試してみた。

「オカシラ様、オカシラ様、私達に答えを与えてください」

 やはり結果は同じだった。私より3歳年上の人の寿命は「73」であり、私より20歳年下の人の寿命は「50」だった。私が70歳になる年に彼らは一斉に寿命が尽きるらしい。今から十数年後に、「何か」が起こるのだ。私の首筋に汗が一滴流れるのが感じられた。


 再び月日は経過していった。ついに私は70歳、瑞希は69歳となった。95歳の母もかなり足腰が弱っており、私は実家に帰って母の世話をすることにした。私達が帰ってくると、母は嬉しそうな表情をしていた。瑞希の両親は既に他界しているので、彼女も私に喜んで付いてきてくれた。


 父の101歳の誕生日をグループホームで祝うと、私達は父を実家で引き取ることにした。お世話になった職員に頭を下げ、車いすごとワゴン車で連れて帰ってくる。高齢者を引き取るのはこの情勢では珍しいことではない。父は自力で歩けなくなっているが、それでも頭はまだはっきりしていた。父も久しぶりに家に帰ることができ、とても安らいでいるようだ。


 日が暮れると私は瑞希と庭に出て空を見上げた。田舎は街明かりが少ないので東京よりも星空が良く見える。瑞希と手をつなぎながら、私は次第に空に浮かび始める星たちを眺めた。瑞希は「大学の頃の夏合宿みたいね」と昔を懐かしんでいる。


 日が落ちたばかりの空に輝くのは、オカシラ様よりも遥かに恐ろしい死神の姿だった。25年ぶりに再来したエドモンド彗星は突然の分裂によって軌道が変化しており、地球に衝突するコースを辿っていた。青と白の鮮やかで美しい尾は前回よりもさらに大きく、さらに明るく、さらに不気味に輝いていた。


 彗星がこのまま落下したら人類は誰一人として助からないだろう。衝突と同時に大津波と大地震が発生し、空は粉塵で覆われ、沢山の生物が死に絶えるはずだ。かつて恐竜が絶滅したように。


 物理学には三体問題という問題がある。3つ以上の天体の重力の相互作用は物理学で予想ができないらしい。だから、エドモンド彗星の挙動は科学者たちも予想がつかなかったと言われている。天体の挙動ですら完全なカオスなのに、人間の寿命をピタリと当てるオカシラ様は本当に超常的な存在なのだ。


 国連は人類の総力を結集して彗星を食い止めようとしている。宇宙船にありったけの核兵器を積み込み、彗星を破壊しようと試みている。100年前の映画で「アルマゲドン」という作品があったが、まさか本当に行われるとは誰もが思わなかっただろう。宇宙船は先ほど飛び立ったばかりだ。そして、その乗組員の中には私達の娘の利亜夢が含まれている。随分と立派に育ってくれた。親としては胸を張りたい。


 作戦が成功したとしても、どのみち私達は命を落とすだろう。作戦が成功したとしても、破片のいくつかは確実に地球に落下するはずだ。その1つは確実に日本列島に落下し、オカシラ様に死を予言された私達の命を奪うだろう。ただし、完全に無駄と決まったわけではない。もしかしたら破片の直撃を回避できた地域は生き残る可能性もある。


 利亜夢には一度もオカシラ様の占いを試さなかった。未来ある娘の運命を確定させたくなかったからだ。娘は生き残ると私は確信している。たとえ日本列島が消滅しても、生き残った大陸が1つでもあれば娘は地球に生きて帰ることができる。彗星の破片が当たって宇宙船が崩壊する危険性が高いと言われているが、それだってやってみなくちゃわからない。あれほど優秀な私達の娘だ。きっとうまくやるに違いない。


  後ろを振り返ると母が父の車椅子を押しながら私の方へ歩いてきた。随分とシワが増えたが、雰囲気は昔のままだ。私の頭もすっかり真っ白になったが、甘えたい気持ちは子供の時から何一つ変わっていない。私達4人は固く抱き合う。車椅子に乗った父は痛々しいまでに衰えていたが、温かい素肌からは相変わらず生命力を感じた。


 私は人の預かりしれぬ、超常の死神に向けて唱えた。


「オカシラ様、オカシラ様、どうか私の娘たちに奇跡を与えてください」


 私の頬には一筋の涙が流れた。空の方に目線をやると、娘の宇宙船がキラリと光ったような気がした。

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死神の数字 名取信一 @natorisinnichi

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