カエルレウム・アルカ ―新世界より―

花野井あす

第1話 青い匣庭


 むかし、むかし、それはぽっかりと浮かんだ穴でした。

 まあるい球のような形をしたそれはコバルト・ブルーのお水に満たされていて、そこに住む蛍クジラさんも、羽ごろもうおさんも、糸あめクラゲさんもみんなお水と同じ色をしています。そう、それは小さな世界を閉じ込めたアクアリウムとでも言いましょうか。上も下も無くて、小川も森もお花畑も散りばめられたように漂って、住民を包みこむのです。みんな、なかよしのコバルト・ブルーなのです。

 

 けれども青いお花の先からひとつ、なものがそこに生じました。

 

 色はコバルト・ブルーよりもうんと白いペール・ブルー。で、青い宝石で短い棒と長い棒を二本ずつ、にょきりとくっつけています。つるつるのずんぐり胴には大きなひとつの穴をあけています。その上にある、ひときわ大きな宝石の上には平たいお顔。ふたつの大きな穴と、音を鳴らすみっつの穴をあけています。頭にはてかてかの長いペール・ブルーの布をくっつけて、ひらひらさせています。

 その生き物は七体ほどあって、みんな同じお顔で、同じくらいの大きさでした。

 きみょうな生き物のうちの一体で、アズライトの宝石をもつ生き物が大きなふたつ穴をにっこりとさせて言います。


「おはよう、あたらしい世界」


 すると興味をそそられた、一疋の糸あめクラゲさんが尋ねました。

「やあ。君たちはいったい何ものだい?」

「ぼくも知らないよ」

 とべつのもう一体が答えます。アズライトの生き物と同じ音をお顔の小さな穴からは鳴らしています。四本の棒をくっつける宝石がサファイアの生き物です。他の糸あめクラゲさんたちも興味しんしんになって近寄ります。

「君たちはどうやって泳ぐの?」

 別の一体は大きなふたつ穴をしばたかせて、答えます。

 

「僕たちは泳がないよ。歩くんだ」

 

 今度はラピスラズリの生き物です。またしてもアズライトの生き物と同じ音をお顔の大きな穴から鳴らしています。他の生き物たちも同じで、大きなふたつの穴を横ににんまりと歪ませ、きゃらきゃらと同じ音を立てて笑っています。ちがうのは、腕や足をぶら下げている宝石の色だけです。

 アズライト、ラピスラズリ、タンザナイト、ベニトアイト、サファイア、ラリマー、フローライト。みんな青い宝石ですが、少しずつがちがうのです。コバルト・ブルーよりも淡いこともあれば、同じくらい深いこともあります。それに、とてもキラキラしていることもあれば、どっしりとして静かなこともあるのです。

 

「歩くってなんだい?」

 

 と今度は羽ごろもうおさんたち。しゃらしゃらと音を立てて小川からやってきます。みんな固まって、まるで大きなおうおさんのようです。ベニトアイトの生き物が胴の上下左右にぶら下げた細棒を宝石にそってすべらせて見せ、言います。

「お花やお水をこうやって、進むんだよ」

「踏むなんて、なんてひどいんだい!」

 と羽ごろもうおさんたちはかんかんに怒りました。驚いた宝石の生き物たちは抱き合って、ぶるぶると体をふるわせます。すると、蛍クジラさんがきゅーいきゅーい、と歌いながらやってきました。大きな体を回しながら、ゆうゆうとコバルト・ブルーのお水に小さな波をたてるものですから、羽ごろもうおさんたちは流されないように、お互いにコバルト・ブルーの尾っぽをつかみあいます。うっかり気を抜いてしまっていた糸あめクラゲさんの何疋かは森の木々にひっかかってしまいます。

 蛍クジラさんが近寄るほどに世界は明るくなっていきました。蛍クジラさんはまばゆい光をその胴からはなっているのです。蛍クジラさんはこのアクアリウムを明るく照らす太陽なのです。蛍クジラさんは言います。

 

「けんかは止しなさい、子どもたち」

 

 お水によくなじむ、澄みきったお母さんの声です。頬っぺたをふくらませていた数疋の羽ごろもうおさんは声を荒げます。

「でも、お花を踏むなんてひどいじゃないか!」

「そうしなければ、生きられないように子たちなのですよ。ゆるしておやり」

 蛍クジラに尾っぽをつつかれて、羽ごろもうおさんはしぶしぶと宝石の生き物たちのほうを見ます。彼らははお顔の大きなふたつの穴を胴を寄せ合っています。ペール・ブルーはもっと青白くなっていて、青い宝石ばかりが青さを目立たたせています。羽ごろも魚さんは小さな声で

「ごめんよ」

 と言葉をこぼします。宝石の生き物たち――子どもたち、と呼びましょう。だなんて、無粋ですから。子どもたちはお顔を見合わせて、小首を傾ぎあっています。お顔の小さな穴をぱくぱくさせて、話し合っています。羽ごろも魚さんたちは大魚に見せていた群れを縮ませて、かたまった子どもたちの様子をうかがいます。

 やにわに、アズライトの子どもがひらりと前へ出ました。他の子どもたちはあんぐりとお顔のすべての穴を見開いています。アズライトの子どもだけがふたつの大きなふたつ穴を緩ませて、答えます。

「僕は怒ってなんかいないよ。あ、でも……」アズライトの子どもは頬っぺたに指を当てて続けます。「僕に泳ぎかたを教えてほしいな」

「も、もちろんだよ!」

 と羽ごろも魚さん。枝にひっかかっていた糸あめクラゲさんもやってきて、アズライトの子どもを囲みます。アズライトの子どもは他の子どもたちと同じ音を小さな穴から鳴らして、続けます。

「みんなも一緒にどう?きっと泳げるようになったら楽しいよ」

 宝石の子どもたちはお互いにうなずき合って、「そうだね」「僕もまぜて」と言ってかけよります。コバルト・ブルーたちは嬉しそうに「僕がおしえるよ」「一緒に泳ごう」などと答えます。蛍クジラさんは満足そうに、目元をなごやかにしました。

 

「ああ、きょうも世界はあたたかくて、おだやかだ」

 

 蛍クジラさんはまた、きゅーいきゅーい、と歌うと、森の向こうへ泳いで行きました。

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