春の神

中且中

第1話

 高原があって、そこには恋草が一面に生えている。

 恋草は春に花を咲かす。淡い紅の色をした、綺麗な花だ。花が咲く春のその時期、高原は三百六十度、淡紅色に染まり、普段は閑散としたハイキングコースには人が溢れる。恋草には正式名称があるのだが、それを私は知らなかった。この地域では、恋草はずいぶんと昔から恋草と呼ばれ続けていて、誰も正式な名称で呼ぶことはなかった。

 恋草が恋草と呼ばれる所以は、このあたりの地域の伝承にある。その伝承によれば、恋草が花を咲かすのは春の女神が恋をしたからなんだそうである。正確には春の女神が宿った少女が恋をすることによって恋草は花を咲かすのだ。

 春の女神は、春の訪れとともにこの地域にやってきて、ひとりの少女のもとに宿る。それは春の女神が少女の姿をしていることと関連しているのだろう。ちょうどそのころ恋草は芽吹く。そしてそれから春のどこかで、春の女神が宿った少女は誰かに恋をする。恋をすると恋草は一斉に花を開き、それと同時に春の女神は少女のもとを離れる。春の女神が宿るから、少女が恋をするのか、それともその時期に恋をする少女のもとに春の女神が宿るのか、それはわからない。少女は自身に春の女神が宿っていることは自覚ができないし、それは他人も感知することはできない。ただ春の女神を宿した少女の恋は必ず成就すると言われていて、だからこの時期に少女たちは、自身に春の女神が宿っていることを願う。そして多くは春の女神の社に行ってお願いする。お願いしたところでどうなるということはないと思うのだが、そこはまあ神頼みとはそういうものなのかもしれない。まだ見ぬ恋の相手とその成就を願って少女たちは祈るのである。

 実際、この話が真実なのかどうかは私は知らない。というかほとんど信じていない。この地域の人たちもほとんどそうだろう。ただそのような言い伝えがあることを知っているだけだ。春の女神を見たことなどないし、別に信心深いほうでもない。だけど、もしそうであったらおもしろいなと思うから、あえて否定はしない。

 しかし恋草の花が咲くまでの過程と、花が咲く実際の光景を見ると、その伝承が事実であるような気がしてくることも確かだ。それぐらい、恋草の開花の過程は奇妙なのだ。

 恋草の開花の時期は一定ではない。春のいずれかの時期に、それは昼夜、雨天青天問わず、ある一瞬間に、春風がふっと吹いて、高原を撫でる。すると撫でられた箇所から一斉に開花していくのだ。一分も満たない時間で高原中の恋草が開花し終えることになる。その光景は見た者になにやら神秘的な存在を信じさせるに足るものであり、実際、この開花の瞬間を目撃した者の多くは、春の女神、あるいはそれに準じた何かの存在を信じるようになる。私の従姉などはそのいい例で、大学生の時にたまたま恋草の開花を目撃して以来、春の神の実在を信じるようになった。だからといってなにがあるわけではないが、彼女は月に一度ほど春の神の社に参拝している。まあ、それだけだ。しかしそれだけとはいっても彼女のような人間は案外多く、春の神の社は連日人で賑わっている。そんなに大きな神社ではないののだが、参拝客は絶えないし、参道もかなり賑わっている。

 今年はまだ恋草は開花していなかった。季節は春である。

 高原にはこの時期、恋草の開花を見届けようと多くの人が集まっている。中にはテレビのクルーや、写真家などが何日も、麓のホテルに泊まりこんで、開花の瞬間を撮影しようと意気込んでいたりもする。高原に向かうための手段は狭い登山道一本きりだ。ロープウェイを建設しようという動きも昔あったようだが、それは立ち消えになった。高原に対して地域の住民の中には神聖な場所であるという考えが共有されている。なにか人造物をつくることに抵抗感がある。伝承を信じていてもいなくとも、そのような抵抗感は地域住民に共通していた。高原にあるのはトイレのついた無人の小屋だけだ。その小屋も建設には少なくない反発があったそうである。テントで夜を明かす行為も禁止されているので、必然、テレビクルーなどは、夜には麓に降りて、早朝にまた高原に登り、それから夕方まで高原で開花を待つ、ということになる。彼らは行政が定めた特定の場所に、昼間はテントを張って風を防ぎながら、開花を待ち、夜には撤退するのを繰り返す。荒天では登山道が封鎖されるので、荒天時や夜に開花してしまうと、その年はもうそれでおしまいだ。彼らの努力は無駄骨になる。何年も開花の瞬間を撮れずに、毎年街を訪れる者たちもいる。

 行政が許可した場所でしか張り込みはできないので、待機場所はすし詰めである。先着順なので早朝にはほとんど場所が埋まってしまう。八割がテレビクルーや写真家で埋まり、残りはツアー会社が場所取りをして、ツアー客が遅れてやってくる。ツアーといってもたいしてすることはないが、けっこう人気らしい。

 ハイキングコースはいつでも通れるが、高台ではないからいい映像は取れないし、なによりテントを張れないので、春のこの時期の高原の風を防ぐのはかなり厳しい。だけれど、ときおり近所の人や観光客がやってきて、ぐるっとハイキングコースをまわって帰っていく。別に花が咲いていなくとも綺麗な場所だし、歩いている時に咲けば僥倖だ、という考えでやってきているのだろう。

 そして、私もまた、そのような考えで、高原に向かう人間のひとりであった。

 登山道は存外、険しい。近所の慣れた人は普段着で登ったりもしているが、普通はしっかり準備しないと危険だ。上りは三時間ほどかかる。四つん這いにならないと進めないような難所もいくつかある。

 休日になるたび、私は高原に向かっていた。

 べつに深い理由があるわけではない。なんとなく、というのが一番理由としては正しいのかもしれない。従姉に散々、開花の瞬間の話を聞かされ続けて、無意識に自分も見てみたいと思っていたのかもしれない。学校の帰り道、高原に向かう登山道の入口を見て、街で国内国外からやってきた恋草の開花目当てらしき集団を見て、ふと思い立ったのだ。あるいは、その日、学校で、クラスのあまり面識のない女子生徒たちが、帰りに春の神の社に行こうとかしましく話していたというのも理由になるのかもしれない。

 この時期には、それは定番の会話だった。街や学校で、そのような会話をよく聞いた。春が来るたびに、私はその話を聞いて辟易した。私はまだ恋をしたことがないからだ。恋をするものたちにやっかみを抱いているわけではないが、そう何度も何度も、恋に関する話をされても、こちらでは共感のしようがないし、だんだん面倒になってくる。

 その怒りというか鬱憤のエネルギーが、どういうわけか恋草の開花の瞬間を目撃するという目的と結びついたのだ。なんとなく抑圧されたエネルギーの放出先を私は求めていたような気がした。たまたま今回は高原に向かうという目標が設定されたが、そうでなければ勉強とか、運動とか、食事とか睡眠とか娯楽とか歌唱とか、とにかくそんなことにエネルギーの放出先が設定されていた可能性は十二分にある。

 ともかく、それで私は恋草の開花の瞬間をこの目に納めてやろうと思うようになり、こうして休みになるたび高原への登山道をのぼっているというわけであった。最初は筋肉痛と疲労に悩まされていたが、慣れてくると、存外登山というものはいいものだった。景色はいいし、登り終えた時の達成感は他と代えがたいものがある。

 階段を無心で登り、ところどころ休憩をしながら、気づけば高原についていた。高原をぐるりとまわるハイキングコースがあって、一時間ほどで一周できる。

 高原の春は寒冷である。風が吹いていて、一面の恋草が波のように揺れていた。恋草はまだ開花していない。つぼみのままだ。私はそっと胸をなでおろした。

 いつもはここをぐるっと一周して、また山道を降りる。ハイキングコースの中間には小屋があり、その近くに、開花を待つ人たちの待機場所があった。小屋で昼食をとり休憩する。それがいつもの予定である。私はハイキングコースを歩き始めた。

 天気は快晴で、雲一つなかった。いまだ風は冷たいが、身を切るほどではない。日差しは暖かく、動いていると汗ばむくらいであった。

 高原は緩やかな起伏があり、波打ったようになっている。ハイキングコースもアップダウンを繰り返す。坂をのぼると見晴らしのいい場所に出た。ぐるりを見ると絶景である。緑の海の上にいるような気がする。恋草が風が吹くたびに、右に左にいっせいに傾き、風の波紋が高原に広がる様が見える。

 こんな天気の日に、恋草が開花したらさぞ綺麗だろうな、と私は思った。

 高原を歩きながら、考える。

 恋草の開花は少女が恋をしたからだ。言い伝えでは、そうなっている。この麓の街に住む少女が、誰かに恋をして、それでさっと花が咲く。その伝承が本当かどうかはわからないが、でも、そっちのほうがロマンがある。自分としては信じているわけではないが、決して否定しているわけでもない。小さなころは無邪気に信じていたし、今でもそうであればよいなという思いがある。

 今年、春の女神が宿ったのは誰なのだろう。ふと、私はそう思った。きっと多くの少女が自分に宿っていることを期待しているのだろう。彼女はいつ恋をするのだろう。まだ見ぬ恋の相手とその成就への期待に、彼女も胸を膨らませているのだろうか。もしかしたら、そんなこと微塵も考えずに、ただ日々を暮らしているのかもしれない。それがふと恋をして、数百メートル上空にある高原で、ふっと春風が吹いて恋草の花が咲くわけだ。

 恋をするのはいつでもいいけれど、でも、できれば私が高原にいる期間にしてほしい。そんな身勝手な思いを抱いてしまって、私はなんだかそれが面白くてひとりで笑ってしまった。

 小屋についたのはそれから二十分ほど歩いたあとであった。

 小屋は展望台も兼ねている。そこからは高原とその先にある麓の街を一望できた。歩いてきたハイキングコースが波打つ緑の草原の上に紐のように落ちている。ぽつぽつと人が見えた。小屋には、待機場所にいる人々以外にも、登山に来ていた人が休憩をしていた。登山服を着た老夫婦と、二十代くらいの若い男が一人、なにやら談笑している。挨拶をして私も隅に座る。

 コンビニで買った昼食をとっていると、老婦人が話しかけてきた。

「地元の人ですか?」

「ええ、はい」

「咲きますかねえ」

「さあ、どうでしょう。ここ最近は咲くのはずっと雨の日だったり、夜だったりが多かったみたいですね」

「そうですねえ。見たことがあるんですか?」

「いや、ないですね。従姉は見たことあるって話だけれど」

 老婦人の隣で、男と話していた老夫が話に入ってくる。

「ここらの伝承っていうのは、やっぱり皆さん信じているのかな」

「春の女神の話ですか。さあ、どうでしょう。けっこう話の話題にはなるけれど、本気で信じている人は少ないんじゃないかなあ。でも、熱心に信じている人も中にはいますけど」

 二十代くらいの男もまた会話に参加する。

「でも、素敵ですよね。その話は。自分も実は恋草に興味があって、調べてみたんですけど、恋草が咲く時間帯に夜が多くなったのは、最近の話なんですよ。それまではだいたい昼で、雨の日とかも少なかったんです。で、夜や雨の日が増え始めたのが、郵便制度の開始からなんです。それから、電話の普及、携帯電話、パソコン、スマホの普及、っていうのと比例してだんだん増えていって、特にスマホが普及したこのころは夜や雨でもお構いなしに咲くようになった。どうです。そしてね、それは郵便とか電話とかスマホとかのおかげで、雨でも夜でも少女が恋できるようになったからじゃないかな、っていう説がネットなんかにあるんですよ。そう考えると夜や雨の日に咲くようになった謎が解けるんです。どうかな、春の女神の伝説もこれであながち間違いじゃないかもって思えませんか?」

 老夫が愉快そうに頷く。どうやら二人でさきほどまでその話をしていたらしい。老婦人は困ったように微笑んで、「どうでしょうねえ」と言った。男が私に目線を向ける。

「どうかな。ここ最近考えていたことで、地元の人の意見が聞きたいんですけど。このあたりの人はこういう話をしないんですか?」

 私は首をひねった。

「どうかな。聞いたことはないですけど。でも、おもしろい意見だと思いますよ」

 言うと、男はぱっと笑って「そうですかそうですか」と頷いた。

「一緒に来ている妹からは、そんなわけないって言われちゃったんですよ。そういう迷信が嫌いなやつだから」

「妹さんと来ているんですか?」

「ええ、まあ。なにか写真を撮りたいって話で、さきに行っててって言われたんですけど。そういえば、まだ来てないですね。ずいぶん遅いな。ちょうどあなたと同じくらいの年齢ですよ」

「へえ」

 ちらりとハイキングコースのほうを見渡すが人影がない。丘の裏にでもいるのだろう。だとしたらまだ随分遠くにいるらしい。

「遅いなあ」男が腕時計を見ながら呟く。「熱中すると時間を忘れるタイプなんですよ。妹はね。なにかこの高原の景色をネットで見たとかで、行きたいって言って。だから写真を撮ってるんだろうけど」

 ふと、なんとなく私は「探してきましょうか」と言った。男はちょっと驚いた顔をして「いいんですか。あ、いや、悪いですよ」と言った。

「いや、べつに、慣れてるんで、そんなに疲れてないですし」

 男はちらりと時計を見た。それから逡巡するようにしばらく沈黙し、

「……そうですか。じゃあお願いしようかな」と言った。

 男はかなり汗をかいていて、ずいぶんと疲弊しているようであった。後戻りをするのも億劫なのだろう。

「黄色のマウンテンパーカーを着てるから、すぐにわかると思います。年齢はあなたと同じくらい」

「わかりました」

 立ち上がる。「ありがとう」と男は礼を言った。老夫婦にも会釈をして、歩き出す。

 なぜ自分がこんなお節介をしようと思ったのかはわからなかった。気紛れだ。でも、まあ、こんないい天気なのだし、こういうのもありだろう。風は暖かくなり、陽は中天を過ぎて、春のぼんやりとした光を高原に降ろしていた。そよと吹く風が、汗ばんだ体を心地よく包む。春風だな、とふと私は思った。風は暖かかった。春の風だ。

 路傍の恋草を見下ろすと、今にも開きそうな蕾がゆらゆらと揺れている。

 ひょっとしたら、もうすぐ咲くのかもしれない。

 あの男の話がやけに頭に残っていた。伝承が事実かどうかなど真剣に考えたことはなかった。伝承は伝承だし、それを検証しようとも思っていなかった。なんとなく、今まで自分が伝承に対して中立を保っていたのが、肯定側に傾こうとしているのが、自分でもわかった。偶然かもしれないし、そうではないのかもしれない。

 恋。どこかで少女が恋をしたから、花が咲くなんてことがあるんだろうか。そうしたら、恋草がその少女の恋のためだけに、芽吹いたみたいだ。もしかしたら、順序が逆なのだろうか。恋草が芽吹いたことで、どこかの少女がその春、恋をすることが決定するのだろうか。だいたい春の女神も暇なものだ。少女に恋をさせるよりも、もっとやるべきことがいっぱいあるだろうに。そんなに恋とは大事なのだろうか。

 そんなことをつらつら考えながら、ハイキングコースをくだり、またのぼる。丘の上にひとがひとり立っていた。黄色い服を着ていた。あの人だな、と私は思った。男の言った通り、私と同じくらいの少女だ。

 スマホを構えて、高原の景色を撮影している。私が近づくと、ふっと彼女は振り向いた。

 あっと私は思った。なにかが私の胸を掴んで離さなかった。そしてそのなにかは目の前の少女と密接に結びついていた。一目惚れだと思った。今までそんなこと一度もなかったのに、私には直感的にそれとわかった。相手が自分と同じ少女であることなど、問題ではなかった。

 少女が不思議そうにこちらを見ていた。少女だけにどこかかから光が当てられているような気がした。何か声を出そうとするのだけれど、声が出なかった。なんとか、「あなたのお兄さんが」とだけ言葉が出た。

「兄が? 兄がどうしたんですか」

「……はやく来てほしいと。伝えに来たんです」

 少女がふっと微笑んだ。

「そうなんですか。ありがとうございます」

 その微笑を見て、私はなんだかすくわれたような気がした。頬が熱くなっているのが自分でもわかった。鼓動が強く打っていた。ふっと風が吹いた。暖かな、撫でるような風だった。二人同時に「あっ」と風の吹いた方向を見た。

 風が頬を撫でた。眼前の恋草が一斉に靡いた。ふわっと音がしたような気がした。蕾が、風でほどかれたように開いた。一つが開いて、もう一つが開いて、あとはあっという間だった。風と共に、恋草が靡いて、そっと誰かがペンキで塗ったように、高原の色が変わっていった。風がやんで、気づけばもうあたりは一面、淡紅色に染まっていた。

 少女が感嘆の息を漏らした。私もまた、呆然として眼前の光景を眺めた。

「すごい」

 と少女が言った。私は自分の頬が火でもついたように熱いのがわかった。私は頷きを返した。

「見ました?」

 首肯する。すごいすごいと少女は繰り返す。

「お兄ちゃんも見たかな」

「……見たんじゃないですかね」

 まだ遠くでは風が吹くたびに、恋草が開花している。空の上で誰かが刷毛を動かしているかのようだ。

 少女は小屋までの路を歩き出した。私もあとに続く。

 少女は興奮に頬を染めながら、先ほどの光景を語る。

「凄かったですね。ああ、撮っておけばよかった。……でも、撮るより見ていたほうがよかったのかな」

「そうですね」

「あの、ありがとうございます。なんだか、あなたが咲くタイミングを教えてくれたみたいで」

 そう言われて、私はなんだか恥ずかしいような気がした。

「どうしてこんなふうに咲くんだろう。お兄ちゃん、いや私の兄は、あの伝説を信じてるんですよ。そんなわけないのに。きっとちゃんと仕組みがあるのに。でも、すごかった。なんであんなふうに咲くんだろう。ね、どうなんでしょう」

 少女がこちらを見る。私たちは二人で歩いている。あたりはもう一面の淡紅色である。花の匂いがした。爽やかな、微かに甘い香りがする。暖かな風が吹いて、恋草の花が波のように靡いている。なんだか私は幸せな気分になった。少女を見ると目が合った。少女が不思議そうにこちらを見つめている。私も思わず笑った。

「どうなんでしょうね」

 と私は言った。

「でも、私はなんだかあの伝説を信じたいような気分になりましたよ」

 春風が吹いた。私はくすぐったいような気がした。

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