廃村へ

中且中

第1話

 廃村となった村から引っ越してきたゆうは、村の神社には神様が居たのだと言った。神様は死んでしまって、それだから村は滅びたのだ、というのが彼女の言い分であった。

 彼女、由は七月の中頃、期末テストを終えて、クラスが夏休みを目前にして弛緩した空気に覆われていた頃、ちょうどニュースの天気予報士が梅雨の終わりが近いことを告げた日に、私の通う学校の私の所属するクラスに転入してきた。それはまさしく夏の始まりを告げるかのようで、彼女はどこか夏然とした空気を纏っていた。夏然とした空気というのは、おかしな形容だが、そのように喩えるしか彼女の雰囲気を言い表す術はないのだ。彼女はまさに夏の化身だった。

 夏の持つ不可思議な力、引力あるいは重力と呼ぶべきもの。夏の持つ、永続的かつ刹那的な特性。あるいは我々に夏がその二つの特性を持っていると錯覚せしむる夏と言う季節固有の特異な性質。それらの性質を彼女は有していた。溌剌とした少女であったが、同時に底の知れない神秘性を有していた。彼女はクラスにすぐ馴染んだ。彼女には魅力があった。神秘性と可能性と焦燥と郷愁。過去への追憶と遠く美しき未来の情景。夏という季節の別世界性、異世界性、これらの魅力を彼女は有していたのだ。

 彼女が、廃村となった村の神社には神様が居たのだと言ったのは、夏休み前日のことであった。彼女はそれまで自身のことについて語らなかった。彼女はもっぱら聞き手に回っていた。時折挟まれる相槌にはユーモアと知性と無邪気さが含まれていて、彼女と会話をすると、どんなに下らない会話でも、話している側も、傍で聞いている方も、その会話が本当に愉快なもののように思われるのだった。

 昼休み、由と談笑していた生徒の一人が、廃村について言及した。由が村の神社には神様がいて、神様が死んだから村が滅びたと言ったのは、その言及に対するアンサーとしてだった。由がそう言った後、会話に参加していない面々も含めてその場にいた全員が絶句した。廃村はセンシティブな話題であった。

 廃村。あるいは廃村現象とは、ここ数年になってからよく巷間の噂にのぼるようになった現象である。それは奇妙な現象であった。簡単に説明するなら、ある街や村、集落が、ある時を境にして、突然滅び始め、僅か一週間、最長でも一年ほどで、廃村となってしまう現象のことを言った。滅ぶといえども、べつに住民がばたばたと死んでいくというわけでも、破滅的な災害が起こるわけでもない。まったくもって奇妙なことに、そこに住む人々がまったく同じ期間にその街や村や集落を去らなければいけない事情を抱えることとなるのだ。それは転勤、進学、結婚、家出、親族の介護による移住、入院、死亡といったもの。前もって計画していた人たちもなぜか決まって同じタイミングで転出する。まず廃村現象の初期はこのようにして住人の三割ほどが一挙に去ってしまう。それなりの大きさの街の場合、転入者がぴたっと来なくなるという現象も同時期に発生する。居住区には滅びの気配が漂い始める。すると残った住人のうちからぽつりぽつりと転出者が出始める。転出のペースは段々と増加していき、あるところでインフラが維持できなくなる。そうして街や村、集落は滅びるのだ。

 この廃村現象は、初め眉唾物の話とされ、まことしやかに囁かれていたが、数年前にある地方都市がこの廃村現象と思われる現象により一年あまりで廃墟と化したことから、巷間の噂にのぼるようになった。メディアも公然と廃村現象の名を使用するようになり、とうとう一年ほど前には政府すらもその名称を使い始めた。この奇怪な現象の原因はいかなる専門家や学術組織によっても不明であったが、ともかく廃村現象と呼ばれる短期間の極端な人口減少による居住地の崩壊という現象が確かに厳然たる現実の事象として存在するということは専門家たちも認めざるを得なかった。

 廃村現象の起こる頻度には波があり、政府の公的機関が、定期的に新たに廃村現象が確認された地区と、進行しつつある地区の人口がどれほど減少したかを発表した。発表のたびに、それはニュースになった。最初の頃はテレビのワイドショーなどが騒ぎ立てたが、やがては沈静化し、今では発表のニュースは夕方の報道番組で、事故や事件や有名人の結婚や離婚や死亡などの国内ニュースのうちのひとつとして、取り立てて騒がれることもなく報じられるようになった。

 それでも廃村現象は人々の心の中に漠然とした恐怖感を与えていた。それはこのままあらゆる街や市や村が滅びてしまうのではないかという懸念であり、自分たちの住む地区にも廃村現象が訪れるのではないか、ひょっとしたらもう始まっているのではないかという不安であった。それはクラスの中にも蔓延していて、由が転入してきた時はその不安が刺激された。彼女の転入の背景を担任の教師は直接に語ることはしなかったが、出身地などの情報から、彼女が廃村現象の発生してきた村から転入してきたことは推測できた。彼女が転入してきた当初、皆は腫物に触るように彼女に接した。廃村現象に遭遇した人物とどのように接していいのか皆わからなかったのだ。しかし皆のその態度は由自身の持つその特異な、魅力的な性質によって、そう時間もかからずに霧散した。

 だが皆は廃村現象や廃村についての話題は極力避けた。由自身が語らなかったこともあるが、皆どのように切り出していいのか測りかねたのだと思われる。

 その暗黙の了解が破られたのが、夏休み前日の休み時間のことだった。ある男子生徒が、おそらくうっかりであろうが、近隣の小さな村で廃村現象の開始が確認されたことを、由との会話中に話題に上げてしまった。この発言をした当人も、それを周囲で聞いていた全員も、思わず息を飲み彼女の反応を窺ったが、その後に彼女が口を開いて言ったことに対しては呆然とする他なかった。

「村には神様がいてね、死んじゃったから村から人がいなくなったんだよ」

 彼女は天気について語るかのように何気なくそう言った。

 廃村現象の原因については様々な説が出ていたが、彼女のこの説はそのどれでもなかったし、なにより馬鹿げていた。彼女は冗談を言っているようには見えなかった。あくまでも本気で神様が死んだから村が滅びたのだと信じている様子だった。信じているというよりもそれが当然の事実であるというのが彼女のスタンスであるようであった。皆が皆、絶句した。愕然とした。彼女がいくら本気でも、その説は冗談のようにしか思えなかった。廃村現象を茶化すのはほとんどタブーであった。少なくとも公然と発言するものではなかった。

 彼女、由に対する皆の態度は、この発言以後たちまち腫物に触るようなものに逆戻りした。そうして以前の態度はおそるおそるながらも良好な関係性を築こうといったものであったが、その発言の後は、ただ腫物として扱われるようになった。端的に言えば、彼女はクラスで孤立したのだ。

 その彼女の孤立が決定的となった日の放課後、つまり終業式を終え、夏休みが開始された後、下校中に私は彼女に話しかけた。別に話しかけようと決めていたわけではなくて、たまたま帰り道に見かけたからというのが理由としては正しい。それに彼女の廃村現象に関する発言の真意が少しばかり気になっていたというのもある。ともかく私は彼女に話しかけた。

 私と彼女はあまりクラスでは接点がなかった。転入したての頃に少し会話した程度だ。その私に話しかけられて彼女は随分と驚いた様子だった。

ねいだっけ。名前」

 彼女は私の名前を覚えてくれていたようだった。私は肯く。彼女は不思議そうに私を見つめてきた。無駄話をすることはなく、「あの、さっきの休み時間に言ってたさ、神様が死んだから村が滅んだって、……どういう意味なの?」と、私は単刀直入に彼女に発言の意図を尋ねた。すると彼女は屈託なく笑ってこう答えた。

「だって本当のことだから。神様が死んだから滅びるんだよ。神様がいなくなっちゃったから街が滅びる。神様はどの街にも村にもいてね、それが死ぬと、その街や村は滅びる。廃村現象はその街や村の神様が死んだから起きるんだよ」

 彼女があまりに何気ないふうに返答するものだから私は呆気にとられてしまった。彼女の表情にも話しぶりにも、狂気は感じられなかった。彼女は、私たちが地球は丸いということについて話すように、自明の事実について話すように、廃村現象と神様との関連について話した。彼女の言葉を否定しようという気は起きなかった。私は彼女に問うた。

「なんで神様は死んじゃうの」

「わかんない。でも嫌になったんだよ。きっと。街や村にずっといるのが。私は見たことあるよ。神様の死体。滅んだ街や村のどこかにはきっと神様の死体があるし、この街にも神様はいるよ」

「神様ってどんななの」

「見ればわかるよ。見に行こうか」

 遊びに誘うかのような気軽さで彼女は言った。

「……どこに?」

 私が訊ねると彼女は笑った。まるでその質問が間抜けなものであるかのようだった。彼女は口元に笑みを浮かべて言った。

「廃村へ」

 今まで魅力的に思えた彼女の笑顔が今や一転して底の知れない引きずり込むような深さを湛えていた。私は思わず咄嗟に首を横に振っていた。彼女は残念そうな顔をした。

 それから彼女とは曖昧なふわりとした話題について話すのみであった。本当にとりとめのない話題だった。趣味とか天気とか、そんなくだらないものだ。すぐに別れてしまえばよかったのだが、幸か不幸か彼女と私の帰り道は一緒であったので、会話を広げざるを得なかったのだ。意外だったのは彼女がよく本を、特に小説をよく読むということだった。私は小さい頃からいわゆる本の虫というやつであった。それに彼女の小説の趣味は広範で、私がよく読むジャンルの本も読んでいた。私は同好の士を見つけたようで嬉しくなった。別れる際に彼女は私に「また話そうよ、寧」と言ってきた。私は笑って頷いた。

 だがそれから特に連絡を取り合うことはなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る