秋の間での推理

 現場検証をすることになり、みんなが秋吉さんの遺体の周りに集まった。



「まずは秋吉殿の遺体の状況じゃ。ふむ、当然、ロープによる絞殺じゃが――おっと、危うく大事なものを見落とすところじゃったわい」



 喜八郎さんは秋吉さんの首元を見つめていった。何かを見つけたらしいが、僕には何のことだかさっぱり分からない。



「どこか変な点がありますか? 僕には何にも分からないのですが……」



「諫早殿、観察じゃよ、観察。これはわしからの問題じゃ。さて、どこかに違和感を覚えんかの?」



 僕は首元をよく観察する。深々としたロープの跡に混じって、首の前部に何かのひっかき傷が見られた。じんわりと血がにじんでおり、とても痛々しい。



「このひっかき傷のことですか? でも、僕には何の跡か分かりません。お手上げです」

 僕は素直に降参する。こういう場合、無理に知ったかぶりをするのは良くない。



「ふむ、及第点じゃな。このひっかき傷は『吉川線』じゃ。これは絞殺されるときに、抵抗しようとしてできるものじゃ。つまり、磯部殿が自殺によって天馬殿に罪を着させる線は低くなったの。諫早殿、覚えておくと良いぞ」

 まるで大学で講義をする教授のように喜八郎さんが言う。



 「吉川線」、なるほど勉強になった。でも、その知識が必要になる状況になるとは限らない。そもそも、そんな状況に出くわすのはもうごめんだ。



「次はこのロープじゃ。うむ、どこにでもありそうな代物じゃな。これからは犯人を絞り込めないのう。警察が指紋検査をしても無駄じゃろう。犯人は当然、手袋をしていたはずじゃ」



「でもよ、夏に手袋を持っているのはおかしいぜ。だから、手荷物検査をして手袋を持っている奴が犯人だ」暁が提案する。



「それは無駄ね。ずる賢い犯人のことよ、すでに処分しているに違いないわ」冬美さんが一蹴する。



「うむ、冬美さんの意見に賛成じゃ。犯人もそこまで愚かではなかろうて。他に物的証拠は見当たらんの。あとは荒木殿の事件の情報共有じゃな。さて、その場にいなかった者に――」



「喜八郎さん、待ってください。これを見てください!」

 僕は興奮しすぎて、小躍りした。僕の指す先には、開かれたことわざ辞典が置いてあった。それもだった。二冊? 今までは一冊だった。この違いは何を意味しているのだろうか。



「おお、諫早殿お手柄じゃ。わし自身が『見るではなく、観るじゃ。観察じゃよ』と言っておきながら、なんという失態じゃ。これでは人に助言できるような立場ではなくなってしもうたわい」喜八郎さんがため息をつく。



「さて、今回も『ことわざ辞典』じゃの」



「今回も? どういうことですか?」



 そうだった。他のグループには書庫での発見を共有していない。僕たちは由美子さんたちに書庫での発見を説明した。



「なるほど、今までの現場に置いてあった辞典には共通点があったのね。一歩前進ね」冬美さんが明るく言う。



 「ことわざ辞典」という共通点、これにより僕たちは前進した。一方で、荒木さんの現場にはことわざ辞典がなかったという事実が際立った。この違いには犯人の何かしらの意図やメッセージがあるのだろう。それが解ければ、犯人像が絞り込めるに違いない。



「しかも、今回は『ことわざ辞典』が二冊じゃ。今までは一冊じゃった。これまでの事件の流れとしてはこうじゃ。『春の間』、『夏の間』の事件では一冊ずつ、荒木殿の現場にはなく、『秋の間』での事件では二冊じゃな」

 僕はそれを聞いて何かが引っかかった。今までに感じていた「ことわざ辞典」という共通点以外の何かが。



「あの、『ことわざ辞典』という共通点以外にも、こう、何か別の共通点がありそうな気がするんですが」恐る恐る言う。



「ほほう。小僧、お前が撮った写真を見せろ」

 そう言うが早いか磯部さんは僕の手元からスマホをひったくる。現場の証拠写真を撮るために持っていたものだ。



「『春の間』の現場写真はお前しか撮っていないからな。さて、俺がその共通点やらを暴いて見せよう」磯部さんは鼻息荒く張り切っている。



 みんなが僕のスマホを中心に円形に集まる。まるで、スポーツの試合開始前に組む円陣のようだった。これで僕の単なる気のせいだった場合、また磯部さんの拳が飛んできそうだ。慌てて磯部さんから距離をとる。



「どれどれ……。『春の間』の辞典はさ行のページだな。『夏の間』がた行、『秋の間』があ行とた行だな」うーん、と磯部さんがうなる。



「さっぱり分からん。小僧の気のせいだな。時間の無駄だ。他のことを考える方がよっぽど時間を有意義に使える」

 磯部さんは手に持ったスマホを僕に投げ返す。落ちそうになったスマホを何とか受け取る。



「ちょっと待ってくれ。周平の言うとおり、何かがひっかかる」暁が食ってかかる。



「お前までたわごとを言うか。いい加減にしないと――」



「磯部殿、待つのじゃ。二人の言うとおりじゃ。わしも何かがひっかかる。そうじゃな、のどに魚の小骨が刺さったような感じじゃ。もう少し時間が欲しい」喜八郎さんが制止する。


 僕は改めてスマホをみんなの前に差し出す。「三人寄れば文殊の知恵」、ここには三人以上いる。何かいい考えが出るに違いない。



「勘違いだったらすまないが。それぞれの間にあった『ことわざ辞典』、どれにも春夏秋冬の文字が入っていることわざがないか? 『春の間』が『眠暁を覚えず』、『夏の間』が『飛んで火にいるの虫』、『秋の間』が『の日は釣瓶落とし』と『天高く馬肥ゆる』。これは偶然か?」暁が指摘する。

 そうか、僕が感じていた共通点はこれだったのか。



「おお、暁殿、いい着眼点じゃ。確かに偶然で片づけるわけにはいかないのう。もしかしたら、犯人が『ことわざ辞典』を置いていった意図はそこにあるかもしれん。しかし、犯人にメリットがあるかが謎じゃ。これでは『次は冬の間で事件を起こす』と宣言しているようなものじゃ。わしらが警戒すれば犯行はうまくいかん。このタイミングで気づいた意義は非常に大きい」喜八郎さんは続ける。



「こうなれば、これ以上の惨劇が起こらないように『冬の間』にも鍵をかけるのが無難じゃろう。幸い、ここに荒木殿が持っていた鍵の束がある」喜八郎さんが鍵の束をジャラジャラ鳴らす。



「さて、『冬の間』を閉じることは決まったが、問題は『この鍵の束を誰が持つか』じゃ。当然、犯人は鍵を狙って持ち主を襲ってくる可能性がある。まあ、わしが持つのが無難じゃろう」



「なんでですの? ここは力のある若い人が持つべきじゃないかしら。仮に犯人が襲ってきたら、喜八郎さんなんてあっさりねじ伏せられるわよ」冬美さんが冷静に言う。



「確かに一理ある。しかし、わしは犯人から十分に恨みを買っておる。犯人に迫り過ぎたからの。それに若い者には未来がある。わざわざ危険を冒させる理由はあるまいて」



「待ってください。僕が持ちます」

 僕は立候補した。みんなが僕を信じられないという目でみる。今回の場合、火中の栗を拾うのは文字通り命懸けだ。



「周平、爺さんの言うとおりだ。わざわざ危険を冒す必要はない」と暁。



「いや、僕には考えがあるんだ。僕はスマホで『春の間』の物的証拠の写真を撮った唯一の人物だ。ワインセラーでの荒木さんの現場のときも、僕しか証拠写真を撮っていない。すでに犯人に襲われる可能性が高い僕が持てば、リスクを集中させることができる。下手に数人が持つよりこの方がいいよ。だってみんなが僕を守れば、犯人は手出しができないから」



「ふむ、実に論理的じゃ。異議があるものはおるかの?」

 喜八郎さんの問いに対して、みんな沈黙する。



「では、決定じゃな」

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