冒険者は儲からない 2

 マクベスは村から離れた、視界の開けた場所でベルトポーチから麻袋を取り出した。中に入っていたのは香辛料のような粉で、それを地面にばら撒いた。水袋の栓を外し、飲み水を粉にかける。すると粉は水の中で溶けていき、次第に血の臭いによく似た異臭が漂い始めた。その臭いは森の奥へと風で運ばれていく。

 マクベスは双剣を抜くと剣先を下に向け、敵を待つ。冷たい風が頬を撫で、木々をざわめかせる。

 魔物が姿を現すのにそう時間はかからなかった。嗅覚に優れ、素早い身のこなしで翻弄する獣型の魔物が数匹、周囲の茂みからマクベスに飛びかかる。

 その瞬間、マクベスは双剣の一本に魔力の風をまとわせ横に薙いだ。風の刃が魔物たちと周囲の木々を切り裂き、真っ二つになった魔物と巨木が地面に倒れ伏す。さらに視界が開けると、青年を包囲するように隠れていた他の魔物の存在が明らかになり、その正確な数に思わず笑い声を上げた。


「ギャハハ! 何の変哲もない村にいて良い数じゃねぇな!」


 余裕のある笑い声が合図になったのか、一斉に魔物たちが襲いかかる。マクベスは瞬時に前方向へ駆け出した。様々な種類の魔物らが同時に飛びかかってきたとはいえ、退路が塞がれたわけではない。出遅れた魔物がおり、それが前方にいる下級の魔物で、ゴブリンと呼ばれる緑の肌の小鬼だった。双剣を振り回し、直線上に並んでいたゴブリンの首をいくつも落とすと右手の剣を前に突き出す。すると瞬時に冷気を放ち、地面が凍てついて氷の道を作る。靴の裏を凍らせ片足を前に出し、氷の上を華麗に滑って包囲網から抜け出すと瞬時に氷の道を消し、マクベスは魔物たちと向き合った。

 三メートルは優にある、額から角が生えた鬼のような魔物のオーガ。鷹が巨大化したような風貌の魔物、ガルーダ──種族の異なる魔物たちがマクベスを狙っていた。


(おっと、これは……)


 魔物は獲物を捕らえるために協力関係を結ぶことがあるが、それは下位の魔物にある傾向だった。魔物の上位種はその傾向は弱いはずであり、その上位にオーガとガルーダは含まれている。マクベスはこれはただの魔物退治では終わらないことを悟り、口笛を吹いた。

 双剣を構え直し、我先にと襲ってくる無謀な魔物を蹴散らしていく。周囲を自分が戦い易い場に整えた後のマクベスの戦い方は、常人にはとても真似できるものではなかった。二本の魔剣をまるで踊るように悠々と振り回せば、煌めく剣戟の軌跡を追うように緑や紫、赤い色をした血液が魔物から噴き出し、ひっくり返したペンキように地面にぶちまけられる。ほんのわずかな時間で魔物たちは急所を的確に斬り裂かれ、マクベスにかすり傷一つ負わせることもなくその命を散らす。

 魔物たちがたじろぎ、誰も来ないと判断すれば、


「来ねぇならこっちからいかせてもらうぜ!」


 マクベスは自ら飛び込んだ。反応が遅れたオーガに狙いを定め、大地を蹴り上げ肩に乗ると、脳天に魔剣を突き刺した。絶命したオーガを倒れないよう魔術で脚と胴体を凍らせる。

 激昂した他のオーガが雄叫びを上げながら襲いかかる。マクベスは肩を台代わりにして飛び上がり、上空で攻撃の姿勢をとろうとしていたガルーダの首を、空いた手で掴んでぶら下がる。バランスを大きく崩し、仰向けになりながら何とか羽撃はばたくガルーダに見向きもせず、左手の魔剣で襲いかかる他のガルーダの片翼を斬り落とした。右手に渾身の力を込めると、骨が折れる嫌な音が響き、落下し始める。


「氷塊!」


 マクベスが呪文を唱えると、オーガに突き刺さったままの魔剣に宿した魔術が発動した。魔剣を中心に、広範囲が見る見るうちに氷に覆われる。地面ごと脚が凍らされ身動きがとれない魔物たちは、あらゆる方向から伸びた氷柱に体を貫かれた。氷柱の一つは先端が平らになっており、マクベスはガルーダの死体から手を離すとそこに降り立つ。すぐそばに魔剣が刺されたままのオーガがおり、引き抜いた。


「よっと」


 氷柱から降り、氷の魔術を消せば一斉に魔物の亡骸が地面に倒れ伏した。生き残った数匹の魔物は一斉に森の中へと逃げ出すが、数匹とも全く同じ方向だった。その理由もわかっているマクベスは、背伸びをしてその方角へ声をかける。


「なぁ、アンタが所有している魔物はこれだけかよ?」


 マクベスが呼びかけると、


「……お前は何者だ」


 ローブを身に纏った、首に傷のある中年の男が姿を現した。


「おいおい質問を質問で返すなよ。まぁいいや、お望みどおり答えてやる!」


 マクベスは魔剣を地面に突き刺すと、空いた手で自分に親指を向け、堂々と答えた。


「オレはマクベス! 王都レクスタリアの冒険者ギルド、流星雨に所属している冒険者だぜ!」


 マクベスが名乗ると首に傷のある男は目を丸くした。


「マクベス? ……まさかお前、あの“天下無双”のマクベスか!?」

「ギャハハ! 自分の名が知れ渡ってるってのは良い気分だぜ!」


 癪に障る笑い声を上げるマクベスに対し、男の顔に焦りが生じる。マクベスは魔剣を引き抜くと男に質問した。


「今度はこっちの質問に答えてもらうぜ。アンタは何者だ?」

「……答えると思うか?」

「えー、オレは答えてやったのに? まぁいいや。どちらにせよオレのやることに変わりはねぇ」


 マクベスは双剣を構え直した。


「魔物をけしかけ、絶望する村人を見るのは楽しかったか? 次はアンタがその絶望を味合う番だぜ」


 マクベスが一歩前に踏み出せば、男は一歩後ずさる。


「……天下無双のマクベスが相手なら、躊躇ためらう必要はないな」


 男は何かの呪文をつぶやきながら手に持った杖を掲げ、円を描いた。すると男の頭上に、石で作られた巨大な両開きの扉が出現した。扉はゆっくり開かれ、隙間から禍々しい魔力のオーラが溢れ出す。次の瞬間、扉を破る勢いで中から巨大な何かが飛び出した。二人の間に降り立ったそれは熊のような大きさで、深い藍色の肌を持つ獣だった。頭が三つあり、六つの赤く鋭い眼光がマクベスに向けられた。


「可愛い私の冥府の番犬ペットよ、その男を連れ去ってしまえ!」


 男が杖をマクベスに向け言い放つと、魔物は雄叫びを上げながら四肢に青白い炎を纏わせて襲いかかる。


「割に合わねぇ仕事ばかりで嫌になるぜ!」


 叫びながら、マクベスは双剣にそれぞれ魔力の風と冷気を纏わせ、後方に飛び退いて冥府の番犬と呼ばれた魔物──ケルベロスの爪撃を回避する。双剣を叩き込もうとするが、強靭な肉体からは想像し難い軽やかな動きで避けられてしまう。爪と剣による攻防が続き、男は苛立ちを覚えたのか杖を振った。


「ええい、早く奴を殺せ!」


 杖の先端についたオーブが不気味な光を放つと、それに呼応するようにケルベロスの脚に鎖のような物が一瞬だけ姿を現した。


「!」


 マクベスはそれを見逃さなかった。ケルベロスが大地を揺るがすような咆哮をし、一気に距離を詰めて爪を振り下ろした。片方の魔剣を氷で覆い、爪の攻撃を受け流す。次に後方へ跳躍して二撃目を回避した。マクベスは魔剣に風の刃を纏わせるとそれを振り放つ。目を潰そうと放った一撃は、惜しくもケルベロスの眉間に薄い線を刻んだだけだった。

 男はマクベスを仕留めさせようと躍起になっていた。魔物を操っている杖を振り回し何かを叫んでいる。するとやはり、わずかな間だけ鎖が視認できる。

 男が命令する度に一瞬だけ現れる鎖の正体をマクベスは知っていた。そのおかげでケルベロスを斃すよりも手っ取り早く、現状を打破する方法を思いつき、早速実行に移す。


「どうしたケルベロス! 冒険者一人すら仕留めきれねぇなんて、冥府の番犬の名折れだな!」


 人差し指を動かし、来いよと挑発する。それに怒ったのはケルベロスではなく男の方であり、呪文を唱えるとやはり一瞬だけ鎖が現れ、ケルベロスは闘牛のように地面を掘るような動作をすると、真っ直ぐに突進してきた。

 男の意識は完全にマクベスとケルベロスの方に向けられていた。圧倒的な力を誇るはずのケルベロスが苦戦しており、男は気が気ではなかった。上位の魔物を使役するための鎖の制御に必死で、マクベスの企みに気づいていなかった。

 ケルベロスの猛撃を双剣で斬り払い、気づかれないように少しずつ男との距離を詰めていく。大振りの攻撃をかわすとマクベスは呪文を唱え、魔剣に纏う風の刃をさらに伸ばした。そしてそれをケルベロス──ではなく、丁度真後ろの方向に立つ男に向かって振り下ろした。男を狙って放った風の刃をケルベロスは難なく避けた。そのせいで風の刃は男が持つ杖に向かって飛んでいく。予想外の出来事に、男はとっさに半透明状の魔術の障壁を展開するが、展開途中の障壁は簡単に壊れてしまい、杖の先端にある宝玉に致命的な傷を負わせた。


「しまっ──!」


 ケルベロスを操っていた杖がその力を失い、魔術で形成された鎖がまばゆい光を放つと、瞬時に砕けて消え去った。己を縛るものが無くなり、ケルベロスは咆哮を轟かせた。

 マクベスは風の魔剣をホルダーに戻し、割れた宝玉とじわじわと男との距離を詰めてくるケルベロスを交互に見やる。恐怖で顔が引きつった男の胸ぐらを掴み、顔を近づけた。


「オレの知り合いが言ってたことだけどよ、冥界の扉って死者の魂があると突然現れて、その魂を番犬が連れていくことで閉じるらしいな」


 ケルベロスが唸り声を上げるが、気にせずにマクベスは話を続けた。


「もし死者の魂が存在しない状態で何らかの方法で扉を開けちまうと、ケルベロスは冥界へ戻るために生者を連れ去ってでも門を閉じようとするって話は本当か?」


 男は体を震わせ、歯をガチガチを鳴らすだけで答えてはくれなかった。ケルベロスを指揮下に置けていないため、それどころではなかった。


「沈黙は肯定ってことでいいな? なら──」


 マクベスは掴んだ手を離し、数歩下がると氷の魔剣を地面に突き刺し、込めた魔力を拡散させた。


「冥界で可愛いペットと遊んでやれ!!」


 魔剣を中心に周囲が凍てつき、男の足元の氷が突如としてせり上がる。急な傾斜の氷は男をある方向へと転がした。


「うぐっ!」


 頭を打ち、痛みで患部を押さえる男の耳に「グルルル」と低い唸り声が入る。顔を向けると、そこには鋭い視線を送るケルベロスの姿があった。

 どれだけ攻撃しても躱されてしまう青年と、自分を操っていた手負いの男──冥界へと連れ去る者は既に決まっていた。

 ケルベロスが大地を蹴り、男の悲鳴が上がる。右の頭が男の肩に噛みつき、牙を食い込ませる。男は必死に杖で殴るが、牙の拘束が解かれることはなかった。ケルベロスは男を離さぬまま扉へと跳躍した。


「や、やめろ! 離せ!! はな──」


 ローブを身につけた、首に傷跡のある男の最後の姿は扉の先の世界──夜空が広がる冥界から伸びる無数の青白い手で遮られ、すぐ見えなくなった。扉はひとりでに閉じられ、霧のように霞んでいき、すぐに消えた。

 多くの魔物を斃し、村に魔物をけしかけた張本人を始末し、ケルベロスを還し終えたマクベス。彼は肩を落とし安堵あんどの溜め息をついた。割に合わない仕事を終え、村へと戻っていく。



* * *



「本当に、何とお礼を申し上げれば良いか……」

「オレは仕事をしただけだぜ。それじゃあな」


 次の日の早朝。マクベスは村長と村人たちに見送られて、王都レクスタリアへの帰路につく。森を抜け、地平線の見える草原を歩き、昼になる頃にレクスタリアの城下町を囲む高壁が見えてきた。高壁の周囲に街が広がっていて、駆け足でそこへたどり着く。

 様々な種族の住人たちが行き交う街を歩き、門番と挨拶を交して門をくぐる。レクスタリアは交易が盛んで人口も多い賑やかな王都で、いくつかある大通りの行き着く先には、城壁に囲まれた立派な王城がそびえ立っている。

 マクベスは大通りを進み、しばらくすると「冒険者ギルド流星雨」の看板が掛けられた建物が見えてきた。玄関の扉を開けると、来客を告げるベルが鳴った。ロビーには仕事前に食事を済ませようとする冒険者たちの姿がある。左側は依頼書が敷き詰められたコルクボードがあり、それらを眺めていたロウゼンがマクベスに気づくと、軽く手を振った。


「やぁマクベス。……何だか疲れてないかい?」

「ここ数日いろいろあってな。割に合わない仕事なんてするもんじゃねぇって痛感したぜ」

「あはは、それは大変だったね。お疲れ様」


 ねぎらいの言葉をかけ、ロウゼンは再び依頼書に目を向けた。今日はもう依頼を受ける気にならないが、習慣に逆らえずマクベスは依頼書に目をやる。詐欺師の女盗賊や正体不明の殺人鬼、禁術の研究をしていた首に傷跡のある男の捕獲や近郊の魔物の討伐、脱走したペットの捜索願い等、様々な依頼があった。

 マクベスはコルクボードの前を通り過ぎ、宿舎に繋がる渡り廊下に一歩踏み入れ、


「ってちょっと待てぇぇええ!?」


 目を見張るような速さで戻り、一枚の依頼書──首に傷跡のある男の依頼書を引き剥がし、食い入るように読んだ。


「どうしたんだ?」


 マクベスの異様な反応に目を丸くするロウゼン。


「こ、これってさ……」


 手に持つ依頼書を指差すと、ロウゼンは「ああ、それか」と依頼の詳細を話した。


「君はしばらくここにいなかったから知らないのか。彼は元々ラディバン魔導学院の教師だった男だよ。かなり問題のある教師だったらしく、学院から追い出されたんだけど……後に禁術に手を染めていたことが発覚してね。騎士団が家に踏み入ったときにはもぬけの殻だったそうだ」

「……その禁術ってのは?」

「魔物を操る魔術を研究していたという噂だ。報酬金を見てわかるとおり、もしその依頼を受けるなら気をつけ──」


 言い終わらないうちに、マクベスは依頼書を真っ二つに破くとくしゃくしゃにして丸め、すぐ側のゴミ箱に叩きつけるように捨てた。


「なっ、何をしてるんだ!?」


 目の前で依頼書が破かれ、ロウゼンは驚きを隠せなかった。その様子を見ていたギルドマスターもカウンターから何かを叫んでいるが、マクベスの耳には届いていない。

 首に傷のある男はどこを探しても見つからない。それを証明する物ごと、冥界の向こう側へと消えてしまったからだ。それはつまり、多額の懸賞金はマクベスの手に渡ることはないということであった。


「……え」

「? 何か言ったかい?」


 小声でマクベスが何かをつぶやいたので、ロウゼンは訊き返した。


「ちょっと付き合えロウゼン! 飲むぞ!!」


 やけになってそう叫ぶマクベスに察しがついたのか、ロウゼンは苦笑いを浮かべた。


「まぁ、少しくらいなら」

「サンキュー! やっぱり持つべきものは親友ダチだぜ!」


 ロウゼンの腕を掴み、勢い良く玄関から飛び出した。


「えっ、ちょっと待ってくれ! 今から飲むのか!?」

「当たり前だろ! 昼間だろうがヤケ酒しなきゃやってらんねぇっての!!」


 やっぱり断ると叫ぶロウゼンを引きずりながら、マクベスは贔屓にしている酒場に飛び込むのだった。

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