第2話 異世界の物理法則は気持ち次第

 僕は《枠》作りに取り掛かる。


 《枠》を作るときは、まず体の近くに《枠》のもとになるイメージを想像する。


 そのイメージを飛ばしたり、伸ばしたりして、ここだと思ったときに強く念じるとそのイメージの《枠》が実体化する。


 《枠》のもと作りは体の一部に沿わせるようにするとやりやすい。僕はまず、右手と左手、それぞれの人差し指と中指をまっすぐ伸ばし、親指をそれに直角に立てる。


 そして、残った指は軽く握りこむ。おおよその形はいわゆる拳銃を示すハンドサインで、その銃身部を指二本にしたものだ。


 ただ、手のひらは地面と平行にしている。つまり、拳銃を横向きにした格好だ。両手をその形のまま前に突き出して、間に指に沿わせた四角形の《枠》の素を作る。


「『角枠スクウェア』!!」


 人前で、ハンドサインを作って技名を叫ぶなんて、地球だったら恥ずかしくてとてもできないだろう。


 しかし、ここは『ドレサース』だし、僕は"技名を叫ぶ"と《枠》を作りやすいのだ。もともとこういうの大好きだったからね。ノリノリでやらせてもらうぞっと。


 指に作った《枠》のもとをイノシシの足元に向けて発射する。そして、足元に到達したところでそれを実体化させる。


 ガキン!


 だけど、動く的を捉えるのはまだ苦手で、《枠》で囲えた足は一本だけだった。これでは足止めにならない。


「ぅええ!? もう一度『角枠スクウェア』!」


 焦ってもう一度もとを飛ばすが、今度はイノシシの胴体に吸い込まれていった。


 《枠》のもとが植物を含む生き物の体や土や岩などの無機物と重なっているときは実体化は出来ない。


 真っ赤なイノシシの目がこちらを向いて僕をにらむ。明確な殺意をこちらに向けられるが、どうせ一度は死んだ身だし、こちらもイノシシを倒そうとしているのだ。


 ひるんではいられない。


「こっちです!!」


 オリカが風の刃を作り出し、イノシシに向けて放つ。刃はイノシシの表皮を傷つけ、血を流させる。傷つけられた怒りで、イノシシは赤い目を僕からオリカのほうに向けた。


「落ち着いてください。突進はオミさんが抑えてくれます」


「ほうじゃ、まあ、よう狙えぇや」


「オッケー! ありがとう!」


 二人に言われてなんとか落ち着いた。焦りすぎてたな。


 僕は狙いを定めて《枠》のもとを放ち、今度こそ《枠》で前側の両足を拘束した。


「オミ! 足止めした!」


「えっしゃ!」


 言葉と同時にオミがイノシシの力をいなしながら横に逃げる。思うように足を動かせないイノシシは、つんのめって鼻先を地面にめり込ませた。


 その隙を逃さず、オミとオリカが動く。


「上げてくれえ!」


「『ウインドブロウ』!」


 オミの体をオリカの風が上空まで押し上げる。


「おっしゃ、こっから落ちるどぉ! 後押ししてくれぇ!」


「分かりました! 下へ! 『ウインドブロウ』!!」


 オリカの操る吹きおろしの風が、重力に引っ張られているオミの体をさらに加速させる。


「おどりゃあああ」


 両こぶしを頭上で組み、イノシシの脳天めがけて、猛スピードのオミが落下した。


「『ノック オン』!!」


 技名を叫ぶと同時に握り合わせたこぶしをイノシシの脳天にたたきつける。大砲の玉が直撃したような打撃音と共に、イノシシは下あごから地面にたたきつけられ鈍い声を上げた。


 と同時に僕の前に巨大な黒い筆文字が浮かび上がる。


『 ノ ッ ク オ ン 』


 うわなんだこれ? マンガやゲームみたいなエフェクトが出たぞ。こんな演出が出るんだ。かっこいいじゃん。


 突然の演出にびっくりしたが、今の一撃でどうやらイノシシを仕留めたようだ。こちらに向けられていた殺意が霧散したのを感じて、安堵する。


「〈不化〉を解いちゃる余裕はなかったのぉ。申し訳なぁが、狩りの獲物としておいしゅういただこうやあ」


「〈不化〉を解く? 〈不化〉って解けるものなの? 解けたらどうなるの?」


 この問いに対してはオリカが答えてくれた。


「経験的には大きなダメージを与えたら〈不化〉は解けますね。〈不化〉が解けたら元の動物に戻ります」


「へえ。ということは、大人しいやつだったら、その後逃がすこともあったりするの?」


「そうですね。おとなしい動物の場合は〈不化〉を解いたら、開放して、自然に返すことも多いですよ。このイノシシは、オミさんが仕留めちゃったから森に戻すことはできませんけど」


 オリカは少し残念そうにそう言った。


「なるほど。でも今回は、手加減してる余裕はなさそうでしたから仕方のない面もあるんじゃないですか?」


「そうですね。でも、なるべくなら助けてあげたいとも思います」


「はい、なるべく助けたい、そういう気持ちは忘れないようにしたいですね」


「ふふっ、よかった。ヒデンさんは優しいですね」


 ふわっと可憐に微笑むオリカにドキッとする。可愛いなあ、おい。


 そうやってオリカと話をしているうちに近くでオミがイノシシを調理する準備を進めていた。


「まあ、いろいろ思うことはあるじゃろうが…… 見てみぃや、こりゃあ食い頃じゃあ。仕留めたら食うんが営みよぉ」


「だね。食おう食おう」


 それはそれ、これはこれだ。


 オミは木の上方の枝に登り、一本のロープを枝にまたがらせて垂らした。ロープの片方の端を持って下に引けば、もう片方が上がる状態だ。


 枝を降りたオミは一方のロープの端をイノシシの後ろ脚にくくりつけ、一方のロープの端を手でつかんだ。


「吊るすどー。そりゃあ! フン! フン! フン! ……」


 【ラガーシャツ】を着たままのオミが力を込めてリズムよくロープを手繰るとイノシシの体がずりずりと地面を這っていく。


 やがて後ろ足がロープの真下に来ると、だんだんと後ろ足が上がり、その巨体が吊るされていく。


 おおー。やっぱりすごいな【ラガーシャツ】。オミの作業を見ながら思わず感嘆の声を上げる。でも、あれ? おかしくない?


「オリカさん、あれなんか変じゃないですか?」


「? なにがでしょうか? 便利な能力じゃないですか」


「いや明らかに、オミの体重のほうがイノシシより軽い。その状態でロープ引っ張るとオミの体のほうが上がっていくのが普通じゃないですか?」


 僕は腕力がないからできないが、消防士なんかの訓練で、腕だけの力でロープを登る様子を見たことはある。相手の方が重ければそんな風に体が上がっていくはずだ。


「え? そういう場合もありますけど、今はイノシシのほうを上げるようにしているのではないでしょうか。だからイノシシのほうが上がっているんだと思います」


「え? なにそれ? なんでです? 重い方を上げるようにするってどうやるんですか?」


「どうって、上げることのできる力があって、上げようとしたらあがるでしょう?」


「え?」


「え?」


 そのあと、イノシシのつるし作業を終えたオミに同じことを聞くと「がんばりゃぁそうならぁ」と言われた。


 さらに、一度イノシシを下ろして、オミの体が上がるバージョンとイノシシの体が上がるバージョンを実演してくれた。


「言うとらんかったか? こっちじゃあ、上がれぇいうて思うたらイノシシが上がるわ」


「いや聞いてないし、普通は出来ないよ」


 人の気持ちで物理法則が変わるなんで、すごいなこの世界は。しかも、それが普通だから疑問に思われてないみたいだ。


 さらにオミは軽自動車並みの大きさのイノシシをガツガツとすべて食べつくしてしまった。明らかに食べた量のほうが、現在のオミの体の大きさよりも大きい。


 重力に続いて質量保存の法則も無視か。なんというか、異世界の物理法則って感じだ。面白い。


 さっきオミがイノシシを仕留めた時の筆文字(ドレサースエフェクトと名付けた)も「そりゃあ、気合を入れた一撃じゃったし、文字くらい浮かぼうが」とのこと。


  そういうものらしい。


  僕にも出せるかな。出せるなら早く出してみたい!


 自動車並みの大きさの獣も仕留めたし、ある意味前世の仇もとれたかな。


 これからもここで暮らしていくのか。ふふっ。思わず笑みがこぼれる。


「ワクワクしてきたぞ」


枠枠わくわくしいよりゃあ、ワクワクの方がええのぉ」


「ははっ、そのとおりだ。ますます"ワクワク"を大事に生きることにするよ」


 僕はオミからかけられた言葉に返答しながら、前世のこととこちらに来た時のことを思い出していた。


 最初から"ワクワク"するスタートだったよ。

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