かにばらすらっしゅ!!

平沼 辰流

第1話 その名は"スズキ"

スズキは、名をスズキという。


スズキが名乗ると、だいたい相手は「は?」と言う。それからスズキをぶしつけに、舐め回すようにべろべろと眺めたところで、


「それ……昔の苗字じゃね……?」

と続くまでがお決まりとなっている。


なんでも、ある地域のニンゲンで二番目に多かった苗字が「スズキ」だったそうだ。


ああ説明が必要であるな。

苗字というのはニンゲンの品種につく名前のことだ。覚えておくといい。


二番目に多かったということは、ニンゲンのスズキはさぞ増やすに値する資質を持っていたのであろう。何くれと、もてはやされるユリやランの連中のように。


前任と同様、スズキも湯浴みを趣味とさせてもらっている。

学園を造る大樹の化石のうろの底、髄より滴る甘露でかすむ木立ちのなかに、小さな泉がある。

最近は多忙を極め、たまに赴く程度だが、行くといつも良い湯が湧いている。

碧晄流体、鉱物成分、ほか適度に混ざりし有機物……スズキたち花人にとっては薬湯だ。


ほう、と息をつき、ほとりの石舞台で着物を脱ぎ去り、どっぷりぬるま湯に浸かる。とうほど数えたところで、そのまま肌を軽石でこする。

遠慮はいらぬ。奥まったところはぐりぐりと、薄いところはざりざりと。そうして落ちる古い皮を、夜のうちに冷えた水でまとめて流していく。


今朝も肩まで浸かっていると、何やらざわざわと木立ちが揺れ始めた。

あー……と思わず声が出る。

燃え殻に似たがしておった。それも熾火のなかで黒い煙を噴いているような、一番しようもないやつだ。


「くそが」

果たして竹ヒゴのように細く荒い声が飛んできた。

カタナとブーツが草むらに落ちる。

その上に鋼条樹の帷子かたびら

んで靴下、カッターシャツ、短パン、ショーツ、ブラと順ぐりに乗っかり、最後に細い身体が身を躍らせる。


波に乗ってぷかぷかと黄色い花びらが寄ってきた。これがまた不潔なので片手ですくって放り出す。こいつ、人が失敗なら花まで救えない。

スズキには丁度よい湯量も、向こうには丈が足りず、胸が下まで出ていた。また大きくなったようだ。スイカふたつ……までは行ってない。たぶん。

引きこもってるせいで肌も白く、背ばっかり伸びているのが、なぜか見てるとムカついてきた。


じいっと睨んでいると、向かいで濡れた髪を掻き分けながら、アイツが手を出してくる。

「うん……」とほざかれた。

「あ!」と返した。

「あ"?」と吠えてくる。

「ああ!」とやり返す。

そこで舌打ちされた。最近の年寄りはキレやすくてダメだな。


「だ・か・ら軽石! よこせよ」

「言葉が汚いな。二〇点だ」

ぽんっと投げて渡してやる。

やつが無作法にごしごしとやるのを眺めつつ、やっぱりボコられたかと思った。


図書館の資料班というのは基本的に出不精のしょうもないやつばかりだ。

この竹馬の擬人化みたいなヒョロガリも、また然り。ろくに剣すら振ったことがないのに、「仕事無くて暇そうだから」と駆り出されている。


遺跡歩きゴーストか?」

と声をかけると、髪の隙間から黄色い目がこっちを見てきた。

「いや、鳥みたいなやつ」

「ほう。たかが鳥に」

「みたい、と言った。見たことない型だったよ。あとでおたくのところにも送っとく」

「仕事を増やすくらいなら花に還って欲しかったな」

ふっと笑う。向こうもガイコツみたいな顔をカタカタと鳴らして微笑んだ。


「……ちんまいお風呂野郎が」

「失敬な。"とらじゃすとがーまー"であるぞ」

「トランジスタグラマーな? 出来もしねえのにむつかしい言葉つかうんだから」

「あーあー、これだから学者は嫌いだ」

鼻まで湯舟に沈んでぶくぶくと泡を浮かべる。


「オマエたち、いっっっつもホゾほども役に立たんことばかり勉強していい気になりよる」

「それが? あたしらは見つけるだけ。役に立てるのはそっちの仕事だろ」

「しかも肝心のところは人任せ。堕落、たい廃、穀潰し……」

「言っとけ言っとけ!!」


ガリンガリンと軽石が削るたびにかさぶたが湯に浮き、そのたびやつが溜め息をつく。

通算四〇回目の嘆息が出たところで、パシャっと湯をぶっかけてやる。

「出るぞ。オマエの毒で湯が悪くなったらたまらん」



ヒョロガリ野郎とは月の園を過ぎた辺りで別れた。これから探索班のところに装備を返しに行かねばならぬそうで、いかにも億劫そうに刀を運んでいた。


あの花、ダイハギと言うらしい。


古い文献によると、植えた覚えもないのに好き勝手に増えて、土をさんざん荒らした挙句に自分の毒で自滅するしょうもない害草だったそうな。


「スズキさん、独りでぐぶぐぶ笑わないでください。気色悪いんで」

テーブルの向かいでざんばら髪を垂らしたミサビが言う。

目を上げると、向こうはハサミのような部品を研いでいるところだった。

探索班から送られてきたやつだ。「使えないか?」と言われたので「試してみる」と答えたのが運の尽きだった。


「ん……」

「お水をお願いできますか? こいつ、地金が悪いからすぐダメになっちゃって」

「水汲みくらい自分でやったらどうだ」

「見て分かりません? 私はあなたより忙しいんです」

こいつもこいつで忌々しい学者肌だった。

嫌味ったらしく水を足したピッチャーをガツンと置くと、ミサビは軽く頭を下げてきた。


「で、さっきから何の本ですか」

「マンガ。絵がいっぱいついてるだろう?」

「私はいまシリアスなんですが」

チャキっと鉄粉を含んだ水が飛ぶ。細い指に青スジが浮いていた。

「……植物図鑑です」

「珍しい。また餌の改良をするので?」

「いや。風呂をよく一緒にするヤツがいてな」

「ほう」

「名前を知らん」


刃を研ぐ音が止まった。

ミサビの肩から出た葉がシャラシャラと揺れる。

「仲、悪かったり?」

「オマエと一緒にしないでほしい」

「尋ねれば良いじゃないですか」

「たかが名前で頭を下げたくない」

ぷっと吹き出された。


ヤシ科の花人といえば鬱陶しいほどのハイテンションが相場だが、どうにもソテツという花は陰険で根暗でじめじめしていてダメだ。人格が完ッ璧に破綻しておる。


「ライブラリの馬鹿でな、ムカつく」

「あー……やっこさんたち、外に出るの少ないっすからね」

「あいつらは許せん」

ガッと椅子を倒し、足をテーブルに載せる。

ミサビが眉をひそめたのを、フムンと鼻を鳴らして応じる。


「元来、"スズキ"というのは実りの季節という意味だった」

「その話、長くなりそうですか?」

「それをアイツら、"でんわちょ電話帳"なんぞ翻訳しおって!!」

ガンっとテーブルに飛び乗り、ミサビの襟を掴む。ぶんぶん振ってやると、ヤツは面倒くさそうに払ってきた。


「それくらい良いじゃないですか……」

「オリジナリティ溢れると思ってた自分の名が、地域で二番目にありふれたものだったと分かったらフツーはキレるじゃろ!! それともなんだ、オマエも『みんな使ってるのは良い証拠』などとオタメゴカシを--」


「『自業自得』」


しん、と沈黙が訪れた。

ミサビがハサミを持ち上げ、波打つ刃紋を確かめる。指を這わせてうなずくと、そっと台から砥石を外し、中研ぎ用のものに変え、ちゃぷちゃぷと水をかけていく。


「私の名前。失敗ばっかりの見習い時代。『身から出た錆』っていう昔の言葉があって、だからミサビ」

「あ……」

キンキンに醒めた目がこちらを見て、また砥石に戻る。達観したような手付きで刃を動かすたび、鉄で黒くなった水がしょりしょりと受け皿に落ちた。


「ご自分の名前、大事にしてくださいね」

「……はい。すいません」


このソテツ野郎、一緒に仕事をしていると地雷が多くてたまらん。


そのとき廊下で足音がした。

どうやら今朝言っていた物品が、あちらにも到着したらしい。隣のスメラヤ班も大変であるなぁとぼんやり思っていると、ドアがいきなり乱打された。


「た、助けて! 助けてください! 誰かぁ!!」

何度目かで戸板が吹き飛び、黄色の髪をした花人がスライディングしてくる。

バッと上がったツラがこちらを見るなり、まんまるの目に涙を浮かべた。

来てくれるなというスズキの祈りもむなしく、クラウチングスタートを決めて豪速球の人間大砲が飛んでくる。


インパクトの瞬間、たしかに何かが折れる音がした。


「ごぷぇ……」

「スズキさああぁん!!!」

ギチギチとベアハッグをかましながら、彼はぐりぐりとスズキの胸に頭をうずめた。

「助けてええ!! 私、ブチ枯らされちゃいますうううう!!」

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