プロタゴニストとファムファタル

「人は何故、酒を飲むと思う?」


コト、と微かな音を伴って、アルミ缶が鉄製のフェンスの上に置かれる。


このビルの屋上からは、街を一望できる。


プラグマティズムの上に林立する摩天楼まてんろう

E-wasteの山々とバラック。

赤茶けた平和記念碑。


街の中心部にたたずむ巨大な煙突には、「桃源郷(自称)」というネオンサインが光る。


「私が思うにね、酒を飲む事自体に特別な意味は無いんだよ。酒がある、っていうその一点が人を明日へ駆り立てるの。それをちまたでは、『希望』っていうらしいね。」


松井はフェンスにもたれ、おもむろに口火を切った。


「あたしの希望はね、虚構フィクション。本を開けるまで、テレビを点けるまで、その物語は確定しない。どんな悲劇だって、突然忍者が出てきて強引にハッピーエンドにしちゃっていい。想像の余波は無限に広がる。それって素敵な事じゃない?」


松井の背後を、烏鵲うじゃくの群れが横切る。

羽音が周囲に少し響いた。


しかして、私はキミという虚構フィクションに火を点けたよ。はてさて、どんな物語をあたしに見せてくれるんですかねー。楽しみで生きるのもやむなしですよ。」


そう言うと、松井は体を180°回転させて、フェンスを抱くようにもたれかかった。


それから、屋上のコンクリートに転がる球形の機械を見やる。表面が僅かに黒く焦げている。


「カメラ壊すなよ...。あ〜あ、陰茎アーバンもげればいいのに。あのヤリチン。」


溜め息が一つ。


「でも、いいんだ。元々、キミを撮るのは一回だけだったから。ホラ、見て。」


松井は、上空を飛ぶモニター付飛行船を指差した。


そこには「高宮航太」「ソードベントだ」「木村昴 逮捕」などの退廃的なニュースが広がり、女性アナウンサーが無機質な声でそれらを読み上げる。


松井は、その中の一つ...「改造人間、死ぬ」を示した。


「ちょっとだけ話題になってるよ。民間人を無差別に殺して回ってた怖〜い改造人間が、現場でポックリ逝ってたんだもん。本格的に調査が始まって、監視カメラの映像が世に出れば、きっと知れ渡るだろうね。悪を狩るヒーローの姿が。」


松井は続ける。


「後は、コツコツとキミが人助けをしていけば、おのずとその存在は伝播でんぱしていくよ。まさか、手術が終わって、すぐに敵の襲撃があるとは思わなかったけど〜。」


ふと、松井は顧眄こべんした。


「てか、キミ話さなさすぎじゃない?あたしにばっかり喋らせて、可哀想だと思わないの?」


「いや、松井がずっと喋ってるから割り込むのはどうなのかなって...」


「逆だよ。逆。」


「俺は家でも学校でも一人が多かったし、友達も...友達も数えるほどしかいなかったから、その...人と話すのに慣れてないんだ。不快にさせてしまったのなら、謝る。すまんかった。」


「別に怒ってないですー。キミと話すと調子狂うから嫌なんだよ。後、キミはもうちょっと自分に自信を持てよ。そうポンポン謝るんじゃあない。」


「すまん...。」


「だーっ、詫びるな!!あたしは、キミのそういう愉快な真面目さが大好きなの!!」


「衷心、お詫び申し上げ...」


「カス!!!!」


松井は缶ビールを仰いだ。


「キミ、初めて戦ってどうだった?怖気付いた?」


ひろは、しばらく黙考した。

しばしの沈黙を破って、ひろの口が開く。


「...子供がいたんだ。」


「...ポエットだね。」


「俺は、この手で何一つ守れやしなかった。女の子の笑顔一つさえ...。もっと力が欲しい。守れる物はこの手で守りたい。俺はこの為に生まれてきたんだって、これからも生きてていいんだって...そう、思いたい。」


「ふ〜ん。ブレないじゃん。だから、腹筋してんだ。」


「うん...。」


松井はまたもフェンスの方に向き直って、体を預けた。

先程から腹筋し続けるひろを背後に。


「じゃあさ、まずあたしを笑顔にしてよ。」


松井は街の風景を眺める。

酷く我々の世界と乖離かいりして、どこか繋げるような...私たちの常識がまるで通じない、そんな世界を。


燕尾服えんびふくとかシルクハットみたいなのを着けた改造人間に会ったでしょ?奴の名前は『PARASITE MAN-パラサイトマン-』。生物の死体を乗っ取って、操る能力を持ってる。」


ふと、カラスの鳴き声がした。


「奴は、生まれた時から絶望してて、この世の全てを失くしたいと思ってる。奴は、その能力で悪い改造人間をい〜っぱい増やしてる。あ、キミが死んだ電車事故も、奴の手引きだよ。とにかく下劣で卑劣で悪い奴なの。最低で最悪で、死んでも死にきれないようなクソ野郎なんだ。」


カラスの鳴き声が、僅かに強くなる。


「殺してね。」


ひろから見て、松井の表情は伺えなかった。

ただ、その声色は黒かった。

チューブから捻り出したように淡々として、全ての絵の具を混ぜ合わせたように感情的。

そんな形容し難い声色だった。


「絶対だよ。」


松井は念を押すように言う。


「絶対。」

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