第3話 噛み合わない歯車

 意識が覚醒する。また、あの夢だと、そんな風に頭が理解する。夢の内容はほとんど記憶に残らず、忘れてしまっている。ただ、漠然と、ここではないどこかで過ごしてるいつもの夢だということだけが分かる。それもおかしな話だ。内容なんて、全くといって良いほど覚えてもないのに、この夢はよく見る同じ夢だと言うことだけが分かる。それでも、この夢はなんだか気持ちを穏やかにしてくれるので、見た日には少し得をしたような気分になるのだが。


 ベッドから身を起こし、顔を洗って、水を飲む。その間に、今日は何をしようか考える。昨日が終業式であったため、今日は春休みの初日ということになる。春休みの間は、特に誰かと過ごす予定もないと、考えたところで、昨日の出来事が思い出される。昨日、人生ではじめて告白をされた、あの出来事を。急速に、顔が赤くなっていくような感覚に襲われるが、頭を振り、冷静になる。あれは、夢の中の出来事だったはずだ。それにしても、告白される夢を見るなんて、もしかすると俺の方が、彼女のことを意識しているのかもしれないと、そんな恥ずかしい気持ちになる。


 …誘ってみようか。幸いなことに、連絡先は知っている。春休みの間に一回くらいは、どこかに出かけようと誘ってみるのも良いかもしれない。不自然じゃないはずだ。俺と彼女の仲なら、そのくらいの行動は普通ではないだろうか。それに優しい彼女は、誘いを受けたら、その誘いを無碍にするようなことはしないはず。頭の中で妥当性と、成功率を考える。考えに考えて、ためらってしまう。別に、今日じゃなくても良いはずだ。春休みは、なんだかんだ長い。明日も明後日も誘う機会はいくらでもあるはず。それに、こんな衝動的に決めるのではなく、もう少し時間をかけて考えてもいい事柄のはずだ。いや、そうした方が良いに決まっている。頭の中でありとあらゆる言い訳を並び立て、そんな臆病さを自嘲して、一息つく。


 そういえば宿題はどうなったのだろうか。家に置いてあるのだろうか。あるいは、本当に学校に忘れてしまっているのか。とりあえず、そのことを確かめようと、無造作に放り捨ててあった鞄を開ける。果たして、宿題は鞄の中に存在していた。ただ、奇妙なのが、その宿題は1年前にやったことのある春休みの宿題だったのだ。ページをめくってみても、なにひとつ異なることなく、1年前の春休みの宿題であった。


 首をかしげる。昨日から、いろいろと意味の分からない出来事に遭遇してばかりだ。間違って1年前の春休みの宿題が配られてしまったのか。それ以外に、この状況を説明できるような理屈がない。学校に確かめに行こうかと考える。ただ、昨日の夢のこともあってか人が少ない学校に向かうことにためらいが生まれた。夢に行動を縛られるなんて馬鹿馬鹿しいと感じながらも、怖いものは怖いのだ。


 とりあえず、同じクラスで唯一連絡先を知っている佐藤に聞いてみることにした。みんなが間違って配られているのか、それとも俺だけが間違っているのか。卑怯な話ではあるが、もし、みんなが間違って配られているのだとしたら、わざわざ俺が行動を起こす必要も無いだろう。誰かが気づいて学校に言いに行けば、学校側から対応の連絡が来るだろうから。運が良ければ、向こう側のミスということで春休みの宿題自体がなくなるかもしれない。そんな淡い希望を抱きながら、昨日の昼から充電器に刺しっぱなしだった携帯を手に取り、アプリを開く。元々、登録してある人が少ないため、すぐに彼女の名前が見つかるはずだったのだが、どれだけ目を凝らしても、何度も見返しても、彼女の名前は登録されていなかった。


 そんな馬鹿な話があるだろうか。確かに登録したはずだ。記憶力だけが自慢のはずなのに、そんな大事なことを忘れるはずがない。それとも、連絡先を交換したと思っていたのは、自分の妄想が作り上げたものなのか。もしそうなら、彼女の存在自体が俺の作り出した妄想だということになる。それこそ、行き過ぎた妄想の話だろう。少なくとも、誰かに独り言が多いなんて指摘されたこともないし、そもそも、彼女はクラスメイトに認識され、会話だってしていたはずだ。


 …落ち着こう。昨日から、大事な歯車が狂ってしまったかのように、いろいろなことが噛み合わない。


 現実的すぎる夢。


 1年前の春休みの宿題。


 無くなった彼女の連絡先。


 そのどれもは偶然襲いかかった不思議な出来事で、何か大きな勘違いの元に生み出されているのか。夢は夢で、宿題は配り間違い、彼女の連絡先はアプリの不具合か何かで消失してしまっただけ。理屈をつけようと思えばつけれないこともない。しかし、この体を襲う強烈な違和感は何なのだろう。


 …いや、連絡先を見たときから分かっていたはずだ。ただ、その違和感の答えがあまりに非現実的すぎて、認めたくないだけで。


 連絡先から消えていたのは、彼女だけではなかった。この1年、そう多くはないが登録したいくつかの連絡先も同様になくなっている。ちょうどこの1年間で登録したものだけが。

 あり得ない、そんなはずがない。


 それでも確かめずにはいられない。


 この妄想を否定してくれることを祈って、俺は今日が何年の何月何日なのかを調べた。その答えが、2023年の3月25日であるに違いないと思って。

 


 

 携帯の画面には無機質な、2022年の3月25日という数字の羅列が映っていた。ただそこには、あり得ない現実が事実として横たわっていた。

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