エピローグ

 オフィス加納の撮影のためのセットはシオリちゃんも苦労しとったわ。あそこは六人もプロがいて、六人ともクセが強いなんてものじゃないから、その要望を満足させられる業者はなかなかあらへんかってん。


 困り果てていたシオリちゃんに神戸アート工房からの売込みがあってんよ。まだ新興やったからシオリちゃんもどうしようかと思たみたいやそうやけど、熱意に負けてやらせてみたぐらいが経緯ぐらいやそうや。シオリちゃんの評価は、


『あれこそ拾い物だった』


 オフィス加納のプロの厳しい要求に満点回答を叩き出したぐらいやねん。その中心人物が、


『徳永は出来る男だ』


 シオリちゃんも気に入ったみたいで可愛がってたわ。あの頃の神戸アート工房は新興もエエとこやってんけど、オフィス加納の成功をキッカケに飛躍したもんな。コトリたちにも紹介してくれて、エレギオングループの仕事も手伝うてもうてるほどや。


「今や専務さんだものね」


 そうやねんけど、あれは最初から専務やねん。神戸アート工房は徳永君の知り合いたちが集まって始めたんやけど、その時に専務になってるねん。会社は出来たばかりやけど、いつの日か肩書に相応しいものになろうって話やった。


 それから事務方と現場に担当は別れて行ったんやが、徳永君は一貫して現場のトップや。それだけやない、徳永君の奮闘でここまで神戸アート工房が大きくなったとしてもエエぐらいや。


「そうだった、そうだった。専務と言っても実質的に社長と同格の代表取締役なんだよね。あそこには副社長もいないもの」


 そんな徳永君は友だちとはいかんけど知り合いぐらいの仲やってん。話してみると誠実やし、頭の回転も速いし、見た目も悪ないエエ男やった。その徳永君がアリスに惚れてもたんや。


「オマジナイの効果?」


 無いとは言わんけど、オマジナイなんかのうてもアリスは余裕で美人や。アリスはそうや思うてへんみたいやけど、徳永君が中学の時にアリスを初恋の相手にしたんはわかるで。ほれ、これが中学生のアリスや。


「可愛いじゃない」


 オマジナイはより美人にするし、歳かってあんまり取らんようになる。そやけど、ホンマの狙いはそこやない。オマジナイをかけたら幸せな結婚ができるんや。


「ずっとラブラブ夫婦でいられるのよね」


 これかって、理由はわからん。実績がそうやと言うだけや。アリスが例外にならんことを願ってるわ。そんなアリスと徳永君の交際はシオリちゃんもすぐに気づいたんよ。シオリちゃんも徳永君の相手にアリスを認めとったし、コトリらもアリスの相手に徳永君やったら文句無しや。そやから応援したろうって話になったんや。


 交際は順調やったみたいで、同棲からプロポーズもそろそろって感じに進んで行ったんやが、シオリちゃんから折り入っての相談があってん。


『徳永が見栄を張りたい気持ちは良くわかるが・・・』


 プロポーズの舞台にポートピアホテルのフレンチを選んだみたいやねん。舞台としては悪いことあらへんけど、徳永君はああいう場所は苦手そうやし、そもそも行ったこともあらへんはずやねん。


『徳永に恥をかかせたくないし、プロポーズも成功させてやりたい』


 ああいうフレンチはスノブな一面はあるねん。フレンチ特有の流儀みたいなもんや。たとえばメニューに必要なナイフやフォークやスプーンが一遍に出されて並べられる。あんなもん外側から使うだけの話やし、


「一流とされる店ほどちゃんとフォローしてくれるよ」


 そういうこっちゃ。間違って使うても、さりげなく補充してくれるわ。それにやで、食いにくかったら箸頼んでもかまへんねん。ここはフランスやのうて日本やからな。


「箸まで頼める人はそうはいないよ。マナーとしても微妙だし」


 後はズズっと音立ててスープ飲んだり、カチャカチャと音立てて食わんかったら十分やろし、それぐらいのテーブルマナーは自分で予習してくれんとしゃ~あらへん。


「ソムリエ対策もあるよ」


 あんなもんワインの注文だけの話やねん。ソムリエとワイン談義が出来る人間なんぞ、そうはおらんし、ソムリエかって期待しとらん。ソムリエが聞きたいのはまずワインを飲むか飲まへんかや。飲まへんかったらそれでソムリエの仕事は終わりみたいなもんや。


 飲むとなったらどれだけ飲みたいかや。ハーフぐらいなんかフルボトルかやろ。もっと飲みたいなら、それはそれで考えるぐらいや。魚料理に白で、肉料理に赤も適当でエエねん。赤でも白でも、その日のメニューに合うワインを選ぶのがソムリエの仕事や。


「二人で飲むのならボトル一本が殆どのはずだから、どれにするかは決めて来てるよ」


 そういうこっちゃ。赤、白、ロゼでそれぞれ二種類か三種類ぐらいやろ。そやから話をしながら赤が良いのか、白が良いのかを聞き出すぐらいや。決められへんかったら、


「お勧めで十分だもの」


 ムチャな値段のもんなんか勧めたりするもんか。そんなん勧めるのはよっぽどよう知った客ぐらいや。その辺より先のワイン談義が出来る客がおったら応じるけど、客からしたら赤か白ぐらい選んだったら十分やねん。


「そうなんだけど慣れていないとまごつくし、そういうところを見せたくないのが男の見栄じゃない」


 まあ特別の夜やしな。そやから、コトリが選んどいてん。ソムリエにも心づけ渡して上手いことやってくれって頼んどいたんや。テーブルもそうや。こういう時やからエエとこで食べたいやんか。


「初めての店でそんな注文付けにくいよね」


 一見さんと判断されたら端っこに案内されてまうからな。これはフレンチやからやない。それなりの店やったら、どこでもそうなるわ。それをどうこう言うのもおるけど、あれはそういう流儀やし、嫌なら来るなである意味徹底しとるとこもある。


 エエとこに座りたいんやったら常連になるこっちゃな。常連になれば客の好みから懐具合まで察しながら対応してくれるようになる。そこら辺がファミレスとちゃうとこぐらいに思うたらエエと思うで。


 演出にはメニューもある。これはコトリとユッキー、さらにはシオリちゃんからのプレゼントみたいなもんやけど、スペシャリテに変えといた。ついでに言うたらワインも三人からのプレゼントや。


「オーケストラまで呼んだのに」


 あれほどの歓喜の瞬間は人生でも数えるぐらいしかあらへんからな。


「された事のないコトリじゃわかんないけどね」


 うるさいわい。絶対成功すると踏んどったから目いっぱいの祝福のつもりやってん。


「そこまでの企画をぶち壊しにしかけやがった、あのクソ野郎は許せないよ」

「クビや」


 これはあの夜の醜態が決定打になったけんど、経営能力がアホ過ぎる方が大きいかもな。日印紅茶は三代目や。


「やっぱり三代は続かないね」


 初代は高卒からの叩き上げやねん。紅茶キチガイみたいな男で、独学でホンマに苦労に苦労を重ねて日印紅茶を軌道に乗せたんよ。


「良い紅茶を仕入れてたもの」


 後発もエエとこやから、インドやスリランカからの買い付けルートの開発から、すべてイチからのもんやってんよ。そりゃ、軌道に乗るまで山あり谷ありで何回も経営危機もあったけんど、ユッキーも紅茶が好きやし、なにより初代社長の熱意を応援しとったもんな。


 二代目も初代の苦労を見とったから、派手さはあらへんかったけど堅実経営やった。そやけど三代目は二代目の晩年の子やったんが結果的には良うなかったみたいやな。晩年の子やったから可愛がるあまり甘やかしてもたんやろ。


 もちろん持って生まれた資質もあるやろうけど、悪い方ばっかりが助長されて、変なプライドばっかり高い、ワガママなボンボンに育ってもてる。


「あの夜も愛人連れだったよね」


 越後屋社長は独身やねんけど、良く言えばプレイボーイ、悪う言うたら女癖が悪いねん。あれは愛人にするために口説いとる真っ最中やったで良さそうや。そやから女に自分の力を見せるために暴走したでエエと思うわ。


 別にあのフレンチでメシ食うてもかまへんねんけど、目立ったらあかん。ああいう店はセレブ連中もよう行っとるから、醜態晒したらすぐに評判になるんよ。大人しゅうメシ食っとりゃエエもんを、あんなアホなことやらかしやがって。


「あんな事をやらかす出来損ないに育ってるから会社の業績も傾くのよ」


 そうなんよ。三代目になってから長期低落つうか、ジリ貧状態になりかけてるんよ。初代への情もあったからここまで見とったけど、次の株主総会でクビ飛ばしたる。あそこは救済出資を何回もやっとるから大株主やからな。


「美味しい紅茶には代えられないもの」


 越後屋社長の醜態もたまらんかったけど、あそこのレストランのスタッフもなんやねんよ。あれぐらい、なんとかせんかい。ディレクトールまでおったのにあれこそ醜態やぞ。


「だよね、最後だって、あれだけの醜態のお詫びにシャンパン一杯だけって冗談にもならないよ」


 あのクラスの店は単にメシ食うためだけに行ってるんやない、あの店でメシを食うという夢も買ってるんよ。徳永君もそれを期待してプロポーズの夢舞台に選んでるんやろうが。それが提供出来へんかった時点で店の価値なんかあらへんやんか。


「居合わせた客をタダにするべきよ。そりゃ、全部は無理でも、まさかトラブルの当事者の徳永君たちからも料金を取るって信じられなかった」


 払うたんはコトリらやったけどビックリさせられたわ。あのクラスの店やったら、トラブルのお詫びにそれぐらいはやってプライドと評判を買うねんよ。お前んとこの店のプライドはたったシャンパン一杯かと笑うてもた。


「それにしてもの不手際よ」


 トラブルを宥め切れんかったんも論外やけど、


「アリスたちのテーブルに行かせてしまうなんて信じられないもの。メートル・ド・テルだけじゃなくてディレクトールまでいたのに何やってるのよ。コトリも焦ったでしょ」


 焦ったわ。越後屋社長の暴言は論外やけど、徳永君は自分の事を言われとる分は耐えとったと思うねん。


「辛うじてだけど」


 そやけど調子に乗った越後屋社長は地雷を踏みやがった。アリスまで貶しやがったんや。明らかに顔色が変わったからな。


「放っておいたら越後屋社長は病院送りになってたよ」


 普段の徳永君は温厚な紳士や。そやけど現場仕事やんか。ああいう現場は暴走族の元総長とか、元特攻隊長みたいな荒っぽい連中はゴロゴロおるねん。そやからボディランゲージになりやすいんやが、徳永君は無茶苦茶強いそうやねん。シオリちゃんは見たことあるそうやけど、


『徳永の相手をまともに出来るのはヒグマぐらいじゃないか』


 あんな丸太棒みたいな腕でボディランゲージされたら返事も出来へんわ。そんな徳永君が手加減なしの一発をお見舞いする気まんまんやったもんな。


「一発で済むものか」


 他人を頭ごなしに侮辱するのはそれぐらいの怒りを買うのもわからんか。それもやで自分の愛する人まで侮辱されたらどうなるかもわからへんのか。あそこまでやらかしたら殺されたって文句は言えへんぞ。


「あそこで怒らなきゃ男じゃないよ」


 わかるか、そうなるまでスタッフのボンクラどもは手を拱いて事態を悪化させとってんや。コトリらがおらんかったら、救急車どころか警察沙汰になるとこやってんよ。なんのためにお前らは給料もうてるんよ。ファミレスのバイトやないんやぞ。


「ファミレスのバイトでも、もっとしっかりしてるのはいるよ」


 客商売しとったら、どうしたって変なのは混じってくる。これは商売上の宿命みたいなもんや。そんなんが出て来たら、それにどう対応するかもホールスタッフの仕事やろが。オーダー取って、料理運んで、メニューの説明するんが仕事のすべてやあらんへんねんぞ。


「わたしなら即座にクビよ」


 コトリでもや。ほいでもエエ方に言うたら、あれで徳永君は男を上げたと思うねん。なにがなんでも愛する女を守る態度に惚れ直さんのはおらんやろ。


「徳永君は白馬の王子様じゃないけど、命を懸けて姫を守る歴戦のナイトだよ」


 ああ、そういうタイプや。アリスはある意味、まともな女やあらへん。悪い意味やないけど、エエ意味とも言い切れん。この辺はコトリの感覚が古いとこもあるけんど、


「そりゃ、棺桶に首どころか鼻まで突っ込んでるものね」


 うるさいわ。他人のことは言えんやろが。今かって男が女に求めるんは、家庭を守ってくれる女や。この辺はドンドン変わって来とるけんど、家庭を守る能力が無い女は敬遠されると思うねん。


「家庭を守る能力ならアリスだって十分よ」


 そうは言うけど一般的な意味での能力は乏し過ぎるところはあるねん。そやけど、ホンマにエエ娘やねん。あれはあれで尽くし型やと思てるわ。


「正統派じゃないけど、そんな気がする」


 そんなアリスを徳永君は守り抜いてくれるはずや。実際に強いなんてもんやないもんな。


「ヒグマにはさすがに勝てるとは思えないけど、イノシシぐらいならノックアウトしそうだもの」


 マジでそう思うわ。相撲取りやレスラーかって勝てる奴はそうはおらんと思う。そやから、きっとアリスを守り抜き、幸せにしてくれるはずや。


「女神の男にしたかったね」


 振り向いてくれんかったから、縁がなかってんやろ。


「また会えるよね」


 たぶんな。

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