第31話 わがままな画家

出演者(イメージキャスト)

 内村裕之(松澤病院・院長) 中井貴一

 西丸四方(周明氏の担当医師) 國村 隼

 肥田春充(体育家・周明の親友) 

 畑 千尋(看護婦長)  木村多江

 杉浦誠一(疾患者・元従軍画家) 柄本 明


 104号室が賑やかである。


 畑 「杉浦さ~んッ! 聞こえますーか。オシッコの時間ですよ~」


畑 婦長が杉浦のベッドの横で尿瓶を持ちながら声を掛けている。

杉浦が片目を開き、


 杉浦「おう!? ・・・ここはどこだ」

 畑 「ドコダじゃないですよ。オシッコの時間です」

 杉浦「オシッコ? 小便などしたくない」

 畑 「だめです。時間になったらオシッコを出さなくては」


杉浦は情けなさそうに、


 杉浦「そんな~・・・」

 畑 「ソンナじゃないです。さあッ!」

 杉浦「・・・よしッ! やってくれ」


杉浦は掛け布団をいきよい良く左手で捲(メク)る。


 畑 「はい、ご苦労さん」


畑 婦長は褌(フンドシ)をずらし杉浦の一物を尿瓶に納める。


 畑 「・・・。はい、良いですよ」

 杉浦「あ~あ、もう終りだ」

 畑 「終りじゃ有りませんッ! まだ出ていません」

 杉浦「そうじゃない。僕の人生だ。・・・ふーッ。君は強いねえ」


西丸医師が部屋に入って来る。


 西丸「強い? 何がだね」

 杉浦「よお、先生。まいったよ。小便まで人の手を借りるように成ったら生きて居てもしょうがない」

 畑 「もう出ませんか?」

 杉浦「これ以上何を出せと言うのだ」


畑 婦長はバカにした様な顔で杉浦を診る。


 畑 「一言多い患者ですね」


畑 婦長は杉浦の一物を褌(フンドシ)に仕舞いながら西丸医師を見る。


 西丸「人間はいろいろな事情の中で死んで行くのだ」

 杉浦「事情? 事情ねえ。アンタは良い事言うねえ。僕はこんな事情の中で死んで行くのか」

 西丸「何を言っているんだ。ちゃんと内地に戻って来れたじゃないか。綺麗な看護婦さんにシモの世話までしてもらって・・・、英霊に感謝しなくっちゃ」

 畑 「その通りよ。西丸先生は実に良い事を言いますわ」

 西丸「いや、別にアナタに言った訳ではない。ところで、杉さん。良い車椅子が出来たのだが・・・試してはみないか?」

 杉浦「クルマイスッ!?」

 西丸「うん。軽くてスピードが出るらしいんだ」

 杉浦「この病院で、そんな車椅子なんか要らない」

 西丸「そうか。それなら良い」

 杉浦「えッ? 随分あっさりした返事だな」

 西丸「いや、もう良い」

 杉浦「ちょっと待てよ。冷たい男だな君は。もうちょっと言い方は無いのか?」

 西丸「ない」

 杉浦「あッ、・・・乗ってみたいなあ」

 西丸「そうか。最初からそう答えなさい。病人は理屈など考えては身体に毒だ。試作品だから無理には勧められないがね。・・・実は先日、長野の自転車屋と称する片足の男が営業に来たんだ。その男はフィリッピンのルソン島で片足を飛ばされたと言っていた。何とか軽くてスピードが出る車椅子は出来ないもかと随分工夫したらしい」

 杉浦「ルソン島? あそこも厳しい戦場だった。どこかにスケッチが有ったな・・・」


杉浦は机の上に乱雑に置かれたスケッチブックを見つめる。


 杉浦「・・・で、僕の身体でテストしたいと云うのか」

 西丸「そうだ。夢が持てるだろう。脚が飛ばされても役に立つことが出来る。人生、捨てた物ではない」

 杉浦「?・・・アンタは凄い」

 西丸「そうだ。私は精神科医だからね」

 杉浦「精神科医って云うのは医者か?」

 西丸「医者だ。こう云う時代に一番役立つ医者だ」

 杉浦「僕は祈祷師かと思った」

 西丸「何!」


畑 婦長は思わず笑いを吹きだす。

西丸医師はきつい眼で畑 婦長を見る。


 内村院長と肥田が杉浦の部屋に入って来る。


 内村「調子はどうですか、杉浦さん」

 杉浦「良い訳が無いじゃないですか。僕は病人ですよ」

 内村「あッ、失礼。病人でしたね。脚が悪い人かと思った」

 杉浦「院長、それはないでしょう。私は精神病だ」


肥田が口を挿む。


 肥田「自分が精神の病(ヤマイ)と解れば病気ではない」

 杉浦「何ッ!? 君は誰だ」

 内村「ああ、紹介しょう。101号室の肥田春充さんだ」

 杉浦「肥田? やっぱり精神を病んだのか」

 肥田「病人ではない。療法士だ」

 杉浦「リヨウホウシ?」

 内村「柔剣道の師範! アナタの脚(アシ)を治す先生だ」

 杉浦「えッ! 医者か。今、僕の脚(アシ)は治らないと云う事で高性能の車椅子を注文したところだ」

 内村「車椅子?」


内村院長は西丸医師を見る。


 西丸「いや、先程院長が不在の時、長野から車椅子を売り込みに来た者が居(オ)りましてね。良い物をこしらえたので試してみてくれないかと・・・」


内村院長は西丸医師を渋い顔で見て、


 内村「西丸先生・・・困るな~。そう云う事は私に相談してもらわないと」

 杉浦「脚(アシ)は治らなくて良い。軽くてスピードが出る車椅子が欲しい」

 肥田「人間は脚(アシ)で歩くように造られている。教練でおすわったろう。気合を入れなくては」

 杉浦「ここは戦場じゃない。そんな精神戦争は終わった」

 内村「病院は身体を元通りに治す所だ。物に頼るとそれだけ復帰が遅れる」

 杉浦「僕は面倒臭いのは嫌いだ」

 畑 「何を言ってるんですか。いつまでもシモの世話なんか出来ませんよ」

 杉浦「本音(ホンネ)が出たな。そんな事より頼んであった五号のキャンパスと絵の具はまだですか?」


畑 婦長はソッポを向く。


 肥田「? アンタは画家ですか。・・・そうでしたか。それじゃ私がその厄介(ヤッカイ)な脚(アシ)を二週間で治してやりましょう」


肥田が不気味な笑いを浮かべて杉浦を見る。


 杉浦「ああ、西丸先生、止めさせて下さい。僕はこの男に殺される。車椅子を早く取り寄せてくれ」

 肥田「情けない。気合が入っておらんから精神が壊れるんだ」


内村院長は肥田を見て、


 内村「肥田さん、そう云う治療の仕方もあったが、今は時代が変わった。なるべくお手柔らかな治療を願いします」


肥田は内村院長を見て、


 肥田「心配無用! 明日から101号室に来てもらいましょう。簡単な治療から始めますから」


杉浦は驚いて、


 杉浦「えッ! 誰か立会い人は居るんでしょうね」

 内村「日替わりで看護婦に立ち合わせましょう。ねえ、畑さん」

 畑 「あッ、はい。分かりました。それじゃあ、明日は朝倉さんにお願いしてみます」

 肥田「杉浦さんと言ったね。アンタは先ず精神を治さないとだめだ。最近、良い治療法を編み出したんだ。それを試してみよう」


杉浦はきつい目で肥田を睨み、


 杉浦「僕は人間だからな。実験なんぞにされては困る」

 肥田「あれ? 杉浦さんは車椅子の実験台に成るのではなかったのかな」

                     つづく

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