第30話 思想家

出演者(イメージキャスト)

 大川周明氏(疾患者)  役所広司

 朝倉みち子(食事担当 看護婦)

 首藤操六(疾患者・元参謀副長) 石橋 蓮司


 朝倉看護婦が首藤の部屋に朝食を運ぶ。

部屋の前に来ると「覗き窓」から部屋の中を覗く。

相変わらず部屋の中は暗く、一筋の明かりが封じ込まれた金網入りのガラス窓からもれている。

外は晩秋の朝である。

「気の抜けた太陽」が、疲れた表情で病棟の中庭を照らしている。

部屋の中ほどに首藤が尻を向けて横になり、畳を見詰めている。

朝倉看護婦がドアーをノックする。

首藤の動作に変化はない。

ドアーを開けて、


 朝倉「失礼します。お食事をお持ちしました」


首藤は沈黙。


 朝倉「こちらに置いときます」


朝倉看護婦は部屋を出て行こうとすると、


 首藤「今日は何日だ?」

 朝倉「あッ! 十月十三日の木曜日です」

 首藤「時間は」


朝倉看護婦は懐中時計を白衣のポケットから出して、


 朝倉「・・・午前七時三十三分です」

 首藤「クソッ! 何てザマだ・・・」

 朝倉「どうかされましたか?」

 首藤「何でもない。行け」

 朝倉「はい。食事はちゃんと摂(ト)ってくださいね」


首藤は沈黙。

朝倉看護婦は部屋を出て静かにドアーを閉める。

しばらく「覗き窓」から首藤の動きを診(ミ)ている朝倉看護婦。

首藤はむっくりと起き上がり西の壁に貼ってある「大義」と云う文字に向かって正座・・・、沈思している。

暫くその姿勢が続き、膝を返し食事を載せた盆を手前に寄せて合掌する。

首藤の部屋を覗いている朝倉看護婦の後ろを、周明氏が通る。

周明氏は朝倉看護婦を見て、


 周明「? どうかしましたか?」

 朝倉「えッ! いや、ちょっと・・・」

 周明「首藤さん?」

 朝倉「ええ」

 周明「どこか気に成る所でも?」

 朝倉「・・・時間ばかり気にしていて」

 周明「時間を?」

 朝倉「ええ。・・・院長が時間を気にするようになると、死が近いと言うのです・・・」


周明氏は覗き窓を見る。

首藤はメザシを頬張っている。


 周明「・・・旨そうにメザシを喰ってるではないですか」

 朝倉「そうですね・・・」

 周明「面会は出来ますか?」


朝倉看護婦は「その言葉」に驚き、振り向く。


 朝倉「えッ? 面会ッ!・・・会ってくれるかしら」

 周明「まあ、良い」


周明氏はドアーをノックしょうとすると、


 朝倉「あッ! ダメです。今、食事中ですから」

 周明「そう云うものですか」

 朝倉「そう云うものです。あの方も患者ですから」

 周明「私は?」

 朝倉「先生は?・・・まあ、患者様(サマ)です」


周明氏は朝倉看護婦を見詰める。


 周明氏が便所から戻って来る。

周明氏は首藤の部屋の前まで来ると、「覗き窓」から部屋の中を覗く。

薄暗い部屋に、首藤が尻を向けて横に成って居る。

良く見ると、顔の方から一筋の煙が天井に向かって立ち昇っている。


 周明「?・・・タバコを吸っているのか」


周明氏はドアーをノックする。

急いで煙管(キセル)のタバコの火を消す首藤。

周明氏は大きく咳払いをして、もう一度ドアーをノックする。

首藤は振り向きもせず、面倒臭そうに左手を上げる。

周明氏は、そっとドアーを開ける。


 周明「失礼します」


首藤の沈黙。


 周明「少しお話を聞かせてくれませんか」

首藤はまた左手を上げて、周明氏を手招きする。

周明氏はスリッパを揃えて部屋に上がる。


 周明「お寛(クツロ)ぎ中すみません」


周明氏は部屋の中を見回す。

薄暗く実に閑散とした部屋である。

壁に何か貼ってある。


 周明「・・・暗いのが好きなのですか」


首藤は周明氏の問いかけを無視して、


 首藤「何か用か」

 周明「あッ、失礼! 私は大川周明と申します。102号室の患者です」

 首藤「だから何だ」

 周明「だから? ああ、暇なので少しお話でも」

 首藤「ヒマ? 俺は忙しい。話などしている暇はない」


周明氏は壁の小さな貼り紙に目をやる。

朱赤で「大義」と書かれた文字を見て、


 周明「・・・ほう。大義ですか。・・・元軍人とお聞きしましたが」


首藤が突然、


 首藤「うるさい! 俺は軍人なんかではない」

 周明「ああ、そうでしたか。でも大義を掲げてあると云う事は尋常な方ではない」

 首藤「・・・帰れ! 話す事は何も無い!」

 周明「ハハハ、そう言わずに。・・・私も大義に生きて来ました」

 首藤「何が大義だ。貴様(キサマ)は何者だ」

 周明「宗教家とでも云いましょうか」

 首藤「俺に坊さんは、まだ早い」

 周明「坊さんでは有りません。思想家です」

 首藤「シソウカ?」


首藤は周明氏の方に顔を向ける。


 首藤「貴様、どこかで見た事があるぞ。・・・南方戦線か?」

 周明「いや、そんな物騒(ブッソウ)な所へは行きません」

 首藤「? いや、どこかで見ている。大川周明・・・、あッ! 貴様、桜会の」

 周明「桜会? 懐かしいなあ。北(北 一輝)に橋本か。石原(石原莞爾)は今どうしているかなあ」


首藤は急に起き上がり周明氏に向かい正座する。

周明氏を正視し、感心したように。


 首藤「・・・おまえが大川周明か。黒幕だな。何でこんな所に居る」

 周明「何で? さあ、何でこんな所に入れられたんでしょうなあ」

 首藤「入れられた? 黒幕も気違いにされたか」

 周明「いや、私は黒幕ではない。相談相手です」


首藤は怪訝な顔で周明氏を見る。


 周明「・・・満州に居たのですか」

 首藤「そうだ。ハイラルにも居(オ)った」

 周明「ほう。国境守備隊ですか。あんな所に・・・。よく生きて来られましたなあ」

 首藤「長谷部は責任をとって自決した。良い男だった。それに比べてあの男は・・・」

 周明「あの男? 誰ですかあの男とは」

 首藤「木村だ」

 周明「キムラ?」

 首藤「木村兵太郎だ。俺の上司ッ!」

 周明「ああ、私の斜め前に座った男ですな」 首藤「斜め前に座った? オマエも芸者遊びが好きなのか。俺は下賤は嫌いだ」

 周明「下賤? ハハハ、下賤などと言われた事は生まれて始めてです」


首藤は偉そうな周明氏の態度を見て。


 首藤「キサマ〜・・・」

 周明「あッ、失礼。法廷での席順ですよ」

 首藤「ホウテイ?」


首藤は周明氏を凝視して、


 首藤「ほう、オマエも軍法会議か。こんな所に居ると云うことは敵前逃亡だ! 花は散る為に咲き、人は義の為に死す。滅私奉公を忘れたか。命なんかに未練を持つなッ!」

 周明「あなたは中々の御仁(ゴジン)ですね。こんな所で療養している器ではない。と言っても今と成っては時代遅れだ」

 首藤「時代遅れか。やはりオマエもそう思うか。俺はその事で悩んでいる。俺は支えを失ってしまった。このままここに隔離されていたら気違いとして処理され、生かされた意味がない。・・・故国に帰るべきではなかった。あの時、ビルマに骨を埋めるべきだった」

 周明「そうは思わないですな。遅咲き、咲き遅れ、いや狂い咲きする花も有る。人生は捨てた物ではない」


首藤は周明氏をバカにした顔で見る。


 首藤「? オマエは何を言いに来た」

 周明「もう一度、花咲かせる方法を探りに来た。とでも・・・」

 首藤「何ッ!? また、クーデターでも起こすつもりか」

 周明「クーデター? とんでもない。日本に新しい大義を残すのです。でなければ、これからの日本はアメリカに腑抜けにさせられてしまう。先に逝った英霊達に申し訳が立たないのではないですか」


首藤の眼の色が生き返って来る。


 首藤「うん?・・・うん。久しぶりに意気に感じるぞ。オマエがヤルと言うなら俺も一肌脱ごう。軍人の本懐は戦って死ぬ事だ。こんな所で死んでは部下や祖先に顔向けが出来ない」

 周明「ハハハ、そうです。夢を持ちましょう」


首藤は周明氏を斜に見て。


 首藤「フフ、思想家か。・・・よしッ! で、何をやる」


「参 考」

石原莞爾(大川周明氏と非常に親しく、帝国陸軍の異端児の渾名(アダナ)が付くほど組織内では変わり者である。関東軍作戦参謀として、板垣征四郎らとともに柳条湖事件を起し満州事変を成功させた首謀者。(作戦の石原、実行の板垣)と称せられる。

後に東條英機との対立から予備役に。戦後、病気のため戦犯を免れる。大川周明とは同郷(山形県)である」

                     つづく

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