第23話 タイトルは『七人の大義』
出演者(イメージキャスト)
大川周明氏(疾患者) 役所広司
西丸四方(周明氏の担当医師) 國村 隼
肥田春充(体育家・周明の親友)
堀田善衛(疾患者・元新聞記者)
杉浦誠一(分裂疾患者・元従軍画家) 柄本 明
鮫島昭子(東病棟担当 看護婦) 中条あやみ
健康的な朝日が、101号室に射している。
肥田が畳の上に下帯一枚で大の字に寝ている。
頭上に数十冊の書籍、新聞、チラシ、赤鉛筆が散乱している。
周明氏は少し開いたドアーの隙間から部屋の中を覗く。
周明氏がつぶやく。
周明「だらしないなねえ」
周明氏は大きく咳払いをする。
肥田がむっくり起き上がり周明氏を見る。
肥田「・・・おお、君か。入って来い」
周明氏は呆れた顔で部屋に入る。
周明「何だ。いつから君はそんなだらしなく成ったんだ」
肥田は身の周りを見て、
肥田「? どこが?」
周明「君の姿だよ」
肥田「ああ、これか。
肥田は自分の姿を見て、
肥田「ハハハ。これは俺のあみ出した精神解放術だ」
大川「精神解放術?」
肥田「そう。自分の経験的に抑制された道徳や行為を総て捨て去り、一度、幼児期状態に戻す。それによって精神の抑圧を解放し、気分を再び明るくさせるのだ。それには太陽の適度な紫外線が欠かせない。これを光合成と云う。人間も植物も同じだ」
周明「それにしても下帯一枚とは・・・、看護婦が見たらどう思うかね」
肥田「大丈夫だ。俺は脳病患者ではない」
周明「そうか?・・・なんだか患者よりも患者らしく見えるぞ」
肥田「見方はそれぞれだ。それよりこの解放術を西丸くんに教えてあげたい。実に爽快になれるぞ。ハハハ。あッ! そうだ。この間、猪一郎(徳富蘇峰)から手紙が届いた。君の事が書いて有った。なにやら君は無罪放免に成りそうだ」
周明「やはりそうか。先日、院長もそんな事を言っていた」
肥田「連合軍は君の法廷での言行に、よほど恐れをなしたのだろう」
周明「連合軍?・・・それより、最近、朝の体操を部屋から見ていると実に面白い。院長も積極的にやっているし、すこぶる評判も良いぞ」
肥田は嬉しそうに、
肥田「そうか。それは良かった」
周明「鮫島さんは便秘が治ったと言っているし、畑さんは女学校の制服が着られる様に成ったと喜んでいる。院長などは五十肩が何処かに飛んで行った、なんてはしゃいでいたぞ」
肥田「女学校の制服?」
ドアーをノックする音。
鮫島「失礼します」
顔を上げる鮫島看護婦。
肥田のあられもない姿を見て鮫島看護婦が、
鮫島「キャッ!」
胡坐をかいていた肥田が急いで正座し鮫島看護婦を迎える。
肥田「あッ、失敬! どうぞ、どうぞ」
鮫島看護婦は目を瞑(ツム)る。
鮫島「いや、また後で来ます。失礼しました」
肥田「?、そうですか。それじゃあ、また。お待ちして居ます」
鮫島看護婦はドアーを閉めながら、
鮫島「・・・釣鐘が風邪ひきますよ」
肥田「ツリガネ?」
肥田は下帯を見て、
肥田「ああッ! こりゃまた。ハハハ。釣鐘か・・・なるほど。これは研究の一環なんですよ」
鮫島「研究?! で・す・か・・・」
鮫島看護婦が101号室を出て、104号室に向かう。
103号室から堀田が出てくる。
堀田「あッ、サメ(鮫島)ちゃん。昨夜の酢豚、酢が効きすぎじゃない。アサ(朝倉)ちゃんに言っといてよ」
鮫島「糖分を控えめにしてあるんです。アナタだけですよ、病院の食べ物に文句を言う患者は」
堀田「患者? 僕は患者じゃないぞ。囚人(シュウジン)だ」
鮫島「ああ、そうでしたね。堀田さんは護送車で来たんでしたね。失礼しました」
そう言い残し104号室に向かう鮫島。
104号室。
部屋のドアーは開けっぱなしである。
104号室から鮫島看護婦の元気な声と、杉浦の怒鳴り声が聞こえてくる。
鮫島「杉浦さん! 起きて下さい。お熱と血圧の時間ですよ」
杉浦「うるさいッ! ほっといてくれ」
堀田が102号室のドアーをノックする。
返事が無い。
堀田「大川さ~ん!」
101号室から顔を出す周明氏。
堀田「なんだ、肥田さんの部屋に居たんですか」
周明「うん。入って来ないか」
堀田「そうですね」
堀田が部屋に入って来る。
肥田「おお、堀田くん。どうぞ、どうぞ」
堀田は肥田の姿を見て、
堀田「?・・・どうしたんですか、そんな格好で」
肥田「うん? ああ、これか。君もやってみないか」
堀田「いや、遠慮します」
肥田「そのような見方は良くないぞ。この姿こそ、人間の原点じゃないか。南方の島ではコテカと云う下帯だけで生活している民族も居ると聞く」
堀田「コテカ? ああ、原始民族ですね・・」
堀田は周明氏を見て、
堀田「大川さん、判決は出ましたか」
周明「うん? 分からん。忘れられているようだ」
堀田「それは無いでしょう。思想家ほど怖いものは無い。日本を今のような状態に導いたのも思想家じゃないですか。それを放って置くはずが無い」
周明「君は私を励ましてくれているのか?」
堀田「勿論です。法廷で徹底的に戦ってもらわないと」
肥田「私もそう思う。A級戦犯に選ばれた意味がないではないか。こんな事で不起訴に成ってしまったら、大川周明の今までの歴史が無くなってしまう。存在した理由が無くなってしまうじゃないか」
周明氏は合点がいかない眼で二人を見る。
部屋のドアーをノックする音。
三人が入口を見る。
西丸医師が笑顔でドアーの前に立っている。
肥田「おお、西丸先生か。どうぞどうぞ」
西丸「失礼! 声が聞こえたものでね。皆さんお集まりですね。ヤルタ会談ですか」
周明「面白い事を言うね」
西丸「あッ、ちょうど良い。皆さんの血圧を計りましょう」
堀田「僕は病人ではない!」
肥田「私もだ」
周明「私は・・・」
西丸「いや、その内に成るかもしれん」
周明氏と肥田、堀田が顔を見合わせる。
肥田「かもしれないか」
三人が笑う。
西丸「もう成ってるんじゃないか?」
西丸医師は三人の目をじっと診詰める。
堀田は不機嫌な顔で、
堀田「精神病者かどうかの判断はどこを診れば判るのですか」
西丸医師はきっぱりと、
西丸「言行の不一致ッ!」
肥田「不一致? じゃ、俺は違うな。自信がある」
周明「私は治って無いのかもしれないなあ。最近、行動に自信が無くなってしまった。と言うより気力が頗(スコブル)る衰えたようだ」
西丸「それは目的や目標の欠如から来る」
肥田「それだけでは無い。気合が入ってないからだ」
西丸「岡田さんの様な事を言うな」
肥田「岡田?」
堀田「106号室でいつも怒鳴っている患者ですよ」
肥田「ああ、よく廊下で倒れている?」
堀田「そう、その方です」
肥田「気合が入り過ぎているんじゃないか?」
堀田「いいえ。あの方の精神環境はまだ戦争の真っ只中に在るんです。可哀想な患者です」
西丸「ほう。君は医者の様な事を云うね」
堀田「実は僕、小説を書きはじめたんです」
周明「おお、いよいよあの雑草の花壇を書き始めたか。で、どんな小説だね?」
堀田「どんな小説?・・・タイトルは『七人の大義』」
つづく
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