第17話 統合失調疾患者『首藤操六・105号』

出演者(イメージキャスト)

 首藤操六(疾患者・元参謀副長) 石橋 蓮司

 朝倉みち子(食事担当 看護婦)

 鮫島昭子(東病棟担当 看護婦) 中条あやみ


 中庭に流れるショパンの「別れの曲」。

鮫島看護婦が弾いているのである。


105号室。

ここにも「心の病」に臥せってる男が居る。

朝倉看護婦が通称『無言の部屋』に朝食を運ぶ。

ドアーをノックする朝倉看護婦。

返事が無い。

ドアーを開ける。

部屋の中は朝にもかかわらず薄暗い。

鉄格子の窓には新聞紙が貼りめぐらされている。


 朝倉「首藤さん、ご飯ですよ」


部屋の中ほどに、寝巻き姿の男が端座(タンザ)して居る。

『首藤操六(元参謀副長)』と云う男である。

首藤は全く『喋らない』。


 朝倉「10分したら下げに来ます」


朝倉看護婦は部屋の隅に朝食の盆を置いてドアを閉める。

盆の上には『麦飯、汁、香の物、メザシ、生卵 灰皿、灰皿の上にはバット(タバコの銘柄)が1本とマッチ棒1本』が置いてある。

首藤は座をくずし、右手で部屋の中央に盆を引き寄せる。

暫く両手を合わせ合掌すると、麦飯に汁をかけ、香の物、メザシを一気に胃の中にカッ込む。

最後に殻になった飯の器に生卵を割って喉に流し込む。

所要時間は三分。

実に単純な『作業』である。

首藤は灰皿を取り、盆をドアーの近くに戻す。

部屋の中央、一畳に座り直し、姿勢を正す首藤。

西向きの壁に名刺大の「小さな紙」が貼ってある。

その紙には『忠義』の二文字が『血書』で書いてある。

首藤はその貼り紙を眺めてタバコを口に。

灰皿に貼られた「火点け紙」にマッチ棒を擦り付ける。

首藤は渋い顔で美味そうにバット(タバコ)を一服吸う。


 この男(首藤操六)、当初は自分の「頭がオカシイ」と言って、この病院に積極的に入院して来た。

しかし、一か月ほどして本当に「オカシくなり」、この東棟に移されたのである。

ここに移されて半年、首藤はこの『作業』を崩さない。

薄暗い部屋で、一日を「無言」で過ごしているのである。


 首藤が『自分の症状』に気付いたのは昨年(昭和20年)の7月頃らしい。

師団の「残兵3400名」がビルマの山谷を彷徨、シッタン川を渡りタイに転進する際、兵の半数以上が雨季で増水した川に流されてしまた。

その結果、師団全体の統率がまったく取れなく成ってしまったそうである。

『統率の均等が保てなくなった大きな要因は他にもある』

イラワジ河西部で、強力なイギリス軍の混成部隊と果敢に戦闘中の第28軍(4000名)が急に戦闘意欲を無くしてしまったのだ。

いわゆる「戦闘意欲の背景」には上官の命令により目的構成され、その内訳(ウチワケ)は絶対かつ天皇の一言に値する「実に重い」もの、まさに『忠義』の二文字に支えられている。

しかしこの時期、かの方面軍総司令官『木村兵太郎』中将が、あることか、綾乃(アヤノ)と云う芸者を連れて「雲隠れ」してしまったと云うのである。首藤はこの事実を知りながら、軍の上級指揮官達に必死に隠していた。

だが、噂は「イギリス軍俘虜」により強烈に、隅々の日本兵達に蔓延してしまったのである。


 以下は『内村院長のカルテ』に書いてあるものである。

 『(問診患者名)首藤操六(経緯・症状)インパール戦にて。氏は部隊(数10名)と渡河中、鉄帽を流され流木で後頭部をイヤと云うほど打つ。気を失ってしばし浮遊するが、気が付くとメーホーソンと云う町の寺の「兵站病院」の床に寝かされていた。氏は着衣が妙に軽い事に気付き看護兵に聞くと、上着(階級章付き)以外すべて「追いはぎ」に盗られ川岸に寝て居たと説明を受ける。それ以降の記憶は全て断片。氏はチユウギ、忠義と言葉を繰り返す』


 首藤は暗い部屋でタバコを吸いながら、何やらお題目を唱えている。


 一、軍人は忠節を尽くすを本分とすべし。

 一、軍人は礼儀を正しくすべし。

 一、軍人は武勇を尚ぶべし。

 一、軍人は信義を重んずべし。

 一、軍人は質素を旨とすべし。


現在、首藤はこの精神病院で、あらん限りの精神力をもって、この『忠義』の二文字を支えに『心の治療』を行っているのである。


 無言の部屋で今日も首藤が横に成って居る。

首藤はうす暗い部屋で悩んでいる。

 「俺はなぜ、こんな時代に生まれて来たのだ。子供の頃から何年もかけて親に叩きこまれた忠義と孝行と云う精神。それがたった1年でどこかに消えてしまった」


 首藤の度重なる妄想から。

首藤が陸大の中庭で直立不動で軍人勅諭を大声で読んでいる。

 一、軍人は忠誠を尽くすを本分とすべし。

 一、軍人は礼儀を正しくすべし。

 一、軍人は武勇を尚うべし。

 一、軍人は信義を重んずべし。

 一、軍人は質素を旨とすべし。


首藤は部屋の中央、一畳の畳に身体を横たえ朝飯(アサメシ)に付くバット(タバコ)の巻紙を外している。

少しずつ貯め込んだ煙草を煙管(キセル)に詰め、隠し持っていたマッチの擦り紙に「マッチ棒」を擦(コス)りつける。

しみじみと一服する首藤。

首藤は放屁をし、


 「プウ~・・・。俺は誰に忠誠を尽くしていたんだ。誰に礼儀を正していたんだ。誰の為に武勇を勝ち取ろうとしていたんだ。誰の為に信義を重んじていたんだ。誰の為に質素にしていたんだ。・・・木村の野郎はなぜ、芸者とトンズラしたんだろう・・・」


溜息を深くつき、目を瞑(ツム)る首藤。

靖国神社の大鳥居が首藤の身体に覆(オオ)い被(カブ)さって来る。

首藤が独り言をいう。


 首藤「俺はもう日本人に嫌気がさした。中将が師団を見捨てて芸者と・・・」


首藤は突然、大声をあげる。


 首藤「クソーッ! ああ~、いやだ嫌だ。もう、イヤだ~ッ! 関特演(関東軍特殊演習)からビルマまで、俺は上官を必死に支え作戦を補佐して来た。その総司令官が事も有ろうに芸者と逃亡、途中、大将に昇進するとは・・・。あ~、嫌だイヤだ。兵は飯も喰えずに戦って居るのに。士気が揚がる訳がない。日本人とは、かくあるものか。あ~、もう、イヤだ。俺は誰も信じられない。河辺(河辺正三・最終階級陸軍大将)は融通の利かない男だった。その後に来た木村(木村兵太郎・陸軍大将)は、事ある毎に (常在戦場! 余は常に兵と共に在り。日々是、決戦で在る!) と。あの野郎、ナポレオンの様な奇妙な台詞(セリフ)を吐く男だった。3万もの兵を置き去りにして、いったい誰が責任を取るのだ。大義とは、忠義とは、皇軍とは・・・。あ~、もう嫌だ・・・。頭が変に成って来る・・・」

  

頭を掻き毟(ムシ)る首藤。


 鮫島看護婦が首藤の怒鳴り声を聞き、廊下を走って来る。

ドアーを開ける鮫島看護婦。


 鮫島「首藤さん! 大丈夫ですか」


首藤は急いで煙管(キセル)を寝巻の袖口(ソデグチ)に隠し、座り直す。


 鮫島「どうしました、大声を出したりして。悪い夢でも見たのですか?」


首藤は黙って俯(ウツム)いている。


 鮫島「難しい事を考えてはだめですよ。あなたにも明日が来るのですから」


首藤は黙って畳を見ている。


 鮫島「あッ、それからコレ」


入口の畳の上に一通の封筒を差し出す鮫島看護婦。


 鮫島「首藤さんにお手紙が届きましたよ」


首藤の顔が少し動く。


 鮫島「ここに置きます」


首藤は見て見ぬふりをしている。

鮫島看護婦は首藤の丹前の袖から立ち上がる煙を見て、


 鮫島「煙草を吸う時は火の元に注意して下さい。袖から煙が出ていますよ」


首藤は驚いて、


 首藤「!・・・アッ! あーッ!、あ~アッ」


鮫島看護婦はドアーを閉めて戻って行く。

首藤は袖を手で叩きながら、


 首藤「クソー、クソー。イヤだ、もう~ッ!」


・・・畳の上の封筒に目をやる。

封筒に手を伸ばす。

首藤は封筒の裏側を見る。

『田上源 内(タガミゲンナイ)』


 首藤「タガミゲンナイ?・・・ゲンナイ?」


首藤は封筒の口を切り、中の便箋を取り出す。

1枚目に杜甫の詩「春望」が達筆な朱文字で書いてある。


 「國破山河有 城春草木深 感時花濺涙 恨別鳥驚心峰火連三月 家書抵萬金 白頭掻更短 渾欲不勝簪 上等兵」


2枚目に髪の毛の束と爪が貼り付けてある。


 首藤「タガミ上等兵?? 思い出せない」


首藤は封筒の中をもう一度覗いて見る。

底に「小さな紙片」が見える。

・・・取り出す首藤。

『巣鴨の刺抜き地蔵の御影』が出て来る。


 首藤「タガミゲンナイ? ビルマか? ノモンハン・・・」


天井から蜘蛛が糸を引いて降りて来る。

首藤が突然、


 首藤「あッ、ソロバンのタガミ! あいつはノモンハンのハルハ河の畔(ホトリ)で俺が荼毘(ダビ)に付してやった兵隊だ。暗算に長けた良い男だった。それにしても死んだ兵隊があの世からこの俺に手紙をよこすとは。よっぽどこの世に未練があるのだろう・・・」


首藤はシミジミと便箋と爪と髪の束を見る。

どこと無く良い香りの漂う便箋である。

匂いを嗅ぐ首藤。


 首藤「あの世とはかような臭いのする所か。ああ、良い臭いだ。こんな良い臭いのする所なら俺も早く行こう。おい、田上! 俺も直ぐに行く。俺の事は気にせず、成仏しろ。待ってろよ・・・」


首藤操六の病は「ピント」がずれてしまう精神の病(ヤマイ)、『統合失調症』である。

首藤は畳の上に大の字に倒れ、目を瞑(ツム)る。

手には「田上源*内」の便箋が握られている。

この日から首藤は自分の『死の処し方』を真剣に模索し始める。

                     つづく

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