羽が生えた男2
なんか、おかしくね?と思い始めてからどれくらい経っただろうか。
雨樋とごみ箱の林を歩き続け、どれくらい経っただろうか。
途中、何度か曲がったものの、さすがにここまで道に出ないというのはおかしい。ビルの隙間がこれほど続くというのは、どう考えてもありえないと思った。
ここまでくると、自分が超常的な何かに巻き込まれていると認めない訳にはいかなかった。そう結論付けると、一気に冷静さが戻ってきた。もはや青年をじっくり観察する余裕まで出てくる始末だ。
僕の手首を一向に放そうとしないその手は、どこにそんな力があるんだ、と思わずにいられないくらい、白くて、きれいな肌だ。あと指が長い。それで言うと、青年は腕も足も長かった。身長は僕より少し高いくらいだが、腰の位置が違う気がする。
そして、だぼっとした上着の裾から黒い、あれは羽?
「着いたよ!」
青年の声と共に視界が開ける。
朝のビル群から入った隙間だったが、出た場所は木々に囲まれた夜空が広い場所だった。建物は見当たらない。周囲の針葉樹林は夜空より深く暗い。
弦楽器の音が流れてくる広間には白いクロスのかかった丸テーブルが等間隔に並べられ、隙間を埋めるように、人ではない影が動いている。
ピンポンパンポーン
『異形の者を目撃したあなたはこの状況に恐怖するでしょう。サンチェックです。』
チャイムの音と、あの声。
こつんと肩に当たったサイコロを目で追う。失敗の文字。
ざわりと広がる不安を押し殺すように唾を飲み込んだ。
「な、なあ、」
「はい、これ!」
一瞬、視界が淡いピンクに染まる。
シャンパングラスの向こうに青年の笑顔が覗く。
「いやー、早く来たつもりだったんだけど、もう始まってるんだもん。俺たちも飲まなきゃね!てきとーに持ってきちゃったけどいいよね!かんぱーい!」
カチンッとグラスを鳴らすと青年は一気に飲み干して言った。
「おじさん、普段はどんな仕事してるの?やっぱり賭博場?あ、どんどん飲んでよ。食べたいものとかある?このパーティデザートが美味しいよね。あれ、そういえば、おじさん角生えてないね。しまってるの?」
「ちょ、ちょっと待てって。」
ぐいぐい迫って来る青年を掌でけん制しつつ一歩下がる。どさくさに紛れてグラスの中身は捨てた。
「あの、えっと、そうだ。僕、用事あって。」
「用事?」
「そう!用事。外せない用事があって。勢いで着いてきちゃった、んですけど、もう帰らないとというか。今日はちょっと無理というか。すみません。」
相手が止まったのをいいことに、言葉をまくしたてる。
正直なんで自分が謝ってるんだろう、無理やり連れて来られた被害者だろ、とは思わなくもないが、目の前の青年が人間かどうかすら信じられないこの状況で、生きて帰るには相手を怒らせないに限ると思った。
「えーほんとに用事?」
「そう、そうなんです。どうしても外せなくて、すみません。」
「そっかー。じゃあ仕方ないね。」
思ったより簡単に引いてくれた。
ほっとしたと同時に、別の不安が広がる。
「あの、帰り道って、」
「ん?元の道をたどれば帰れるよ?」
青年がにこりと笑う。
ちらりと背後へ視線を走らせる。深い闇を抱えた針葉樹の林が広がっているだけだ。背筋に冷たいものがつたう。
「あ、その、こんなこと頼むのもあれなんですけど、送ってくれませんか。」
「え?送るの?」
「そうです、元の道まで。えっと、そう、僕方向音痴なんですよね。道が分からない、です。」
眉をひそめる青年に、無理やり口角を上げ、肩をすくめる。
頼む。ここから無事に帰るためにはこいつに案内してもらうしかない。
手の中でカランと音がした。
空のグラスにサイコロが一つ。大成功の文字がこちらを向いている。
「んー、まあ、いいけど。」
やれやれといった感じで、青年がグラスを置いた。
よしっ。良かった、助かった。
「ありがとう!」
「じゃあ、タイカは……そうだなぁ。」
ん?今なんて言った?
「た、たいか?」
「うん。だって悪魔がなんの契約も無しに願いを叶えるって変でしょ?」
んー、と顎に指を当てる青年は夕食のメニューを考えているように軽い感じだ。
たいか、対価か。対価ってなにを取られるんだ。というかこいつ悪魔だったのか。悪魔との契約ってなに取られるんだ。よくあるのは……寿命か?
ごくりと喉が鳴る。
「決めた!その羽を貰うよ。」
「は、ハね?」
すっとんきょうな声が出た。
「そう!おじさんの羽ってとても素敵だと思うんだよね。それくれるなら、送って行ってもいいよ。」
青年はにこりと僕を指さした。
羽。そんなのでいいのか?てか貰ってくれるならむしろ万々歳じゃないか?
「あ、ああ、羽だな。いいよ。あげるよ。」
「じゃあ、契約成立だね。」
・・・ ・・・ ・・・
行き交う人々の足音、話し声、自動車のエンジン音、現実の音が入ってくる。
元の歩道だった。
テーマパークの帰りだろうか。コスプレをした人々が目の前を通り過ぎて行く。
そっと、背中に触れる。コートに不自然なふくらみは無い。
吐いた息と共に膝の力が抜けた。へなへなとその場に座り込む。
良かった。帰って来れた。羽も無くなっている。
ピンポンパンポーン
『End1:元の世界へ。 ストーリークリアです。お疲れ様でした。』
チャイムと、あの声だ。
もう一度大きく息を吐く。
立ち上がろうとして、シャンパングラスを握りしめていたことに気づいた。
流れに乗るように歩き始める。
このグラスに合うシャンパンを買って帰ろう。今日は飲みたい気分だ。
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