羽が生えた男

のっとん

羽が生えた男1

 朝起きたら、背中に羽が生えていた。

 天使のような白い羽・・・・・・ではなく、黒くてボロボロのゴミ袋の切れ端みたいな羽だ。


 鏡を背に震える指で羽に触れる。おばあちゃんの手みたいな感触。

「なん・・・・・・だよ。これ・・・・・・」

 夢なら覚めてほしい。


 ピンポンパンポーン


『あなたは、現実とは思えない状況にうろたえるでしょう。サンチェックです。』


 軽快なチャイムと共に、こつんと頭に何かが当たった。

 床で軽やかな音を立てたそれを拾い上げると、二センチ角くらいの立方体だった。


『イチディーロクです。サイコロを振ってください。』


 先ほどと同じ声が部屋の中で反響する。

「サイコロってこれのことか?」

 立方体には、点の代わりに文字が書かれている。黒色で、成功が一つ、失敗が三つ、大失敗が一つと、その裏面に赤色で大成功が一つ。

 状況を飲み込めないでいると、立方体、基サイコロが小刻みに震えだし、ころんと手のひらから転がり落ちた。


 サイコロは床で二、三回転がると「失敗」の文字を上にして止まった。

 文字に触発されるように不安がこみ上げる。

 というか、そもそも羽生えてるし、意味わからない声は聞こえるし、突然サイコロが現れるし、ありえないことが起こりすぎている。あふれ出る疑問を振り払うように頬を叩く。痛い。夢じゃない。その事実がさらに不安を煽る。

 僕はとうとう頭がおかしくなったのだろうか。


 ・・・ ・・・ ・・・


 コートを羽織り、外へ出る。

 あれから、いろいろ試してみた。羽を動かすことはできない。でも引っ張ると痛い。カッターは当ててみたものの、手が震えて実行までは至らなかった。

 こうなったらもう病院で取ってもらうしかない。


 外では彩度の高いオレンジ色や緑色が黒く縁取られ、あちこちで光っていた。

 大通りへ出ると、魔女や悪魔、見知ったキャラクター達が通り過ぎていく。近くのテーマパークでハロウィンイベントが開催されているらしい。皮肉なことに、背中に羽の生えた人間は今日に限っては僕だけじゃないということだ。

 コートの襟を握りしめ、歩調を早める。まだ病院は開いていないだろうけど、急がずにはいられなかった。


 二十メートルほど歩いたところで、突然、後ろから肩を掴まれた。

「ちょっと、おじさん!めっちゃ手振ってるのに通り過ぎるって酷くない?」

 振り返ると黒い角を生やした青年の顔が目の前にあった。

「うわっ!!」

 反射的に離れようとして・・・・・・そのまま転んだ。


 デデドン!

 間抜けな効果音と共に、あの声が聞こえる。


『ファンブルです。』


 お尻から脇腹にかけてまんべんなく痛い。無理に体を支えようとした左手には擦り剝けて赤い斑点が広がった。

「あーらら、大丈夫?おじさんだなぁ」

 青年が心配そうな表情で差し出した手を・・・・・・ムカつくから無視して立ち上がった。高校生くらいの女の子たちが、かわいそーと言いながら通り過ぎていく。転んだ僕に言ったのか。不思議そうに右手を見つめている青年に言ったのか。


 コートとズボンについた砂を一通り払う。と、地面にあのサイコロが落ちているのを見つけた。出目は、大失敗。

 くそっと口の中で毒を吐き、サイコロを拾おうと屈んだ時だった。

「あれ?やっぱおじさんも羽生えてんじゃん。」

 びくりと跳ね上がる肩を抑えられなかった。

 慌ててコートの襟を引き寄せる。いや、後ろか?横は?大丈夫だ、羽は見えてない。

「なに、言ってるん・・・・・・ですか。突然。羽とか、変なこと言わないでください。」

 どもりすぎだ。肯定しているようなもんじゃないか。

 ぷっと青年が吹き出す。

「おじさん、焦りすぎ。コートの膨らみ方が、生えてますよーって感じだもん。分かるよー。」

 青年はにこにこしながら腕を掴んで言った。

「ね!おじさんの羽見せてよ!他の人の羽あんまり見たことないんだよね。何色なの?やっぱ悪魔だし、黒?」

 星を散りばめたような黒目が一言ごとに距離を縮めてくる。

「なっ、はなせっ離して下さい!」

 完っ全にやばい奴だ。しかも、力が強すぎる。さっきから藻掻いてはいるものの、振りほどける気がしない。コートがばさりと捲られる。

「わー!素敵な羽だね!渋くて悪魔って感じ!あ、そうだ!おじさんもパーティ参加するでしょ?一緒に行こうよ!ほら、早く!」

「は?パーティ?」

 青年はぐいぐいビルとビルの隙間に入って行こうとしている。


 おいおいおい、何か分からんが、これは本格的にまずくないか?

「なっ、ちょ、待てって。一回、一回話し合おう!な?」

 必死の叫びも空しく、僕の体は暗いビルの隙間へと引きずり込まれた。


 ・・・ ・・・ ・・・


 男が二人。ビルの隙間へと消えた後、アスファルトの上には二センチほどの立方体が二つ。共に、失敗の文字を空に向け、静かに転がっていた。

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