第3話 森の中を彷徨って
こんにちは。森に捨てられたステラです。駄洒落を噛ましている場合じゃないのだけれど、いまいち危機感が薄いのはどうしてだろう?
性格か? 性格なのか?
◇◇
ここは王都から離れた隣国との境界の森サイアーズ。この境界の森は深く広大で、とりわけ魔素が色濃く流れ、どの国にも属していない中立地帯である。
私はこのサイアーズの森の近くにある修道院に行く予定だった。のだが、もう行く気はすっかり失せた。
私は婚約破棄され捨てられたのだ。もうヘレスコット王国には必要ないと判断されたのだ。公爵領に帰ってお父様に迷惑をかけてはいけないし、それにギルモア公爵領は、このサイアーズの森と反対側の西の外れでとても遠かった。
この境界の森を抜けて隣国に行くのがきっと正解だ。
地面で寝るよりマシだが森の中は肌寒い。ゆりかごの中で目を覚ました私は、恐々地上に降りた。辺りを見回すが魔狼はもういなくなっていて、遠吠えも聞こえない。
森の中をひとりぼっちで歩く。コルセットはとうに外した。靴のかかとも折った。ドレスの破れた胸元に、護送兵たちが口に突っ込んだ布を当てて隠す。森の中で誰も見ていないだろうけれど、恥ずかしいし他に布などない。
私にはひとりで生きて行く為の何の知識もない。これからどうやって生きて行ったらいいのだろう。魔狼に食べられた方がまだましだっただろうか。
森の中は魔素が濃く流れている。魔素が濃い所には強い魔物がいるという。
(魔物と会いませんように)と、祈るばかりだ。
物語だとこんな時、誰かが助けてくれる筈だけれど、誰とも出会わない。ヘレスコット王国には帰りたくない。だから、頭の中の地図を頼りに、国境の向こうの国に向けて森の中を彷徨い歩いた。
暫らく森の中を彷徨っているとお腹が空いて来た。木を見上げると、するすると枝が伸びて来て樹液を分けてくれる。少し甘味があって木の香りがほんのりして、とても美味しかった。
(ありがとう)
少し元気が出る。だから頑張って歩いた。
それで余計にお腹が空いた。やっぱり、食べる物が欲しい。
(ああ、お腹が空いた……)
すると木の枝が目の前に伸びてきた。掴まると枝がぐるりと私の身体に絡んで、持ち上げて運んでくれる。木から木へ枝から枝へと運んで、やがてたくさんの実の生った木の所まで運んでくれた。
高い木で枝はまだ私の身体を持ち上げたままだ。目の前にピンク色の美味しそうな匂いのする、たわわに実った果実がある。少し平べったいけど桃だろうか。
果実をもいで皮を剥いてかぶりつくと、ねっとりして物凄く甘い。二つほど食べるとお腹が一杯になった。まだ沢山実が付いている。ドレスの裾を持ち上げて、果実を入るだけ入れた。
(ありがとう)
お礼を言うと枝が私を地面に下ろしてくれた。
この実は、東方の本で読んだ冒険小説の中に出てきた果実に似ている。神様や天人が食べる不老長寿のお薬みたいな。
違っているかもしれないけれど、私はかなり元気になった。
私はまた国境に向かって歩き出した。
お母様が生きている頃は色んな本を読んだ。公爵家には蔵書が沢山あった。子供の頃に読んだので、難しい本は読んでいないのが心残りだ。
その日は歩き通して、また木の上で眠った。
翌日、歩きながら思う。木の上じゃなくて休める場所が欲しい。
(お家が欲しい)
すると森の木々が別れて人一人が通れるほどの狭い道が現れた。誘われるように木々の間の道を行く。私が通ると後ろの道は塞がった。
◇◇
私は木々の間を抜けてどんどん歩いた。やがて少し開けた所に辿り着いた。真ん中寄りに朽ちかけた小さな小屋が建っている。小屋の周りをぐるっと回ったが、背の低い草がぼうぼう生えているだけで、何もなかった。
小屋のドアまで戻る。小屋のドアには何の装飾も変哲もない丸い輪っかのノッカーが付いている。コンコンとノックしてみたが誰も出て来ない。
「こんにちは!」
声をかけても返事がない。
もう一度「こんにちは、誰かいらっしゃいませんか」と言いながらドアを押すと、ギッと音がしてドアが開いた。びっくりして飛び退ったが誰も出て来なくて、ドアはゆっくりパタンと閉まる。
「うっ……」
周りを見回しても誰もいない。目の前には朽ちかけた小屋。
私は覚悟を決めて、もう一度小屋のドアに手をかけてギィと開く。内部は薄暗かったが、私が入ると天井の魔道灯がひとりでに灯ってびくりと立ち止まる。ドアが勝手に閉まって部屋の中を見回す。外から見た朽ちかけた小屋と違って、内部は清掃の行き届いた清浄な空気の室内だ。
何の飾りもないテーブルと椅子。キッチンには魔道具のコンロとオーブン。その横に食器棚。流しには魔道給水装置があり、窓辺には包丁とまな板が立てかけてある。そしてお鍋とフライパンが吊り下がっていた。
食器棚の横に食品庫が置かれていた。開くと内部は低温に保たれているが、中身は何もない。これも魔道具なのだ。
この世界には魔道具があって、魔道具を作る工房や商会を纏めたギルドがある。魔道具職人は魔力が多く適性のある平民が多いが、貴族の次男三男で家督を継がない者もなったりする。
私にはそういう適正もないのだ。
「うっ……」
ちょっと落ち込んでしまう。
この小屋も魔道具で綺麗に保たれているのだろう。
スカートに包んだ桃を思い出して食品庫に入れた。
さて、身軽になった所で小屋の探検を再開する。
小屋の外観よりは内部は広いような気がする。おまけに奥にドアがある。
「こんにちはー! 誰かいませんかー!」
声をかけながら奥の部屋へと進んで行く。
まるで誰かが住んでいるような小屋なのだ。もしかしたら奥に人がいて、もしかしたら病気とかで動けないとか──。
私は少し怖い想像をしながら奥のドアに手をかけた。ゆっくりと開く。
だが人の気配はなかった。死体も病人もいなかったのだ。
安心したのか残念なのか複雑な気持ちで溜め息を吐いて、部屋にあるきっちりと整えられたベッドと箪笥と何もないワードローブを眺めた。
ベッドルームの奥にもう一つドアがあった。もうやけくそでドアを開ける。だが魔道灯に照らされたそこは、三つのドアとリネンの棚があるだけだ。ドアの向こうはトイレと洗面所とお風呂だった。誰もいない。
誰もいない事にがっかりしてベッドルームに戻る。
疲れた──。もうクタクタだった。
綺麗に整えられたベッドがある。対して私は汚れ切っている。
私はベッドカバーを剥がして、それに包まって床に寝た。
私は公爵令嬢だけれどお母様は自由にさせてくれて、領地ではお転婆だった。色々な物語の本を読んだし、家庭教師は色んなことを教えてくれる。孤児院への慰問にも、料理長に習って作った焼き菓子や、刺繍したハンカチや、着なくなった衣服等を持って行ったりした。
お母様が亡くなるまでは、私は大切に保護され見守られていた。今頃になって分かるなんて、お母様の呪文を思い出してしまう。
『大丈夫、あなたのしたいようにしていいのよ』
『星があなたを導き、あなたが星を導くの』
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