書架を眺む
小狸
短編
書店に行くと、必ずと言って良いほど、陰鬱な気分になる。
それは、どれだけ好きな作家の何年も待ちわびた最新刊や、垂涎もののサイン本、果ては隔月で楽しみにしているコミックスの発売日に書店に赴く度に、嬉しい待ち遠しい気持ちとは裏腹に、どこか虚しい、空々しい気持ちが同時進行で存在している。
理由は明白である。
書店には、沢山の本があるからだ。
本と言っても多岐に渡るところがまた書店の良いところだが、特に私の場合は小説を良く読むので、この場合の「本」は小説を示すと思っていただいて構わない。
小説、小説、小説、小説。
見渡す限り小説であふれつくし、文庫、ハードカバー、ライトノベル、新文芸等々、最近では、ネット上で連載をして書籍化する小説もあるという。
そういう小説たちを目にするたびに、つい私は思ってしまうのだ。
どうしてこの中に、私の小説は無いのだろう。
どうしてこんなに沢山小説があるのに、私の小説は出ないのだろう、と。
一応自己紹介だけしておくと、私は
仕事の傍ら小説を執筆し、公募賞に応募したり、ネット上で投稿したりしている。
そんな生活も、早十年を迎えることになった。
一向に、私は新人賞を受賞できずにいた。
最初は自信があった。満ちあふれていたと言っても良い。今から考えれば、若さ故の傲慢である。私の才能を理解できない編集部に問題があるのだろう――なんて、高慢ちきなことを考えたりもした。
しかし、三年、四年と投稿を続け、橋にも棒にも掛からぬ状態が続くうち、自分は小説家に向いていないのではないか――自分には才能が無いのではないか、と思うようになってきた。返事が返ってきても、一次選考、二次選考で必ずといって良いほど落とされる。『狐狸』という名を付けているせい(あまり良い意味ではないのだ)かと思い、筆名を変えようか迷ったこともあったけれど、まずは内容で勝負しなければ話にならない。
そう、話にならないのだ。
そうして投稿を続ける内に、私に内在する――何というか、小説を書くために必要な要素というものが、徐々に枯渇していくように感じた。当たり前である。出力ばかりに感けて入力を怠っていては、良い作品も生まれない。ただ、仕事の合間というのがネックであった。小説を読もうとすると、書く時間が減り、小説を書こうとすると、読む時間が減るのである。決してブラック企業という訳ではないけれど、一日中椅子にふんぞり返っていて良いような職場ではなかったからだ。
と、そんな言い訳を並べたところで、どうしようもない。私は、私の中の残滓のようなものを何とか書き集めて小説を書き続け、時間の許す限り読むように心がけた。
そして、十年が経った。
これまでに応募してきた新人賞は、もう数えきれないほどである。
それでも、いまだ最高で二次選考突破である。
三次、最終選考では必ず落ちている。出版社からの電話も来ない。
そしてその頃からである。
大好きだったはずの書店が、どこか息苦しく感じるようになったのは。
昔は、地元の市内の書店めぐりを敢行するくらいには本の虫だった私だというのに――小説を眺めるだけで、何だか嫌気が差すようになってしまった。
どうして。
そこにあるのは、私の小説じゃないのか、なんて。
また、傲慢なことを考えてしまっている。
そんな自分が、嫌になる。
図書館で校正作業をした帰り道、家の近くの小さな書店に寄った。
そこでまたも自己嫌悪に陥りながら、私はそう思った。
「どうかなさいましたか」
と。
そんな風に話しかけてきたのは、その書店のアルバイトの青年であった。
名前は、
ネームプレートにそう書いてある。数年前から、この書店でバイトをしている青年である。
いつもこの書店に来る時、会計をしてくれるのだ。
元々人の少ない書店であるので、時折客がいない時に、好きな小説の話をしていたりする。
今時珍しい、本好きの大学生である。
私が、何か本を探しているかと思ったのだろうか。
だとしたらそれは間違いである。
いや、正しいのか。
私は今、「小説家になりたいと思う自分」すらも見失いかけている。
大丈夫、と返した。
「そうですか。いえ、何か、うちの書店の本に不備があったのかと思いまして。どうもお客様、書架を眺めながら、いつも思い詰めているというか、何か思うところがあるような様子でしたので――すみません、急に話しかけてしまって」
いやいや、と、私は返した。
私は、書店に並ぶ小説たちに、自分の内なる鬱憤をぶつけていたに過ぎない。
十年経っても、私の中身は、変わっていない。
いや――それどころか、稚拙になっている。
自信のあったあの頃の方が、今よりも大人ではなくとも、輝いていたように思う。多少歪でも、曲がっていても、そんなもの意に介さずに書けていた。
今は、駄目だ。
目先の賞や、批評、新人のデビューにばかり目が行く。
私より歳下の子たちも、どんどん「新鮮気鋭の若手作家」としてデビューを果たし、書架を埋めてゆく。そんな中、私は一人、それを眺めているだけなのだ。
虚しい以外の、何者でもなかった。
「良いですよね」
串山青年は言った。
「こうして日々を過ごしている間にも、新しい小説が生まれ、書かれ、綴られて、それは後世に残ってゆく。ぼくは、紙の本が好きです。電子書籍が世を席巻してやまないこの時世ですが、小説はやはり、紙で読みたいと思ってしまいます」
「なんだか分かるわ、その気持ち」
私も、そうである。
電子書籍で事足りるのなら、ネットショップでクリックするだけで済むからだ。
「でも、そんな短縮手段がありながらも、未だに世の人達は、本屋に赴くという手間を惜しまずに、来て下さる。ありがたいです、本当に。そんな人達のお蔭で、今のぼくがあります」
「ちょっとそれは大言壮語すぎるでしょ」
「ですかね」
串山青年は、はにかんだ。
良い笑顔であった。
書店に赴く、か。
「でも――お客様もその一人でしょう?」
「まあ――そうだけど」
私も、最近は漫画やライトノベルは電子書籍にしている。単に置く場所が無いのだ。一人暮らし独身生活をするにあたって、必要以上の書籍を、私は所有している。一度本棚が崩落してしまったことがあるくらいである。
いや――でも。
それも、そうだな。
私はどうして、いまだ書店に通っているのだろう。
嫌ならば見なければ良い。
それこそ、串山青年が言うように、電子書籍にすれば良い話である。無理して自分のトラウマを抉るような真似をする必要はどこにもないのだ。
「あ」
そうか。
分かった。
というか、すっかり忘れていた。
新人賞とか、大賞とか、読者に好かれる小説を書くとか、時流に乗るとか、そんなことばかり考えていた。
私は、小説が好きだったのだ。
「ごめん、今日は何も買わずに帰るね」
「いえいえ、お探しのものは、見つかったようですね。またのご来店を、お待ちしております」
私の表情から何かを読んだのだろう――相変わらず行間を読むのが得意な青年である――串山青年はそう言って、ぺこりと頭を下げた。
私は店を出、小走りで、自宅へと帰った。
こういう時だけ鍵が上手く刺さらない。
全く、私の人生みたいだ。
靴を脱ぎ、手を洗って、部屋着に着替えて、眼鏡をかけて。
そしてパソコンの前に座した。
そうだ。
そうだよ。
私は、小説が好きだ。
大好きだ。
だから、小説家になりたいのだ。
さあ、続きを書こう。
(「書架を眺む」――
書架を眺む 小狸 @segen_gen
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