第7章 学園都市メルキス編 第1話(6)

「さて……どうだったの。レオーネでは?」

 女子部屋その二、クラウディアとサリューの部屋。

 遠くでバタつく黄色いはしゃぎ声を壁越しに聞きながら、サリューはおもむろにクラウディアに訊ねた。

 荷物を解き終えたクラウディアは、彼女についと紅い視線を向けた。

「それは、どの程度の情報を期待している?」

「もちろん、向こうでのお仕事の進捗なんて簡単に片付く話の類じゃあないわよ。私が傍にいない間、あなたが向こうの街でクランツやエメリアと過ごして何を感じて何を得たのか、そういう『あなたの話』を聞きたいの。それくらい、予想はついてるんでしょう?」

 好奇心の笑みを浮かべながらベッドに腰かけて視線を向けてくるサリューに、クラウディアは物言いたげな視線を返した。

「毎度のことではあるが……つくづくお前も私のことを探りたがるな」

「当たり前でしょ。もう何年来の付き合いだと思ってるのよ。私がいない間に意中の男の子と一緒に過ごしてどんな変化があったのか、親友として知る義務があるわ。あなたに何が起こってどういう状態なのか適切に把握できないようじゃ、親友失格だもの」

「まったく……前から知ってはいるが、したたかな奴だ」

 サリューの言葉に小さく息を吐くと、クラウディアはわずかな間で思考を巡らせ、レオーネであったこと、自身のことについて、話し始めた。

「結果から言えば……アルの計画への同意を取り付けることはできた。だが、被害が出た」

「被害?」

「ああ。ミラが私を誘い出すために自警団員の市民を襲って負傷させた上、市長の娘御の身を奪った。そして、それを救出しようとしたエメリアも、ミラとの戦闘で命を落としかけた」

「そう……けど、結果的には、皆助かったのね?」

 言葉の裏を読んだサリューの言葉に、クラウディアは自戒の色を解かないまま続けた。

「ああ。自警団員の青年はミラの手心で、市長の娘御はエメリアが回収した。そして、窮地に陥ったエメリアはクランツが駆け付けて助けてくれていた」

「そう。じゃあクランツはエメリアの恩人になっちゃったわけね。お手柄じゃない」

 サリューの言葉に、クラウディアは改めてレオーネでの旅業でのことを顧みる。

 正確には、今回もまた何度も自分の危機を救ってくれた少年・クランツのことを。

「ああ。本当に今回は、彼の働きに大きく助けられた。エメリアを助けてくれたのも、集会で糾弾されて勇気を失った時に励ましてくれたのも、ミラから街を守ってくれたのも……彼がいなければ、私はこうしてここまで辿り着くことはできなかっただろう。王都自警団の団長としても、アルの計画を担う使徒としても」

「そして、女としても。じゃないの?」

「っ……」

 間髪入れずに隠した部分を言い当てたサリューに、クラウディアは恨めしい目を向ける。

「本当に意地が悪いな、お前は。そういう所はわざわざ触れなくてもいいだろう」

「いいじゃない。そういう変化こそ私は聞きたいのよ。心を動かされた経験があるなら、それは間違いなく、あなたの人間としての、女性としての成長だもの。それにあなたと私の仲、恥ずかしがる必要なんてないじゃない。教えてよ。向こうでクランツは何をしてくれたの?」

 誘うようなサリューの言葉に、クラウディアはレオーネでのクランツのことを思い出す。

 市民の糾弾の声に自分の代わりに怒りを吐き、抗いを立てて庇ってくれた彼。

 母の墓の前で一人途方に暮れかけていた自分に、真っすぐな言葉で勇気をくれた彼。

 彼が、何度も自分を助けてくれた。レオーネだけではなく、ここまででもう既に何度も。

 そして、レオーネを去るあの日の夕陽の中、私は、彼に……。

「どうしたの。何か、話せないようなことでもあったの?」

 呼び水のようなサリューの言葉に、クラウディアは静かに目を閉じると、頭を冷ますように緩く首を振って、目を開けた。その瞳に、余計な恥じらいや迷いはなくなっていた。

「想いを、告げられたよ。彼がどれほどの想いで、私のことを愛そうとしてくれていたかを、真っすぐな、強い言葉でぶつけてくれた。私はそれに……心を、動かされた」

「そう……嬉しかった?」

 サリューの問いに、クラウディアは胸の内に生まれた思いを言葉にするように言った。

「ああ。あんなに真っすぐに好意を伝えられたことはなかったからな。誰かに想われているということが、あんなにも心の中で燃えるような力に変わるものだとは知らなかった」

「ふーん……そう。よかったわね。ようやくクララも大人の女になり始めたのねえ」

 呟き、観察するようなサリューの視線に、クラウディアは不審なものを覚えて言い返した。

「何だ、その目は」

「いいえ。ようやくクララも恋に目覚めたのねって思ったら、何だか嬉しくなっちゃって」

 そう言って、ふふ、と笑うサリューの言葉を、クラウディアは今更のように口にする。

 それは、今まで自分には無縁だと思っていたもので、それゆえ未知の感覚のものだった。

「恋……か」

「そうよ。そこまでの想いを受け取って答えを返したなら、もう後には退けないわよ。恋愛は関係性。制約や責任も伴うけど、その分人を強くする絆になりうるものなんだから」

 講釈するように言って、サリューはクラウディアに改めて乙女指南を授ける。

「誰かに想われていることを自覚して、自分のその気持ちに決して逃げずに応えること……それが恋愛による、人間としての成長の第一歩なんじゃないかしら。あなたがあの子……クランツの気持ちを受け取ったことで感じたその熱いものは、きっととても大事なものよ。お互いを想い合うその気持ちは、きっとあなた達二人を共に強くしてくれるはず。だから、大事にしてあげなさい。あの子のためにも、あなたのためにもね」

「ああ……私も、そんな気がしているよ」

 言葉を返しながら、クラウディアは胸の奥に想いが燃える熱を粛々と感じていた。凍えそうな心を温めてくれるその熱は、本当に、とても大事なもののように思えていた。

 温かな思いを噛みしめていたクラウディアは、眼前で面白そうに自分を眺めているサリューの表情を見てふと我に返り、じとりと詰るような目を彼女に向けた。

「というか……随分と上からだが、そういうお前はどうなんだサリュー」

「あら、訊いちゃう? 話し始めると長いわよ?」

 試すようなサリューの物言いに、クラウディアは満足げな表情で首を振った。

「いや、そういうことなら今はやめておこう。今はアルから受けた任務の最中だ。与太話に現を抜かしている訳にはいかないし、ちゃんと時間をかけて聞きたいしな」

「オッケー。それじゃあこの旅業が終わったら語り倒しましょ。当然、お酒も交えてね♪」

 そうして話を締める直前、「ああ、そうそう」とサリューがついでのように訊いてきた。

「それで、あなたはお返しにあの子に何をしてあげたの、クララ?」

 あからさまに何かを見越しているサリューに、クラウディアは唇に指を当てて、言った。

「内緒だ」

「あら、可愛い。聞いたかいがあったわ」

 そう言って楽しげな反応を見せると、サリューは声に真面目なものを入れた。

「それで、覚悟は決まったの?」

 やはりただ楽しんでいたわけではないということを認識しつつ、クラウディアは答える。

「ああ。ミラとの刃合わせとクランツの言葉で、心は決まった。私は《魔戒計画》を止める。そして、それに加わっているゼノヴィア伯母様と《使徒》達、そしてゼクスの真意を探る。王国のためでも、世界のためでもなく、私自身の意志として。もうこれ以上、母様や私達のような無為な犠牲を生まないために、私は全力を尽くす。そう決めた」

 迷いのないクラウディアの言葉に、サリューは納得いったように頷いた。

「そう。その声の色なら、心配はなさそうね」

「ああ。もう迷うことはないだろう。心配をかけて悪かったな、サリュー」

「気にしないで。あなたを心配するのは私の役目みたいなものだもの」

 さらりと笑顔を見せるサリューに頼もしいものを感じながら、クラウディアは言った。

「そうか。そういうことなら、頼りにさせてもらおう」

「任せときなさい、お嬢様」

 頼もしげに笑んだクラウディアに笑みを返すと、サリューはベッドから腰を上げた。

「さて、それじゃあ情報交換に行きましょうか。私達の辿り着くべき真相に近づくためにね」

「ああ。道を決めた以上は、進まなくてはな」

 胸の内に湧き上がる志気を漲らせながら、クラウディアは立ち上がった。

 だが、決意に漲ったその志気を揺るがす情報がすぐ先に待っているとは、その時の彼女には知る由もなかった。

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