第12話 【回想――あなたの背丈が伸びるにつれて編】~【回想――夏になるまでしたいこと編】


【回想――あなたの背丈が伸びるにつれて編】



「遅い。四分遅刻」

「四捨五入!」

「しない」


 えー、と肩を落とす少女。

 手に持っていた樹脂バンドの時計を手首に嵌め直す少年。


 たとえばそれは、遠足の朝だったりする。


「どうするんだよ。バスが先に出ちゃったら」

「そんなせっかちなバスはない」

「あったらどうする」

「そのときは――頑張って私を背負って追いかける!」

「俺が?」

「足速いから」

「限度があるだろ」

「なんで足速いとモテるの?」

「知るか。女子に訊けよ」



 あるいはそれは、中学校の入学式の朝だったりする。


「遅い。六分遅刻」

「四捨五……待った!」

「十分遅刻」

「待ったをかけたのに……」

「人生に待ったはない。ていうか、年々酷くなってないか?」

「いやちょっと待って。今日は理由があって……ほらこれ。ネクタイ。結び方わかんなくて」

「前もって練習しておけよ。しかも曲がってるし」

「私のこれからの中学生活の受難が暗示されている」


 真新しい鞄を地面に置く少年。

 その空いた手にネクタイを直してもらうまま、大人しく立っている少女。


「ていうか、やっぱりなんか変だね」

「何が」

「同じ学校に通うのに、制服違うの。取っ換えっこしようか」

「いいけど」

「いいの!?」

「スカートって穿いたことないからちょっと気になる……って、ミニスカになるから校則違反か」

「誰の脚が短いって?」

「そんなことは言ってない。俺の脚が長いんだ」

「そんなに変わんないでしょ……まだ」

「俺の脚は長く、美しく、セクスィ~で思春期の目には毒」

「聞いてない」



 それは、文化祭の次の日だったりする。


「お。あっぶね~。先行っちゃったかと思った」

「――は?」

「え、キレてる? でも細かく時間決めてなかったし……」

「何の話?」

「おわキレすぎキレすぎ。ごめんって」

「いや、マジでわかってないだけ。何の話?」


 薄っぺらいリュックを背負って、身軽な姿の少女。

 一方でパンパンに膨れ上がった鞄を背負った少年。


「え。打ち上げ」

「……ああ、そうか。そうだっけ」

「うそ、忘れてた? めっずらし~! んじゃたまには私が迎えに来たってことで――」

「いや、悪い。これから塾」

「……みんな、来たら喜ぶよ?」

「死ぬほど行きたがってたけど身長五メートルの塾講師四十人に羽交い絞めにされて連れ去られたって言っといて」

「みんな塾に殴り込みに行っちゃうよ」

「みんなを巻き込みたくない、俺のことは忘れてくれって言っといて」

「助長しとる」



 それは、高校受験の朝だったりする。


「カンカンカン。起きろ~。朝だぞ~」

「う~ん……誰だ朝から口でカンカン言ってるのは――うわあっ! うら若き乙女の部屋に同い年の益荒男が侵入しとる!!」

「乙女の対義語って益荒男か?」

「何平然としてんだ! どうするんだよ私があられもない恰好で寝ててキャーみたいになったら!」

「動揺して気まずくなる」

「じゃあ入ってくるなよ! ……ていうか、え、何。さっきから私、怖くて時計見ないようにしてるんだけど。もしかしてもう試験時間十分前とかだったりする?」

「いや、まだ余裕がないでもないけど」

「じゃあ何の理由もなく侵入してるのかよ。許せねえ」

「外、雪降ってるから」


 うっすらと靴の上に降り積もる雪、少し薄着で信号を待つ少年。

 その隣で、もこもこに着ぶくれしている少女。


「う~、さぶ~……」

「お、やっぱり電車止まった。ギリギリだったな」

「歩きスマホ禁止」

「歩き出す前にはしまう。……遅延証明取れるだろうし、別に無理して早く出る必要もなかったんだけどな」

「いいよ別に。何か変なことすると動揺するし。血尿出すまで勉強した成果が発揮できなかったら勿体ないじゃん」

「そんな勉強してないだろ」

「いや、そっちが。私が受けることすら許されない名門男子校を目指して」

「…………」

「え、ほんとに血尿出た?」

「出てない。出てたら鉄板ネタにして擦ってる」

「血尿アピってもモテないよ」

「いーよもうそこ掘り下げなくて……青」

「偉い。スマホしまった」


 分かれ道。


「じゃ、頑張れよ」

「こっちの台詞だよ」

「俺の台詞でもいいだろ」

「あ、ちょっと待って」

「何秒?」

「四捨五入したら〇秒。これ、」


 マフラーを首から外す少女。

 ゆるく、それを巻かれる少年。


「あと私、教室まで行くだけだから。なんか見てて寒いし」

「……ども」

「おや。顔が赤くなってる。もしかして……風邪引いた?」

「そ、そそそそ、そうなんだ! な、なんか妙に顔が熱くて……!」

「急にノリノリすぎない?」

「ちょっと良い匂いして気まずくなったから誤魔化してる」

「最近クリーニング出したから」

「ああ……食べ物とか溢さないように気を付けるわ」

「飯食う段階では外せよ」



 それは高校二年生の、何でもない夜だったりする。


「あ」

「お」

「……久しぶり?」

「まあ、そうだな。買い物?」

「逆に買い物以外で来てたらびっくりしない? 他の選択肢ある?」

「バイトとか」

「うちバイト禁止」

「あ、そっちもそうか」

「隠れてやってる人はいるけど。そっちは何しに――待って、当てる。……さては、買い物?」

「すごいな探偵さん。作家にでもなったらどうだ」

「このレベルで?」


 人気のないスーパーマーケットの棚の前。

 梅雨晴れの夜には少し寒い、冷凍ケースの前でアイスを選びながら。


「この間、またフラれてさー」

「また?」

「あっ……言ってなかったっけ。ごめん。僕の方が先に好きだったのにって気分になるよね」

「誹謗中傷か?」

「人を好きになる気持ちを誹謗中傷呼ばわりか?」

「いやそれを俺に押し付けることが……まあいいや。またって何。四捨五入して何回目?」

「十」

「多っ……」

「毎回向こうから告白されて、毎回向こうからフラれている。なぜか?」

「ウミガメのスープ始まったか?」

「なぜか?」

「……告白してくるのは親しい友人?」

「いいえ」

「毎回告白されたら深く考えずにとりあえずオッケーしてる?」

「はい」

「デートのときはよく遅刻する?」

「はい」

「…………」

「…………」

「……介錯するか?」

「見た目と中身にギャップがあると爆萌えだって聞いたんですけど」

「インターネットの情報に惑わされる愚か者がひとり。彼女もまた、フェイク社会の犠牲者なのかもしれません」


 チューブアイスをチョコとバニラでひとつずつ。

 分け合って歩く、星空の下の散歩道。


「そっちは?」

「何が。……さむ」

「彼女できた? あ、でも男子校だとアレか」

「欲しい奴は普通に合コンとか行ってるし、そこはそんな関係ないな」

「できたの?」

「全然」

「彼氏は?」

「全然。今の時期にいても邪魔なだけだろ。そういうの」

「え、なんで」

「どうせ大学行ったり就職したりで環境が変わって続かないから。就職してある程度生き方定まってから婚活した方が効率良いだろ」

「うわ出た」

「何が」

「恋は……効率でするもんじゃないぜ」

「知った口を」

「ていうか効率を考えたら結婚もするもんじゃなくない? どう?」

「知らん。そのときになったら計算する」

「楽しくなさそー」

「んじゃそっちは楽しいのかよ。すぐ付き合って、すぐフラれて」

「楽しいと思うか?」

「ないのかよ」


 少女は肩を竦めて、


「ま、これからは何でもとりあえず頷かないで、余裕持って決めようと思い始めてたところ。向こうがこっちのこと好きでも、こっちが向こうに興味なかったら意味ないわ」

「四捨五入して〇に収まる内に気付けただろ」

「せっかちでコーリツテキな判断をする人はね」


 もう一度、分かれ道。

 少女の家の前。


「んじゃ」

「ひとりで大丈夫? 送ってく?」

「なんでだよ。それ、俺の家まで来てからもう一回ここまで送り直す羽目になるだろ」

「うん。そんでここまで戻ってきたらもう一回今のくだりやる」

「やだよ。終わらないマラソンかよ」

「……あっそ。じゃ」

「じゃ」


 少女の家の扉が閉まる音。

 少年はひとり、夜の道を歩く。




「――もし、そこの方」


 黒い影が、道端に突っ立っている。





 少年はビビった。

 だから、逃げることにした。


「…………」

「もし――あれ、あれれ? 聞こえてない?」


 早足で行く。

 いつまでも後ろから、声がついてくる。


「あのー! もしもーし! 聞こえてますかー!? そこの人、そこの人ですよー! 高校生くらいの男の子ー!」

「…………!」

「あっ、走り出した! 聞こえてますよね、おーい! そこの少年、止まりなさーい!」


 信じられないくらい本気で走る羽目になった。


 すぐに家に駆け込んだら、家の場所が知られてしまう。

 ものすごく長くて複雑な距離を、少年は全速力で駆け抜けた。


 足の速さには自信があった。


 なのに、


「ちょ――無駄だ無駄! 私から逃げられると思ったら大間違いだぞ、君!」

「…………」


 ふと、気付いてしまった。

 さっきから、後ろにぴったりとついてくるこの声。


 声だけで。

 足音が、ついてこない。


「うわ、やっと止まった……。君、別に今は運動部に入ってもないんでしょ? 体力ありますねえ」


 少年は立ち止まる。

 振り向く。


「ええっと、まあ、見ての通り、」


 真っ黒なローブみたいなのを着た、

 でっかい鎌を背負った、




「君がそろそろ死ぬってことを、伝えに来た感じです」



 死神みたいなやつが、立っていた。




【回想――あなたの背丈が伸びるにつれて編 完】






【回想――夏になるまでしたいこと編】



「ええっと、つまりあんたは俺以外の人間には見えなくて」

「うんうん」

「俺は今年の夏の終わりに死ぬ運命にあって」

「そうそう」

「あんたはそれを俺に伝えに来た、と」

「そのとーり」

「……こういうの、全員そうなるもんなの」

「いや?」

「じゃあなんで俺だけ?」

「無料単発ガチャで引いたのが君って感じですねー。ま、言ってみればただの偶然と気まぐれです」


 少年は、初めて高校を休んだ。


 親は仕事でいない。

 その代わり死神みたいなやつは、さっき作ってやったカップ麺を嬉々として啜りながら、そこにいる。


 一回寝たら、夢だったことになるんじゃないかと思った。

 でも全然そんなことはなくて、現実の地続きとして、このファンタジーみたい存在は生活の中に入り込んできた。


「……ちなみに、無料単発ガチャで俺が出てきた感想は?」

「いやあ、別に。キャラ数多いんでよくわかんないですよね。攻略サイトとかあると助かるんですけど、ないし。虹色にも金色にも光らないし」

「……ああ、そ」


 ぴぴ、とこっちの分のタイマーも鳴る。

 蓋を剥がして箸を取って、とりあえず麵をまぜっかえしながら少年は、


「で、何すればいいんすか」

「ん?」

「姿を見せたってことは、なんかさせるつもりなんでしょ」

「お、いきなり『取引』を始める感じ?」

「は? ……ああ、キューブラー=ロス?」

「特にあなたに何かを求めるということもありませんよ。君にはただ、お知らせに来ただけですから」

「……ちなみにあんた、誰なんすか」

「天使です」

「…………」

「いやですねえ。賢しらな子って疑り深くて」


 ずー、と自称『天使』が麵を啜る。


「ちょっとそっちも味見させてくださいよ」

「箸つける前に言ってくれ……じゃあ、特にあんたは何もしないってことで考えていいんすか」

「傍にはいますよ。何て言ったって私は清く正しく、さまよえる子羊の手を優しく握る麗しき天使様ですから……」

「何かのゲームをクリアすると寿命が延びるとかもなし?」

「ありません。そんな悪趣味なデスゲームみたいな真似を天使はしませんからね」

「悪趣味なホラー映画みたいに愛と勇気で死の運命を回避できたりは?」

「それ悪趣味ですか? まあ、一応望みはなくもないですよ」

「ほんとに?」

「ええ。普通の人が愛と勇気で三百歳まで生きるのと同じくらいの望みはあると思います。愛と勇気に不可能はないって、私は信じていますからね」


 ず、と少年も麺を啜る。


「じゃ、諦めます」

「最近の子は冷めてるなあ……」

「ちなみに、ここでの素行次第で死後天国に行けるとか地獄に行けるとか変わったりしますか?」

「内申書に自分がどう書かれてしまうかばかりを気にして生きる。これが日本の学校教育の歪みですか」

「日本のこと詳しいんですか」

「まあまあです。普通の人と同じくらいですかね。あなたの行動で特にあなたをどうこうするつもりはありません」


 ずぞぞ、天使はカップ麺の容器を傾ける。

 戻せば空っぽ。


「もう一個食べていいですか」

「成人病になりますよ」

「天使は成人病になりません」

「じゃあ、純粋に俺は死ぬまでの時間を有効に活用して好きなことをしていいってことですか」

「そうなります」

「ふーん……」


 もう一個のカップ麺を作ってやりながら、少年は頷いた。


「あまり動揺しませんね」

「珍しいですか」

「いえ。皆さん大体そういう反応です。実感が湧かないんでしょうね」

「確かに。好きなことしていいって言われても何かの間違いかもしれないから、とりあえず無難に、いつも通り学校行っとこうかなって気持ちもなくはないです」

「親御さんの前で踊り狂う私が見事にスルーされていたあの光景だけじゃ信じるに足りませんか?」

「あなたが変な存在だってのは確定したけど、天使のふりした悪魔の可能性だって否定できないし」

「ま、それもそうですね」

「普段はこういうの、どうやって解決してるんですか」

「特には何も。信じないなら信じないでも構いませんよ。悪魔は自分の言っていることが真実だと信じてもらう必要があるでしょうが、天使にはそんな必要ありませんから」

「へえ。どうして?」

「悪魔と違って天使には上司がいますからね。究極的に言えば、上司がいる仕事なんて真面目にやる必要はないんですよ」


 セットしたタイマーが鳴る。

 天使がカップ麺の蓋を取って、目を輝かす。


「……まあ、でも。信じる信じないなんてことをやってて時間を浪費するのも効率が悪いか」

「ん?」

「死ぬのは夏の終わりって言ってましたよね。九月? 十月?」

「八月三十一日です」

「それまだ夏の中頃っすよ」

「ははは」

「……学校もほとんど夏休みだし、二年だし。うん」


 少年は頷いて、


「どうも、知らせてくれてありがとうございました」

「どういたしまして」

「そういうことなら、死ぬまで好きなことして過ごそうと思います」

「ええ。どんどんやってください。近くで見たり、見られるのが嫌だったら離れたりしますから」

「はい」

「はい」

「…………」

「…………」

「…………」

「…………死ぬまで座ってるのが好き、みたいな?」

「……いや、」


 困ったように、少年は。

 眉根を寄せて、口を手で覆って、呟いた。


「……好きなことって何だろうって、思っちゃって」



【回想――夏になるまでしたいこと編 完】

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る