第11話 【巻き戻ってるぅ~!編】~【回想予告――月の記憶編】
【巻き戻ってるぅ~!編】
「研究するぞ!」
バァン!と扉を勢いよく開けて入ってきたのがヨランダ。
その音に眠気眼を擦ることもなく、持ち込んだベッドの上に横たわったままなのがラディオーザ。
研究室のオフィス。
いつもどおりの朝だった。
「『昨日の私』はどこまで行った!?」
「いつもどおり、そこの紙に記録しておいた。内容は相変わらずちんぷんかんぷんだけど」
「今日は何日目!?」
「四百六十八日目。そろそろ時間を進めるか?」
答えが返ってこないのは、ヨランダがレポートにかじりついて動かなくなったから。
ラディオーザはあくびをひとつする。
立ち上がって二杯分のコーヒーを淹れて、一杯を自分の口に、もう一杯をヨランダのデスクに。
礼は、おそらく二時間後。
平均してヨランダの反応速度は、そのくらいだから。
滅多に意味をなさないカレンダーに、ラディオーザは数字を書き込む。
4、6、8。
このくらいまで来るとわざわざ覚えている意味も薄いような気もして、単なる癖でしかないのだけど。
「――うわちっ、」
振り向く。
ヨランダが、白衣に盛大にコーヒーを溢している。
巻き戻す。
4、6、9。
溢す前にヨランダのデスクに近付いて、コーヒーカップの位置をずらしておく。
『四百六十九回目の今日』の礼は、一時間後。
ぐー、とヨランダが腹を鳴らしたのは、さらにそれから四時間後。
「……聞いたか?」
「もう何回も」
「卑怯者」
もちろんそれも予想していたから、ラディオーザは食事の用意も終えている。
ハンバーガーショップで買ってきたチーズバーガーとポテト、ナゲット。
ナゲットはバーベキューソースで食べたがった後に「やっぱりしっくりこないな」と毎回言うから、ソースはそれとケチャップをひとつずつ。
「進捗はどうだい」
「かなり進んだ」
「そうかい。絶滅期は回避できそうか?」
「……わからん。私だって、何もかも理解できるわけじゃない」
ラディオーザは『自分には他の人間にはない能力があるらしい』という形ではなく、『どうやらこの当たり前のことを他の人間はできないらしい』という形で己の力を自覚した。
時間を巻き戻す力。
さんざっぱらくだらないことに浪費されてきたこの力は、今はこの年下の救世主候補様に『時間の贈り物』を与えるため――あるいは、全人類の希望のために振るわれている。
「だが、そろそろ『魔法』の基礎理論は完成しそうだ」
「お、すごいな。そうなると俺のこの仕事も交代制になるのかい」
「いや、結局『魔法』の活用は属人性が高い。一般科学と同じように『誰にでも活用できる』ような状態に置くまでには、さらなる時間が必要になるだろうな」
「ふうん」
「適当に相槌を打たなかったか?」
「とりあえず、俺は失業しないってことでいいのか?」
ご親切にも『とりあえず』に収まらない説明をヨランダが始めてくれるのを、ラディオーザは話半分で聞いている。
相手を理解しようとするばかりがコミュニケーションというわけでもないのだ。
「いいか? つまり私が言いたいのはお前の能力は大変素晴らしく、今のところ替えが利かず……それに替えが利くようになったとしても適切な研究活動のためには理解の行き届いた優秀なスタッフが必要でしかしその選定作業は研究活動の本質とは離れておりかつ大変困難を伴うものであって――」
コンコンコン。
「良い知らせの時間だな」
ノックの音に、いつもどおりラディオーザは立ち上がる。
ドアを開けば、いつもの研究員といつもの会話。
書類をデスクに広げれば、いつもの不思議そうな顔。
「新発見か? なぜ朝の時点で私に伝えなかったんだ」
「『気になって仕事にならなくなるからその時間まで私には伏せておけ』――前任の『君』からのご要望を、優秀なスタッフであるところの俺は忠実に実行している」
タイトルはこう。
『サード・ルナにて大規模記録媒体を発見』――ラディオーザは知っているが、この一番書類の一番奥には、その内容がアップロードされた共用サーバへの案内がある。
「ラディオーザ、要約」
「『衛星サード・ルナにおいて一冊の本が発掘された。それはある――我々の現在の技術レベルから見れば「超常」と呼んで差支えのない――存在の歴史について記述したものである。幾度もの絶滅期を乗り越えたその存在の歴史を紐解くことは我らが文明の存続のヒントになるやもしれず、優先順位自体はそれほど高くはないものの、一読の価値があると思われる。ラディオーザ、私は忙しいからお前が暇な時間に読んで後で内容を教えてくれ』――と、君は言っていた」
「それで、読み終わったのか?」
「まだ全然」
ラディオーザは肩を竦める。
「最初はパスワードがかかっていたんだ。四百日目でようやくそれが解けた」
「四百日目で? 随分早いな」
「パスワードが短かったから、音声の総当たりでどうにかなった。あの……なんだっけ? 遺跡から出てきた旧時代のコンピュータ。無口な奴だと思ったけど、こういうことを手伝ってもらう分にはとんでもないな。君も目を剥いてたぞ」
「そのパスワードは?」
「『チーちゃん』かな。あんまり発音には自信がないが」
ふうん、と興味深げにヨランダは、
「気になるが……まあ、今日の私の出番ではなさそうだな。『チーちゃん』というのはその存在の名前か?」
「おそらくは」
「おそらく? 歴史について記したものなら、名前くらいはすぐわかりそうなものだが」
「まず前提として、本から得られる情報がとんでもなく多い」
「どのくらい」
「サード・ルナくらい」
「何?」
「サード・ルナはそもそも自然発生した天体ではなく、それひとつが大きな記憶媒体だったんだ」
あんぐりと口を開く。
ラディオーザはそこにポテトを差し込む。
「魔法か?」
「というのが君の見立てだった。旧時代の魔法使いが、いわば人工衛星として我らが惑星軌道上に打ち上げたのだろうと」
「読み終わるのに何日かかる」
「永遠よりは短いんじゃないか?」
ラディオーザは自分用の端末を呼び出して、操作を行う。
「それより、ちょっと君に訊きたいことがあったんだ。まだまだ序章の段階なんだが、どうもこの歴史書は前半と後半で別の存在について語られているようで、これが一体どういう――どうした。ポテトが腐ってたのか?」
「違う」
「じゃあ何だその顔は。虫歯が見つかったときみたいな悲痛さだぞ」
「虫歯になったことはない」
「まあ、俺が予防したからな」
「は? 聞いてないぞ」
「そうだっけ? 恩着せがましく何度も伝えた気がするんだが、勘違いだったかもしれないな」
ますますヨランダの眉間に皺が寄り、
「おいどうした。折角のかわ――」
「お前、つらくはないのか」
「……ああ、読む量の話か? 本当にさっき言った通り、永遠よりは短いから気にするな。どうもこの歴史書はある程度編集がなされているらしくて、多少本来よりは量も圧縮されているしな」
「サード・ルナのサイズでなお圧縮――違う、そっちじゃない。いちいちお前、興味深いことを言うんじゃない」
「これは失礼」
「時間の話だ。私に付き合わせて、お前、もう何年生きている?」
今度はラディオーザが怪訝な顔をした。
「珍しいな、そんなことを言うのは。初めてかもしれない」
「そうか。よっぽど私は薄情な人間なんだろうな――で、どうだ」
「つらくはないのかって?」
「そうだ」
「全然。何がつらいと思うんだ? 時間なんて、ただ流れてるだけだろ。放っときゃいいんだ」
新種の化け物を見るような目。
「何だよ」
「一般的に、人は飽きるらしいぞ。同じことを繰り返していると」
「そんなことを言ったら君だって、毎日同じことを繰り返してるだろ」
「私は……時間のスケールが違う。それに、面白いからやってるんだ」
「俺だって面白いからやってるよ」
「何が」
「君といるのが」
椅子がひっくり返って、コーラがぶちまけられた。
4、7、0。
今度はあらかじめコーラを手に持って、机の下、足の先で椅子を掴まえて、
「は、」
ヨランダは、
「初めて聞いた……気がするんだが」
「そうだっけ? 何度も伝えた気がするんだが、勘違いだったかもしれないな」
「というかお前、そういうことを言うな」
「どうして」
「これから毎日ハラハラする羽目になるだろ! お前が私にどんなことをしたって、時間を巻き戻されたら私は覚えていられないんだぞ!」
ラディオーザは口に手を当てて、
「……盲点だったな」
ヨランダが椅子ごと後ずさる。
「ああ、いや。そうか。そうだな。わかった。悪かった、ヨランダ。別に怯えさせるつもりじゃなかったから――」
「待て」
今度は逆に、前のめり。
手首を掴まれる。
「戻すな」
「……ハラハラするんだろ? というか、どうせ今日の終わりには戻すんだぞ」
「……確かにそうだが、別に私が知ろうが知るまいが事実は厳然としてそこにある。私はこれで現代最高の頭脳、救世主と期待される者のひとりだ。確かに、確かに何というか、気まずくなることも容易に想像が付くし、どうせ巻き戻すというのもわかるが、まあ、しかし、お前の一世一代のその……それをなかったことにするのも何だかプライドが、」
ヨランダがぎょっと目を剥いた。
ラディオーザは、その視線の先を追った。
カレンダー。
さっき書き換えた、『470』の文字。
「ふ、」
噴き上がって、
「増えてるじゃないか! しかも二か……二回も!? おま、し、したのか!? 私に、二回も!! 時間を巻き戻すようなことを!?!?」
「……ああ、そういう反応になるのか。違う。これは君がコーヒーをひっくり返したりコーラをひっくり返したりしていたから、その分のカウントが増えただけだ」
「コーヒー? コーラ? ――私がそんな迂闊な人間に見えるか!?」
「胸に手を当てて考えてみてくれ。特に、俺が傍にいないときを念入りに」
ヨランダは胸に手を当てた。
落ち着いて、
「……まあ、確かに。本当に何かしていたとしたら、わざわざカウントを増やすこともないか」
「ああ、それもそうだな。そうそう」
「お前が途轍もない変態でない限りは」
「そこに関しては信じてもらうしかない。……というか、そうか。そんなの俺も考えたことなかった。大変だな、俺以外の人間は。俺と会うときそんな心配をしなくちゃいけないのか」
「……余計な知恵を与えてしまった気がする」
「いや。必要な知恵だよ。そういう形で人に神経を張らせてるってことがわかってなかった。ヨランダも、今まで悪かったな。明日から――まあ、今日からか。今日からもう少し気を付けるよ」
じとっ、とヨランダはラディオーザを見た。
「……いや。私こそ、変に食ってかかって悪かった。気分を害したなら謝る」
「全然」
「じゃあ謝らない。……私は研究に戻る」
ヨランダが机に向かう。
ラディオーザはラディオーザで、端末を手に『歴史』を読む作業を始める。
どこまで読んだんだったか――思い出せば、後はのんびりと読書の時間だ。
いつものように、時間は流れていく
一時間、二時間――やがて十五時が来て、いつものように腰を上げる。
昼下がりのコーヒーブレイク。
一杯は自分に、もう一杯はヨランダに。
気付くまで、平均一時間。
「――お前、そういえば」
今日は、一秒だった。
「ん?」
「いつも私がコーヒーをひっくり返したくらいで、時間を戻してるのか」
「まあ、一応」
ヨランダがカップを手に取る。
溢さないように気を付けているのだろうか、慎重にそれを口に運ぶ。
「…………過保護」
ひとりごとみたいな声色で、そう呟くから。
返すかどうか少し迷って――けれど結局、ラディオーザは思い付いたことを口にする。
「こういうのは過保護とは言わない」
「じゃあ何だ」
「『愛してる』と言う」
あんぐりと口を開く。
「……初耳だ」
「そうだっけ? 何度も伝えた気がするんだが……」
記憶を探って、
「――いや、初めて言ったかもな」
言えば、ヨランダは。
珍しく、ふ、と顔を綻ばせる。
「なんだそれ」
巻き戻したくないな、とラディオーザは思った。
【巻き戻ってるぅ~!編 完】
【回想予告――月の記憶編】
そして、歴史の頁は捲られる。
でっかい動物園。
ふたりの子どもが、檻の前に立っている。
「……いないな」
「……いないね」
休日の昼間。
行き交う人々は足取り軽く、ふたりの後ろをすり抜けていく。
「……いないな」
「……いないね」
もう一度、同じことを言う。
そわ、と少年がどこかに行こうとする仕草を見せる。
じっ、と少女はテコでも動かないように立っている。
檻の前には案内板が付けられていて、そこにはこんな動物の名前が書かれている。
チーター。
【回想予告――月の記憶編 完】
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