第09話 【辺境送り編】~【花の下にて編】


【辺境送り編】



 おじーちゃんが死んだ。


『だから、死んだって言わないの。亡くなったって言いなさい、亡くなったって』

「どっちでも結果は同じでしょ。ねー、それよりほんとに来れないの? パパがダメでもママだけとか」

『行けたら行ってるって』

「行かないときのじゃん」

『そうじゃなくて。何度も言ってるでしょ。事故で道が全然――』


 ぴー、ぴー。

 耳元でアラーム。


 顔を離して、受話器を怪訝な目で見て、


「今なんか変な音した?」

『あっ、それもう電話切れちゃう』

「えっ、えっ。どうすればいいの?」

『お金――いいや、とにかく地図で場所はわかるでしょ。先に家の中に入って待ってて。あの人すごい偏屈で防犯もちゃんとしてたから、しっかり戸締りすればひとりでも大じょ』


 プツッ。

 ツー、ツー。


 もう一度顔を離して、受話器を怪訝な目で見つめる。


 何も喋らない。


「――もうっ! 意味わかんないこの電話!」


 ちんけな駅のオフィス。

 モナは受話器を置いて、いかにも嫌そうな顔でキャリーバッグを引いている。


「全然知らない街だし……携帯通じないし、後から来るって言ったのに来ないし。大体おじーちゃんだって、『三歳の頃会ったことあるでしょ』とか言われてもそんなの覚えてるわけないし……」


 モナは溜息を吐いて、


「――文句言っても、始まらないかあ」


 歩き出した。


 秋の中頃。

 街路樹が蓄えた葉をもさりと散らす、そんな季節だった。


 地図で見たときは随分ちんけな町だと思ったけれど、実際に歩いてみると何だか妙にでっかく感じる、そんな町。


 風が吹く。

 ぶるり、と首を竦めた。


「……マフラー、着けてくればよかったかも。ていうか、なんか不気味。全然人、いないし」


 葉っぱを踏みながら、地図を手にモナは進んでいく。

 ときどき靴を滑らせそうになりながら、着替えの入ったキャリーバッグを溝に取られそうになりながら。


「……ここ?」


 辿り着いたのは、お化け屋敷みたいなでっかい館だった。


 門の前に立つ。

 恐る恐る、母から渡された鍵を突っ込んでみる。


 ぎぃいいいいい……。


「……開いちゃった」


 門から歩いて行って玄関に入ると、さらにひどかった。


 けほ、けほ、と口を覆ってモナは咳をする。

 ばたん!と後ろで扉が大きな音を立てて閉まるものだから、猫みたいに飛び上がる。


 魔法を灯して、電気のスイッチを探す。

 明かりが点けば、それでようやく館の中が見える。


「……ここに泊まるのぉ~……? ひとりでぇ~……?」



【辺境送り編 完】






【闇の底ではあなたに出会う編】



 じりりりりん!


 大きな音にびっくりして、モナはソファの上で飛び起きた。


 館のオフィス。

 古めかしい、アンティークみたいな電話が鳴っている。


「――はい」

『着いた?』

「あ、ママ」


 すっかり夜になっていたらしい。


『着いたら連絡してって言ったのに』

「ごめん。忘れてた」

『心配かけないの』

「ごめんって」

『そっちは大丈夫? 鍵はちゃんと閉めた?』

「閉めたよ。それよりそっちはどう? そろそろ着きそう?」

『ううん。まだ全然。今はトイレ休憩中』

「そっか……あのさ、ママ。あんまり急がなくていいよ。それで事故っちゃったらしょうがないし。こっちはこっちで、」


 周りを見る。

 とりあえず埃だけはどうにかして、『廃墟そのもの』から『崩れかけ』くらいに整えた部屋。


「……うん。まあ、何とかなるから」

『……ありがと。いつの間にか、しっかりした子になっちゃったね。昔はいっつも「遅刻遅刻~!」なんて大慌てだったのに』

「それいつの話? あ、でもお詫びに何かお菓子とか買ってきて貰えたら嬉しいんだけどな~」

『はいはい。途中で寄れたら、ロックチョコレートね』

「やたっ!」

『ところでモナ。雨漏りは大丈夫?』

「雨漏り?」


 もう一度、周りを見る。

 不思議に思って、


「確かにおんぼ……オホン。いかにも『歴史』を感じさせる家だけど、なんで? そっちは雨降ってるの?」

『え?』

「え?」

『だって、さっきから電話越しに雨の音が――』


 ぶつん。

 電話が切れて、電気も切れた。


「…………」


 ひゃあ、と叫びたくなる気持ちを抑え込めたわけじゃない。

 びっくりして、声も出なかっただけだ。


 モナはしばらく、悪あがきのように電話や電気のスイッチを弄くった。

 無駄だとわかれば、


「……〈どーか神様。あなたが可愛くて健気な子どもが大好きな、優しい方でありますように〉」


 呪文を唱えて、明かりを確保。

 それから、状況確認。


「……私に与えられた選択肢はふたつ。

 ①このまま停電のことなんて知らんぷりしてこの埃臭いソファで朝まで眠る。

 ②このおどろおどろしいオンボロ『歴史』館を探索して、見事電力を復旧してみせる。


 ――答えは普通、①、なんだけど……」


 この短い時間で、すっかり溜息が板について、


「どっかでショートしてたりしたら、寝てる間に火事になっちゃうかもしれないもんね……」


 テーブルの上に置かれた、時代遅れも甚だしい燭台。

 魔法の灯りをそこに移し替えて、モナは冒険の旅を始めた。


 でっかい館だ。


 歩けども歩けども、知らない景色ばかり。

 こんなことなら、もうちょっと日の高いうちに館の中を探検しておくんだった。


 床はぎぃぎぃ軋む。

 窓から差し込む明かりが青っぽくて、かえって怖い。


 ひとつひとつの扉を開けるたびに中からお化けがウワーッ!と飛び出してこないか、気が気じゃない。


 それでもモナは、その場所を見つけた。


「……倉庫」


 物がいっぱいある、暗い部屋だ。

 大きなものから小さなものまで、所狭しと棚の間に並んでいる。


 本当に不思議なことなのだけど。

 モナは、ここに探し物があるような気がしている。


「なんでだろ――うわっ!」


 どんっ!

 ばたばたばたっ!


「いった~……って、うそっ! 壊れてないよねっ!?」


 どこかにぶつかったわけでもないのに、突然モナの近くにあった物が崩れ落ちた。


 さーっ、と顔が青ざめる。


「き、貴重なものが混じってませんように……。少なくともママとパパの言う『整理しなくちゃいけないおじーちゃんの大事な遺産』じゃありませんよーに……」


 恐る恐る、モナはそれを拾い上げていく。

 そもそもこれがこの『おじーちゃんの館』に来た理由なのだから、間違って壊しちゃいました、なんてことはあってはならない。


「……うん。どれも壊れてない。それにしても、なんで急に――うひゃあっ!」


 どんっ!

 がたがたがたっ!


「う、うそ」


 モナは、茫然とそれを見た。


 さっきまで拾い上げていた、倉庫の中の物のひとつ。




 今、自分がびっくりして取り落としてしまったそれが。


 床でガタガタと、ひとりでに震えている。




「何、これ」


 両手で抱えるくらいの、大きな箱だった。

 しかも、それだけじゃない――徐々にその『ガタガタ』は、倉庫全体に広がり始めている。


 モナは、不思議とわかった。


「何か、出てくる――?」


 抑え込もうとした。

 もう多分、それじゃ遅かった。


「こ、これ――」


 がたがたがたがた!


 箱は激しく震える。

 モナの手じゃ、とても抑え切れない。


「この――うわあっ!!」


 そして、封印は破られて。


 モナは、昔のことを思い出している。



 確かに一度、この場所に来たことがあったんだ。


 昔々、きっと自分が今まで知っていた一番古い記憶より昔。

 そうだ、この部屋でのことだった。


 不愛想なおじーちゃんが何となく怖くて。

 ママとパパから離れて、この館の探検に出て。


 見つけたのも、同じ箱だった。

 ガタガタ震えていたのも、同じだった。


 逃げようとしたのに、扉は開かなかった。

 泣いたのに、どこにも声が届かないような気がした。


 それで、そうだ。

 あのときも、こんな風に。


 こんな風に――――


「お、ばけ、」


 真っ黒なお化けが、箱から飛び出してきて、


 


「――――ワン!!」




 夢だと思ってた。


 一番古い記憶の話だ。


 全然言葉も未熟で赤ちゃんみたいだった自分が、ママに必死に説明している。


 みたもん。

 みたんだもん、おおきなねこちゃん。


 こーんなにおおきくて、きいろとくろで。


 へえ、そうなの。

 素敵なお友達ね、お名前は訊いた?


 きーた。


「…………チーちゃん?」


 たった今。

 王子様みたいにかっこよくお化けを倒してくれた、黄色と黒の大きな猫ちゃんは。


 ずっと昔からお互いを知ってたみたいな声で――こんな風に、言った。



「ワン」



【闇の底ではあなたに出会う編 完】





【花の下にて編】



「……懐かしい夢」


 でっかい庭の、ちんけなパラソルの下。

 モナは老いた瞼を、ゆっくりと持ち上げた。


 春だった。

 少し涼しく、カップに入れた紅茶はすでに冷めてしまっている。


 だからだろうか。

 秋の日の、あの凍えるような夜の出会いを思い出したのは。


 それとも――


「……遅かったね。遅刻も遅刻。大遅刻」


 春の木が描く、温かい闇の中。

 一匹の獣が、じっとこっちを見つめて立っていた。


 モナは手招きをする。

 獣はしなやかに、光の下へ歩み出た。


「甘いココアは今でも好き?」

「……ワン」

「そうだよね。あれからチーちゃんは、何も変わってないんだから。変わったのは、私だけ」


 モナは優雅に呪文を唱えて、テーブルの上に新たなカップを置く。


「お婆ちゃんになっちゃった。チーちゃんのこと、待ってたら」

「……第六十六魔匣は、どうなった」

「もちろん封印したよ。チーちゃんが六十六番目の呪いを肩代わりして、眠りに就いてくれたから。後はまた封印が壊れないように全て学園に――ふふ、知ってる? 私、二十年前まで学園で校長先生をやってたの。昔はあんなに怒られてばっかりだったのに」


 それからね、と。

 細くなった指に嵌められたリングに触れながら、


「結婚もしたよ。子どももできた――どころか、孫までできちゃった。魔法の勉強もたくさんしたし、あの日一緒にしたみたいなキャッチボールも、何回もした。楽しいことがいっぱいあって、大変なことも結構あって、でも、つらいことはあんまりなかったかも。幸せ者だね、私は」

「…………」

「だから、チーちゃんのことだけが気がかりだった」


 春の日の、よく照った庭だった。

 あの遠い日の、長く短い青春時代――それが今でも、手を伸ばせばそこにあるような、そんな場所。


「チーちゃんは、どうして私たちを助けてくれたの?」

「…………」

「お爺ちゃんの日記も読んだよ。チーちゃんは、『契約』なんてしてなかった。見ず知らずの私たちを助ける『どうしても』の理由なんて、何もなかったんだ」

「…………」

「それなのにどうして――私たちと一緒に、魔匣を封印してくれたの?」


 チーターは。

 冷たい風に揺れるココアを見つめながら。


 真剣に、真剣に、間を置いて、


「――――わから、ない」


 うなだれる頭。

 その向こうで、モナは微笑んでいた。


「チーちゃん。もう少し、傍に来て」


 チーターが動く。

 モナの手が、その頭に乗せられる。


「相変わらず、すごくふわふわ……あのね、チーちゃん。私はずっと、チーちゃんがそうやって言うのをわかってた。だって、ずっと寂しそうだったから。自分がどうしてこんなことをしてるのかわからないって、途方に暮れた顔をしてたって。大人になっていくうちに、わかるようになったから」

「…………」

「だからね。もしかしたらこれまでも、これからも誰もチーちゃんに教えてくれないのかもしれないから、私が教えてあげる」


 頭を撫でる。


「チーちゃんは、誰かを助けるのが好きなんだよ」


 子どもにするような、孫にするような。

 いいこ、いいこ、と教えるような。


 そんな、優しい手つきだった。


「誰も知らないかもしれないけど、私だけは知ってる。自分でも信じられないかもしれないけど、私だけは信じてる。……ねえ、チーちゃん」

「……なんだ」

「願い事、してもいい? あの頃、いつもそうしてくれたみたいに」


 モナは、瞼を閉じれば今でも昨日のことのように思い出せる。


 この館の、あのちんけな自分の部屋で。

 何度も何度も、希望に眠れずにいた夜も、不安に駆られて泣きそうだった夜も、何も言わずに隣にいてくれたこの黄色と黒の大きな猫ちゃんに、取り留めもなく語り掛けていた日々のこと。


 叶えてくれなくてもいいよ。

 ただ、私がそうやって思ってるってことを聞いて、少し頷いてほしいだけ。


 ね、いいでしょ?


「……いい」


 あの頃みたいに、そう言ってくれたから。

 長い時間を経て、とびっきり優しくなった声で、モナは願いを口にする。




「あなたが幸せになりますように」






 その小さな子どもは、そのでっかい館が大好きだった。


 だって、何だか特別な感じがする――古いけど綺麗で、色んなものがあって、自分がいつも住んでいるところと違って、それに何より、素敵な魔法使いだって住んでいるんだから!


 だからもう、昨日の夜から待ちきれなかった。


 呆れるように笑うママとパパの手を引っ張って、早く早くと車を急かし続けて、途中からはケーキなんかを渡されて、これでも食べてなさいって口に封をされたりもした。


 それが、とうとう着いたものだから。

 もう一番乗りに、車を降りて飛び出した。


 玄関の鍵は開いていた。

 いつもなら閉まっているはずだったけれど、幼いその子はその不思議に気付かなかった。


 何度か来ただけの廊下だから、本当のことを言うと場所なんて全然わからない。


 迷子になるのが普通で、実際、泣きながらママとパパに助けを求めたって全然おかしくなかった。


 なのに、どうしてだろう。

 その日だけは、何かに誘われたように、あの見とれてしまうような、美しい春の庭に辿り着いて――


「……おばーちゃん?」


 手を引いた。

 幼い子どもは賢かったから、たったそれだけで、それがつい最近覚えた言葉のとおりのことなんだと、そう気付いた。


 けれど、どういう気持ちになればいいのだろう。

 まだそれは、よくわからない。


 だからその子は、もと来た道を戻っていく。

 慌てて自分を追い掛けてきていたパパにばったりと会えば、お小言を言われる前に口を開く。


「おばーちゃん、しんだ」




 でっかい庭の、ちんけなパラソルの下。

 テーブルの上には、飲み干された紅茶とココアのカップがひとつずつ。


 黄色と黒の大きな猫ちゃんの姿は、もうない。



【花の下にて編 完】

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