運命をねじ伏せる者

「娘! 無事か⁉」


 何が起こったのかと呆然とする美鶴の目の前に、青の炎を追うように男が一人現れた。

 明らかに上質と分かる狩衣姿に烏帽子を被った出で立ち。

 僅かに解けている冠下髻かんむりしたのもとどりは見たこともない白金色で、整った面差しをしている。

 そして、美鶴を映す目は紅玉を思わせるほど美しかった。


 あまりの美しさにまた別の意味で呆然としてしまう。

 だが、反応のない美鶴に美しい男は焦りを見せもう一度問うた。


「どうした? 怪我をしたのか?」

「え? あ……いえ、怪我はありません」


 正面に来た男に反射的に答える。

 そう、怪我はない。……怪我すらしていない。


(どうして?)


 自分は今死ぬはずだった。なのに死ぬどころか怪我一つしていないとは……。


「……何故?」

「は?」


 思わず零れてしまった問い。

 だが、避けられぬはずの予知が避けられた。

 覆らないはずの未来が覆った。


「あり得ない……予知が、外れるなんて……」


 美鶴は驚きに見開いた黒の目に男の姿を映したまま呟く。

 彼の美しさに呆けていた頭が徐々に働き出すと、ありえない事実にただただ震えた。


(どうして? 予知は、変えられないのではないの?)


「予知? そなた、何を言って――」


 瞳に映した彼の紅玉の目が困惑に彩られる。


「弧月様!」


 だが、最後まで言葉を発する前に第三者の声が響いた。


「一人で行動なさらないでください! あなたは妖帝なのですよ⁉」

「っ⁉」


 青みがかった黒髪と珍しい金の目を持つ、こちらも上質な狩衣姿の男が叫びながら近付いて来る。

 妖帝。その呼び名に美鶴は更なる驚きを受けた。

 身なりから公卿くぎょうと言えるほどに位の高い公家なのだろうとは思っていたが、まさか帝とは流石に思わないだろう。


「よ、ようて……?」


 驚きすぎて繰り返す言葉さえ途中で切れる。

 そんな美鶴の頭に弧月と呼ばれた男はぽん、と軽く手を乗せた。

 大きな手が頭を包むように乗り、えも言われぬ安心感とむず痒さを覚える。


「声が大きいぞ時雨しぐれ。一応お忍びなのだからな」

「そう思うのなら一人で突っ走らないでください!」


 悲鳴のように叫ぶ時雨と呼ばれた男は、すぐに美鶴の存在に気付いた。


「その娘を助けるために飛び出したのですか?」

「ああ。民を守るのは帝として当然の事だろう?」


 何も特別な事などしていないという風に話す弧月は、美鶴の頭の上に乗せた手をぽんぽんと動かす。


(何、かしら? 何だか、面映い……)


 その手の動きは遊ばれている様にも思えるのに、美鶴はどうしてか照れ臭い気分になった。


「否定はしませんがね。貴方の場合は人を使って民を守る立場なのですよ?」


 お小言の様な時雨の言葉に、弧月は「固いことを言うな」と笑う。


「それより、消火の方はどうなっている? 被害は?」

「見ての通り消火真っ最中ですよ。建物被害は結構なものになるかと。人的被害は抑えられているはずです。……まあ、怪我人くらいはいると思いますが」

「そうか」


 二人の男の会話にはっとする。

 そうだ。今ここは火事の真っ只中のはずだ。

 あまりの驚きのため忘れていたが、この様に落ち着いて会話などしている場合ではないはずだ。

 だが、先程まで感じていた熱気はなくなっている。

 周囲を見回すと先程までうねっていた炎はなりをひそめ、残り火がパチパチと音を立てるのみ。


(いつのまに⁉︎)


 驚く反面、これも妖の力なのかとどこか納得もした。

 どうやって火を抑えているのか分からないが、見つめている残り火も徐々に消えていくのが見える。

 その様子をぼうっと眺めていると不意に視界が揺らいだ。


(あ……予知だ)


 慣れた感覚に今から予知を視るのだと分かる。

 予知は夢見のときもあるが、こうして日中白昼夢の様に視ることも多い。

 視界がぼやけて、頭の中に直接その出来事が流れ始める。


(これは……川?)


 小雨が降る中、河原で何かを探している自分がいた。

 おそらくまた父あたりに無理を言いつけられたのだろう。

 そうでなければ進んで外に出ることなど無いのだから。


 砂利の中を歩きづらそうに探し物をしていた自分は大きな音に顔を上げる。

 だが、そのときには上流から襲いかかってくる濁流がすぐ目の前にあり……逃れる術はなく、流され、溺れ……死んだ。


「うっ!」

「ん? どうした?」


 自分の死の予知に眩暈がする。

 今日の予知を視たときには大して拒否感は覚えなかったが、つい先ほど生きたいと願ってしまったこともあり拒否反応がすさまじい。


(ああ……でも、やはり死の運命からは逃れられないという事かしら)


 予知したことは七日以内に必ず起こる。

 どういうわけか今回は変わってしまったが、次に見た予知も自らの死ならば自分はやはり死ぬ運命なのだろう。


「どうしたのだ? やはりどこか怪我を? それとも煙を吸ってしまったか?」


 明らかに具合が悪そうな美鶴の背中を弧月は心配そうに撫でる。

 背に伝わってくる温かさに、美鶴は平静を取り戻した。


(帝であらせられるのに、私のような平民にも優しくしてくださるのね……)


「ありがとう、ございます。ですがもうお捨て下さいませ。生きる価値のない命でございます」

「何?」


 助けてもらっても、またすぐに死んでしまうのだ。これ以上妖帝の手を煩わせるわけにはいかない。

 だが、美鶴の言葉に弧月は気色ばんだ。


「俺が助けた命に価値がないと申すのか?」


 怒りの滲んだ声に血の気が引く。

 妖帝を怒らせてしまった。

 その事実に恐怖を覚え、反射的に美鶴は地に伏し額を地面にこすりつけた。


「も、申し訳ございません! そのような意味ではなく……」


 言い訳をしようとするが、異能のことを口にするのは躊躇われる。

 今までずっと気味が悪いと嫌悪の眼差しを向けられた。

 弧月の美しい紅玉の瞳に、怒りならともかくそのような感情を映して自分を見られたくない。


「……そういえば、先ほども気になることを言っていたな? 確か、予知と」

「っ⁉」


 そういえば、有り得ない事態に気が動転していてすでに口走っていたのだった。


「それに身なりにしては言葉遣いも丁寧ですね?」

「あ、それは……父が厳しくて」


 時雨の言葉には素直に答える。

 美鶴の父は請われて故妖国に来た他国の商人だ。

 家も大きなものを与えられ、他の平民とは違うという矜持がある。

 そのためか家の中でも言葉遣いや身のこなしは徹底していた。

 それはないがしろにしている美鶴に対してもだったため、自然とこのような口調になったのだ。

 ついでに言うとあまり外に出ない美鶴は他の平民と接する機会も少なく、乱雑な口調の方が馴染みがなかった。


「……ふむ」

「これは、複雑な事情がありそうですね」


 言葉遣いに関して話しただけでも何かを察したらしい男二人にじろじろ見られて居心地が悪い。

 だというのに、もっと詳しい話が聞きたいからと弧月が乗って来た牛車に連れて来られてしまった。

 牛車の中に入るなど分不相応だし、ただでさえ今の自分はいつも以上に汚れている。とても居心地が悪かった。


「……さて、全て話すんだ」


 だが、美鶴の心情など気にも留めず弧月は話すよう促す。

 心を見透かすように真っ直ぐ見つめられ、美鶴は軽く息を吐き諦めた。


(例え嫌悪の目で見られたとしても、この方とはもう関わることはないのだし)


 何より自分は七日以内に死ぬのだ。細かいことを気にしても仕方ないだろう。

 と、ほぼ投げやりな気持ちで全てを話した。

 異能のこと、家での扱い、今日死ぬはずだったこと、何故か助かったが死の運命からは逃れられそうにないこと。本当に全てを。


「珍しいな、異能者とは」


 全てを話した後の弧月の感想はそんな一言だった。

 表情には軽い驚きが現れているだけで、嫌悪などはなかったことに美鶴はほっとする。


「それにしても、弧月様は運命すらもねじ伏せるほどの妖力を持つと言われておりましたが……まさか本当にねじ伏せるとは」


 冗談交じりの時雨の言葉に、弧月は「ふむ」と何か考えるそぶりを見せる。


「予知か……それならば俺の役にも立つ。娘、美鶴と言ったな?」

「は、はい」


 改めて呼ばれ居住まいを正した美鶴に、弧月はその紅玉の目に強い意思を宿らせ告げた。


「その力、俺の妻として俺のために使え」

「は、はい!……え? 妻?」


 思わずよく考えもせず返事をしてしまったが、今この妖帝は何と言っただろうか?


(妻とおっしゃった? え? 聞き間違い?)


「そなたはここで死ぬはずだったのだろう? ならば今までのそなたは死んだことにして、これからは俺の妻として生きるがよい」


 続いた言葉に聞き間違いではなかったことを知り、ぽかんと間抜けな表情を晒してしまう。

 そんな美鶴に、弧月は目力を緩め微笑んだ。


「運命をねじ伏せる俺の元にいれば、その死の運命からも逃れられよう?」


 慈しみが込められた優し気な眼差しにはっとする。

 このお方は自分を守ろうとしてくれているのだ。


 予知の力が役に立つからというのもあるのだろう。

 だが、多くいる平民の一人でしかない自分を救おうとしてくれる思いを感じ取り、感銘を受けた。

 平民を取るに足らないものと切って捨てる貴族も多いと聞くのに、このお方はそんな人間すらも救おうとしてくれている。


(このお方の力になりたい)


「……はい。私の力がお役に立つのであれば、主上に仕えたいと存じます」


 殊更丁寧に頭を下げた美鶴は、その胸に希望という名の灯を宿したのだった。

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