第23話 決行

 地上と天界、およびドルンドルン邸を始めとした、各種空間の時間の感覚は等しい。また、生活習慣としても、神々は朝昼晩を基準として、休憩や各種業務に当たっている。


 その中で、俺が知る限り、パンドラだけは様子が異なる。今の所、リプリエが時の流れを止めていることもあり、常に午後の心地よい環境が流れていた。


 しかし、それも今頃は夕方のそれになっているだろう。俺たちが人間を連れて行くに際し、なるべく人間の生活リズムを崩したくなかったからだ。


 そしてそれは方便に過ぎない。俺の決意がその裏にある。


「メル、そろそろ始めようか」


 夕日が空を焦がしながら落ちていく。宮中では、神々が自宅への空間を通過している頃合いだろう。


「ああ、緊張する。こんなのは久しぶりじゃ」


「メルはいつも通りで良いさ。何かあっても、被害が飛んでくるのは俺の方だろう」


「アタシもお主が言う人間の可能性に興味が出て来たのじゃ、そんな事はさせぬのじゃ」


 昨日一昨日と、俺たちは時間帯を変え、宮中内を歩いてみた。


 俺たちが感じていた、得体の知れない危険さというのは、どうやら下級神エリアを見回る上級神たちの気配であることが分かった。やはり下級といえど神は神、中には相当な手練れもおり、それらが変な企みを謀らぬようにという意図があるようだ。


 神々というのは、力を持つ他者が発する威圧に影響を受けやすい。普段はほがらかな上級神も、義務として周辺を警邏けいらする場合、その感覚を鋭くして放っている。


 だが、上級神である彼らはいつもその通りに動く訳ではない。適当なのだ、想像以上に。それを厳しく管理する者もおらず、やはりどこか緩い。


 空気の動きに敏感なメルにとって、上級神の出す威圧の波動を察するのはたやすい。


 ただ、先のゲイドリヒのように、特にそういう警戒心を放っていない者に対しては、その察知が遅れるという。しかしそれは飽くまでレアケース、よほどの不運が重ならない限り、そのようなことはないだろう。


 さて、地上に降りて数時間、予め、周囲に他の神々の影がないことは確認している。


 俺は前もって見繕っていた人間に近づくと、そっと手をかざしてその者を眠らせた。神々、特にその管理者であれば、対象物に対して強力な効果を及ぼすことが出来る。彼らは、見た限りは同個体のようにしか見えないが、その中でも毛並みや顔付きなど、良質な個体を選んだつもりだ。


 俺は今後のパンドラへの決意を込めて、その者にイブと名付けた。身長は1.2メートル、毛深くて、手足の比率が大きい。やはり俺が考える人間とは大きく異なるが、俺が取れる手段はこれしかない。


 俺はイブをそっと背中に担ぎ上げた。当然ながら、雌というか女性を選んだから、柔らかいものが背中に当たる。


 同時に陽が沈み切ったのを確認した。周囲は薄闇に包まれ、彼方の残光が俺たちの横顔を照らしている。


「行こう、異常はないな?」


 メルの先導の元、俺たちは木々の間隙を抜けて山の頂上まで移動した。そこからはメルが先に移動し、その後、俺とイブが移動する。イブには既に不可視の術を掛けている。イブを背中に背負っている為、若干俺が前屈みであるという点を除けば、特に異常はないはずだ。


 もし、エレベータ付近に誰かがいれば、天上からメルが俺にサインを送る。これは単純なもので、鏡のように研磨された石を、ただ俺のいる箇所に向かって光を当てるだけだ。その後、俺は僅かに待機、天井へ向かう前にメルの方でその者を誘導する。


 天上へ戻った後は、ここでもやはりメルに先を行ってもらい、俺はイブを背負ったまま、なるべく誰にも気が付かれないように道を進む。


 計画は以上だ。そこまで難しいことはないが、一度の失敗が命取りになる。グラサンの能力は確かなものだが、しかしそれを全て理解している訳ではない。


 そのような緊張を交えて、俺たちは道を進んだ。一歩、二歩、正に手に汗を握る展開だ。


 とはいえ、まあ、道中は問題はなかった。しっかり下調べをしていたからかも知れないし、運が良かっただけかも知れない。いずれにせよ、俺たちは無事にドルンドルン邸へ向かう地下の一室へ辿り着くことに成功したのだ。


「ありがとう、メル。これは俺たちにとっては小さな一歩だが、人類にとっては非常に大きな一歩だ」


 俺はどこかで聞いた感動的なセリフをいた。メルも同様に感動している。


「ふふん、アタシは品行方正で通っているが、たまにはこういうのも悪くないものじゃな」


 メルに何か言葉を返そうと思いながら、俺たちはそのままパンドラへの門を潜った。


「わあ、真っ暗ではないか」


 メルの言葉通り、辺りは一面の薄闇に包まれていた。背後の時空の門だけが、青白い不思議な光を放っている。俺は背中のイブを優しくその場に下ろすと、メルに続いて周囲を見渡した。


「メル、この世界が上手く発展したならば、夜であっても明るく輝く世界になるんだ。想像出来るか?」


「そんなことがあるものか。また人間たちに火を与えるとしても、それをどれだけ燃やせばいいのじゃ」


「大丈夫、人間たちは乗り越えるさ。……乗り越えてもらわなければならない」


 傍から見ると非常に格好いいセリフだが、もちろん別の意味もある。当然ながら人間たちには電気を発明して貰わなければならない。そう、その先にあるネオン街が、世界を怪しく照らすその日まで。


 すると、俺たちの声に導かれてリプリエが姿を現した。暗闇の中で見ると、リプリエの動く軌道が微妙に輝いて見える。


「おめでとう、遂にやり遂げたのね」


「ありがとう、重ねて確認するが、この世界での出来事は、宮中には漏れないんだよな」


「ええ、そうよ」


「安心した。まあ、地上から人間が一人居なくなった程度で、騒がれることはないだろうが」


 そこで、メルが疑問を投げかける。


「これから人間が進化していくのを待つのじゃな。しかし、そっちの方は大丈夫かの、お主は考えがあると言っておったが」


「ああ、ここからはこの世界の始まりを為すものだ。我儘わがままを言うようだが、俺がこの手で始めたいんだ。メルには申し訳ないが、今日の所はお開きにして、また明日以降、地上で落ち合おう」


 メルは何事か言いたそうな表情だったが、これも予め話し合っていたことだった。


 メルが去った後、場は俺とリプリエ、そしてイブだけになった。イブは大人しくその場に座り込んで様子を見ている。

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