第4話 桃花、豪勢なデザートの山にうっとりする

 話は、龍生と桃花が、離れに着いた頃までさかのぼる。


 家に招き入れられた桃花は、秋月家の女中頭(家政婦全てを取りまとめる役割を担った人)である宝神福ほうじんふくから、過剰かじょうとも思えるもてなしを受けていた。


 テーブルの上には、ケーキやスコーン、クッキーなどが数種類と、美しくカッティングされた高級そうな果物の山、高級ブランドのチョコレート、サンドウィッチ、etcエトセトラ……と、とうてい一人では食べ切れないほどのお菓子や軽食などが、所狭ところせましと並んでいる。


 さながら、桃花一人のために用意された、デザートビュッフェと言ったところか。

 突然もたらされた至福しふくの時間に、桃花は瞳を輝かさずにはいられなかった。


 本当に、どれもこれも美味おいしそうで、目移りしてしまう。


 その上、女中頭の宝神が、桃花の目の前でティーポットからそそいでくれた紅茶は、彼女が家で愛飲している、某有名メーカーの(一袋数十円の)ティーバックの紅茶とは、全く別の代物しろものだった。


 瑞々みずみずしい果実や、春先に、風に乗って運ばれて来る小さな花を連想させる、鼻腔びこうをくすぐる芳香ほうこう。シナモンやジンジャーなどの香辛料も、ブレンドされているのだろうか? 微かだが、スパイシーさも感じさせる、奥深い印象の紅茶だ。


 特に砂糖などを入れなくても、ほんのりと甘さを感じる。

 桃花はいつも、角砂糖なら、最低でも二つは入れるのだが、この紅茶は、入れなくてもゴクゴク飲めてしまいそうだった。


「――美味しい! とっても美味しいです! わたし、こんなに美味しい紅茶、初めて飲みました!」


 素直に感想を伝えると、宝神は片手でほほを押さえ、嬉しそうににっこりと笑った。


「まあ、それはよろしゅうございました。そこまでおめいただけますと、こちらとしましても、給仕のし甲斐がいがあると言うものです。……ささ、お紅茶だけでなく、お菓子もどうぞ、ご遠慮なくお召し上がりください。坊ちゃまはお小さい頃から、あまり、甘いものはお好きではないらしくて。普段は、お作りする機会がございませんでしてね。わたくし、それがもう寂しくって……」


 しょんぼりする宝神に、龍生は一瞬、困ったように眉尻まゆじりを下げた。

 だが、すぐに気を取り直し、宝神の機嫌を取り始める。


「だから今日は、友人を家に招くから、菓子などを作っておいてくれと、事前に連絡を入れただろう? いつもと違って、作り甲斐があったと思うんだが。……まあ、さすがに、これほどたくさん作っているとは、夢にも思っていなかったけれどね……」


 目の前にずらりと並べられた菓子にちらりと視線を投げ、龍生は小さくため息をついた。

 宝神は、目をまん丸くして龍生を見やった後、


「まあ。だって坊ちゃま。坊ちゃまが女性のお友達を連れていらっしゃるなんて、初めてのことですもの。張り切らせていただくに決まってるじゃございませんか!」


 当たり前のことをしただけだ、とでも言いたげに、宝神は胸を張る。

 見た目の印象からすると、七十歳は超えていそうな、小柄で柔和にゅうわな老婦人だが、き活きとしていて、『まだまだ若い者には負けませんよ、私は』と、体で主張していた。


「張り切るのは別に構わないけれど、限度がね……」


 そう言って、龍生はまた、テーブルの上の菓子類を見つめる。

 宝神はむうっとして、


「わかりましたよ。それでは、クッキーとお紅茶だけ残して、後はお下げいたします。お下げしたものは、おうちへの手土産として、お持ち帰りいただきましょう。伊吹様のお帰りまでに、そのようにご用意しておきますので。どうかご心配なく!」


 などと言い捨てると、見る見るうちに、テーブルの上の菓子をワゴンに移し変え、『大変失礼致しました!』と、部屋を出て行ってしまった。



 宝神が出て行ってしまった後、ソファに深く寄り掛かり、またひとつ、今度は大きなため息をつくと、龍生は眉根を寄せたまま目をつむった。


「あの程度でねられてもね。……まったく。七十半ばにもなろうと言うのに、いつまでも、気持ちだけは少女のようで……。あの人にも困ったものだよ」


 愚痴ぐちる龍生に、桃花は思わず、クスッと笑ってしまった。


 こんなにあけすけな龍生を目にするのは、初めてのことだった。

 外では常に被っている〝完璧な仮面〟も、宝神の前では、自然と外れてしまうらしい。


「……何だい? 僕は何か、君に笑われるようなことをしてしまったのかな?」


 ソファから、体を少し前に起こし、龍生はいつもの〝王子様スマイル〟で訊ねる。

 桃花は、『ああ……。また仮面被っちゃった』と少しガッカリしたが、あわてて、ごまかすように笑った。


「いいえ、何も。……でも、宝神さんって、とっても可愛らしい人ですね。背は、わたしとあまり変わらないくらいなのに、一度にたくさんのお菓子やフルーツを持ち上げたりして、すごく力持ちだったりもして。動作もキビキビとしていて、ほがらかで、優しくて……。そして何より、秋月くんのこと、心底大切に思ってるんだなってことが、言葉や表情の端々はしばしから伝わって来て。本当に素敵なおばあさんだなぁって思っ――……。あっ、すみません! わたし、おばあさんだなんて……」


 ちぢこまる桃花を見つめ、龍生はクスクスと笑い、嬉しそうだった。

 身内を褒められ、素直に嬉しさを顔に出す龍生も、桃花は初めて知った。



(秋月くんも、宝神さんのこと、すごく大切なんだろうな。だから、宝神さんについてのことだったら、素直に反応しちゃうんだ)



 そんな龍生を発見出来たことが、桃花は嬉しくて堪らなかった。

 やはり、楠木くんが好きになった男の子は、悪い人ではなかったのだと。ただの〝仮面王子〟ではなかったのだと、強く確信出来たのだから――。

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