『サメに追われる話』

メルバニアン

『ただサメに追われる話』

 家にサメが出た。


 初めに目撃したのは、今年の春に中学3年生になる予定の妹だった。

 俺は茶の間でグリッパー片手ににぎにぎしながら、もう片方の手で携帯を弄り、まったりとテレビを聞き流していた時のことだった。


 「お兄ちゃんお兄ちゃんお兄ちゃん!!」


 落ち着きがないのはいつものことだが、今日はそれに輪をかけて騒々しかった。

 それから、襖を荒々しく開けたあたりでちょっとヘンだなと思った。

 扉の開け閉めは自分にも他人にも厳しい奴がどうしたのだろう。

 なんだよ、お前の嫌いな虫でも出たのか。


「違う、サメが出た!!」


 あんた馬鹿ぁ?

 振り返り、セリフを口にする前に妹の背後からぬうっと影が忍び寄る。

 サメだ。

 ごしごし両目を擦るが何度見てもいる。

 サメが。


「つか、浮いてるぅぅぅ!?」

「だってサメだもん」


 どんな理屈だ。

 突っ込みたかったがそれどころではない。

 赤く裂けた口角が今にも妹に噛みつきそうだったので、俺は咄嗟に持っていたグリッパーを奴の鼻頭にぶち当てた。

 万年補欠でもポジションはピッチャーだ。

 サメが悶絶している隙に妹の手を引き襖を閉め、台所につながる扉から脱出する。

 逆上したサメが暴れ出したからだ。


 「兄貴と父さんは!?」

 「けい兄は部屋、お父さんはお風呂!!」

 「風呂はまずいだろっ!!」


 ひとまず親父の回収を急ぐ。

 素っ裸で襲われる身内なんて想像するのも嫌だ。


 「父さんサメが出た!!デカい!!」

 「しかも浮いてる!!」

 「馬っ鹿でねの」


 丁度風呂場から出てきた所で至極冷静に言われる。

 気持ちはわかるけどそんな言い方ないだろ、って俺も人のこと言えないか。

 すまん、妹よ。


 ちなみに親父が特別毒舌なのではなく、単純に方言だ。

 この辺の人間にとっては暴言にもならない。

 父親はいつもの草臥れたジャージ姿でホカホカしていた。


 「ほんとだしっ」

 「オレ、ビール飲みてぇんだけど……」

 「あ・と・で!!てか、お父さんはそろそろビール控えて」

 「へーへー」


 親父が余裕かましていられたのは、ここまでだった。

 我が家は田舎の平家なので、広いし部屋数も廊下も多い。

 そして、古い家の特徴はどの部屋もどこらしらに繋がっているということだ。


 ドタドタと廊下を駆ける音と、俺たちを探す兄貴の焦った声が聞こえてくる。

 同時にズゴゴゴゴゴゴと、地鳴りのような激しい縦揺れも。


 「サメだ、サメが、サメサメサメサメサメメメメメメメ!!!???」


 可哀想なことに、兄妹の中じゃ1番頭の出来がいいはずの兄貴が、完全に錯乱し語彙を消失していた。

 本日2度目の、気持ちはわからなくもない。

 だって俺たちが見た時の3倍以上デカくなってるサメに、壁をズダズダに破壊されながら追いかけ回されたんじゃ正気もなくなるだろう。


 「逃げろ!!裏に回れ!!」

 「もうやだーーっ、お母さーーーん!!」


 とうとう泣き出した妹の手を無理矢理引き、サメの攻撃を避けながら逃げ惑う。

 不安定な足場を、ぶつかったり転んだりめちゃくちゃに走りながらようやく勝手口までたどり着く。

 田舎じゃ玄関とは別にもう一つ、家人専用の玄関みたいなものがあるのだ。


 「先に行けっ」


 ようやくインテリジェンスを取り戻した兄貴が先導し、俺は妹と一緒に外へ出る。

 砂利を敷いただけの庭はただっぴろく、倒壊の恐れはない。

 この時ばかりは田舎に住んでいてよかったと思った。


 もう3月なのに外は雪がちらついていた。

 妹はまだ「おかあさん、おかあさん」と泣いている。

 バクバクとうるさい鼓動を抑え付け、繋いでいた手をしっかりと強く握る。


 「この野郎っ!!」


 親父は、俺が勝手口に置いてたバットでサメを殴りつける。

 丁度グリッパーで当てたとろに追撃出来たようで、かなり効いたようだ。


 今後一生聞くことはないだろうサメの断末魔は、1分半以上続いた。


 親父と兄貴はその隙に扉を閉め脱出した。

 勝手口の扉なんてぶち壊してくるかと思われた。

 サメは、何度か扉に体当たりしていたが、諦めたのかやがて家の奥へ去っていった。


 ズシン。ズシン。

 ズズズズズ、ズz……

 引きずるような音も、破壊そのもののような縦揺れも次第に消えた。


 親父も兄貴も肩で息を吸い、俺は脱力し座り込む。

 妹は変わらず泣いていた。

 我が家は沈黙していた。

 窮地は、脱したようである。


 しばらく皆んな「あれはなんだったんだろう」と呆然としていたが、初めに動いたのは妹だった。

 ずっと泣いていた妹は俺の手を離し、鼻をグズグスいわせながら親父のジャージの裾を引く。


 「お父さん、お母さんは?」

 「……かあちゃん?」


 親父は初めて聞く言葉のように、妹の言葉をオウム返しした。

 俺も、おそらく兄貴も、同じ顔をしていたと思う。


 「お母さん、まだなかにいるよ」


 スッと頭の血が下がる。

 お袋?

 お袋がなかに?

 いいや、そんなはずはない。


 「何いってんだよ、母さんは仕事だろ」


 震える声で妹を否定する。

 あの日、家にいたのは俺たち兄妹とたまたま休みだった親父だけだったのだから。


 まてよ――あの日ってなんだ?


 「ねぇ、お母さんは?」


 泣く変わりに「お母さんは?」と繰り返す妹。

 急速に視界が白み始め色が失われていく。

 親父と兄貴が景色に溶け込み形を失っていく。


 妹の声が遠く響く。

 おかあさんは?

 おかあさんは無事なの――?



 ねぇ、お母さん――――……。







 「ねぇーーー!!おかーさん!!ねぇーー、洗濯物畳み終わったよー。あと、何すんのー?」

 「ありがとー、お昼だからお兄ちゃん起こしてきてー!」


 はーい。

 妹とお袋の大声に起こされ目を覚ますと、真新しい天井が見えた。

 そうだ、そうだった。


 「お兄ぃお昼だよ〜、て。なんだ起きてるじゃん」


 おぼっこかった妹は髪に気を使い、化粧を覚え、大なり小なり苦労しつつ職場でバリバリ働いている。

 当然だ、あれから10年以上経ったのだ。

 お袋は仕事先で避難していて、翌日、親父が迎えに行って帰ってこれた。

 半壊した家は、義姉さんが懐妊したことをきっかけにリフォームした。



 アイボリー色の壁紙、ワックスのきいたキャラメル色のフローリング。

 前の家は畳で置けなかった念願のファミリーソファ。

 そして俺は今、それに寝っ転がっていた。

 年末くらい帰って来いと口うるさい妹に免じて、年末年始を実家で過ごしていたのだった。

 スライド式ドアにもたれかかった妹が不思議そうに聞く。


 「ひどい顔。どしたの?」

 「なんか、夢見た」

 「へぇ、どんな夢?」


 「……ただサメに追われる夢」

 「ふ、なぁにそれ。B級ホラーじゃん」


 つまんなそー。

 妹はそういって、去っていった。


 そうだな。

 その通りだ。

 つまんない話になって、本当に良かった。





  -『ただサメに追われる話』終-





――――――――

ここまでお読みいただきありがとうございます。

一言でも感想をいただけると飛び上がるほど喜びます。

また、過去作品に☆やレビューコメントなどありがとうございました。

これからも精進していきます。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

『サメに追われる話』 メルバニアン @mel82an

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ