第7話 幸せな夢を見る


時計を見ると朝の9時を指している。部屋に光が差し込み電気をつけなくても明るい。

私は起き上がり隣に眠る男性を確認する。夢の中で見ていた男性が今隣にいる。試しに頬を軽くつねるが痛い。夢の中でも痛みは感じるのであまり参考にはならない。ただ彼が目の前にいるという事は今は夢を見ているのだろうと思う。

彼を見るといつもはもやがかかっていた顔が今ではしっかり見えている。目を瞑ってすやすや眠っていると、そのまつ毛が長いのがよくわかった。私は彼の顔にかかった髪をそっと払ってあげた。

お互いに何も身に付けず眠っていた、つまり彼と一晩を過ごした事になる。思い出してお腹の奥がきゅうと心臓と一緒に締め付けられた。


キスをしても夢から覚めなかったのは初めてだった。今まで散々殺され続けて来て参っていた私は、こんな事もあるんだなとあまり深く気にしなかった。夢の中で寝ていたのも変だったが、今となってはもうどうでもよかった。


隣で眠る彼を起こさないようにそっとベッドから出ようとする。しかし、がっしりと腰に腕を回されそれは叶わなかった。いつの間に起きたのか夢人さんは私の腰に腕を回してどこにも行かないように引き寄せる。お互い何も来ていないので素肌の感覚が伝わって少しだけ恥ずかしくなる。


「もう少し一緒にいてよ。」


背中にちゅっと音を立ててキスをして、甘えたようにいう彼に私は再び同じ布団に戻る。朝の少し冷えた空気の中、温かい布団はとても心地が良かった。


「こんな事初めて。キスしたのに目が覚めないなんて。」


背中に彼の体温とお尻の方に硬くなってる下半身の様子も伝わって来て、考えないようにと適当な話題を振る。彼は私がそわそわしてしまうのを面白がっているのか、足を絡めわざとより密着するようにして私を抱きしめて首筋に唇を落とす。


「夢じゃないのかも。」

「それは、ーーありえな、い、っ。」


私の反応を楽しむように、背中や頸、首や耳にわざとらしく音を立てながらキスをしていく。こんなに楽しそうな彼はは初めてだった。普段はもっと落ち着いた喋り方や立ち振る舞いをしていたから、もっと大人の男性を想像していたんだけど、顔がはっきり見えるようになってからはそう私と年齢は変わらない気がする。それなら今のこの楽しそうに悪戯をしている彼は年相応だと思える。


ベッドの中から出たのはお昼を過ぎた頃だった。まだ物足りなそうな夢人さんを置いてベッドから降りて下着を身につける。冷蔵庫から水のペットボトルを2本取って戻る。眠そうに上半身だけ起こしてこちらを見ている夢人さんに片方を渡す。


「ありがとう。」


ペットボトルのキャップを開けて水を飲みながら横目で夢人さんを盗み見る。前髪を掻き上げて水を飲む夢人さん。何も身に付けていない上半身は彫刻のように綺麗に引き締まっていた。思わず見惚れてしまうと夢人さんが私の視線に気づき口端をあげて笑う。


「もう一回する?」

「し、しない!!」


もう十分過ぎる程その体は堪能させてもらっていたので、遠慮して落ちていた服を渡して来てもらう。なんだかいつもの夢とは違う夢人さんの様子に調子を狂わせられる。夢から覚めないのだからどうしようか。いつまでも二人でベッドにいるわけにもいかないので、しっかり服を着て話し合う。


「どうして、膝の上に乗せるの……?」

「どうしてって、いつもこうしてたよ?」


当然の様に膝の上に私を乗せて話そうとする夢人さん。いつもは自然に乗っていたけど、顔が見えるからかいまこの体制はとても恥ずかしい事に思う。顔を見ながらだと上手く話せないので、視線は逸らして話す。


「このままだとそのうちまた悠太が来ると思う。いつ目を覚ませるのかわかんないけど、死んで終わるのはもう嫌なの。だから悠太に殺される前に目を覚ましたいと思う。どうしたらいいと思う?」


キス以外の夢から覚める方法を探さないといけなかった。そのうち目を覚ますかもしれないけど、それがいつかも分からない。


「自分で死んでみる……とか?」

「それはオススメしない。僕だって綾乃が死ぬ所見たくないし。そんな事より今を楽しもうよ。」

「ん、もう、真剣に考えてるのに……んン、っ。」


キスをしても目が覚めないのをいい事に、夢人さんは何度も唇を合わせてくる。私もそれを受け入れてしまっている。このままでは流されてまた体を重ねてしまうので、私は夢人さんから離れて立ち上がる。


「外出てみようよ。夢人さんと行ってみたい所いっぱいあるの。」

「えー、僕はこのままでもよかったのに。」


膨れっ面を見せる夢人さんだったけどすぐにいつもの優しい顔に戻って、準備しておいでよ言ってくれた。

夢の中でも汗をかいて気持ちが悪かった。軽くシャワーを浴びて鏡を見ると痩せ細って不健康な女がいた。これが自分だと気づくのに一瞬間が必要だった。夢人さんはよくこんな女を抱けたものだ。少しでも見た目は綺麗にしようと顔色が良く見えるようにメイクをする。


「ふん、ふんふん。」


メイク中気が付けば鼻歌を歌っていた。夢人さんと行きたい所はいっぱいあった。せっかく自由になれる夢があるのだったら出来るだけ楽しみたかった。どうせ夢なのだから自分の事はもう少し美人にできないのかなと思う。夢人さんと出かけるのであれば隣で歩いても遜色ないようになりたかった。


シャワーとメイクを終わらせ、着る服を選ぶために下着姿で部屋に戻る。夢人さんの視線を感じながらもクローゼットから服を取り出し自分に合わせる。


「夢人さんはどっちが好き?」


黒いワンピースと白いワンピースを見せて聞く。


「そっちの黒いワンピースがいいかな。」


黒いワンピースを指さして言う。花柄のレースが入ったロングワンピース。遠目で見ると喪服っぽい感じがしてあまり着た事はなかったんだけど、周りの目を気にしないでいい今なら遠慮なく着用できた。袖を通し背中のファスナーをあげようとしたが手が届かず、髪をあげて夢人さんに背を向ける。


「夢人さん、やってもらって良い?」


夢人さんは笑ってゆっくりとファスナーをあげてくれる。去り際にうなじに唇を落とされてくすぐったかった。まるで恋人同士のような甘い雰囲気に照れてしまう。


「うん、似合ってる。可愛い。」

「ありがとう。」


準備を終わらせて夢人さんを連れて外に出る。マンションの外は夢っぽい所はなく普通に人通りもそこそこあって、現実世界に近かった。ただ隣に歩く夢人さんの存在でここが現実ではない事は分かる。

何度現実で夢人さんと過ごせたらと思ったのだろうか。今日の夢はその私の心を表しているらしく、行き交う人々の中私は夢人さんと隣に並んで歩いている。


「手でも繋ぐ?」


夢人さんは私の手を取り指を絡める。夢の中では何度もこうやって歩いた。

いつ悠太が現れて私たちの事を殺しに来るかも分からない、周りに気を配りながらも街中を歩く。


「なんか今日はいつもと違って、視線を感じる……。」

「どうしてだろうね?」


悠太が夢人さんを認識していたように、すれ違う人々からの視線を感じて歩く。それが勘違いでないのなら、きっと夢人さんを見ているのだろう。私だって歩いていて夢人さんとすれ違ったらきっと目で追ってしまう。


「悠太みたいに皆んなが襲ってくるようになったらどうしよう。」

「はは、それはないと思うよ。でも、その時はーー、一緒に逃げよう?」


ぎゅっと手を握る力が強くなる。想像すると世界の終わりみたいな光景だけど夢の中ならあり得てしまうから、その可能性も考えるべきーー考えると夢になるから、考えない方がいいのかな?


「あまり考えないで今日は楽しもうよ。死ぬ時は一緒に死ぬ。そうしよう?」

「そうだね。」


何気ない会話をしながら歩く。毎回こういう平和な夢なら良いのに。

今日は普通の日を楽しむためにデートに誘った。普通の喫茶店などで食事をして、ショッピングに行く。そういう日常を夢人さんと過ごしてみたかった。


喫茶店に入ると席に案内され、先に奥の席に座らせてもらう。夢人さんも席に付き、物珍しそうに店内を見回していた。


「僕こういう所初めてだ。何が美味しいの?」

「ここは、オムライスが美味しいお店だよ。有名なの。」

「そうなんだ、じゃあ綾乃のおすすめにしようかな?」


私のおすすめはクリームソースのオムライスだったのでそれを2つ頼む事にする。


「ご注文はお決まりでしょうか?」

「ホワイトクリームのオムライスを2つ、飲み物は何にする?」

「じゃあ、コーヒーをお願いしようかな。」

「ドリンクはコーヒー2つでお願いします。」


店員の女の人はメニューを聞いて、夢人さんをチラッと見てからいそいそとカウンターに戻って行った。カウンターの中で他の女性とこっちを見て話している。そういう細かい所までしっかりしているなんて、私の想像力が凄すぎる。


「夢人さん急に顔が見えるようになったからびっくりしたよ。」

「今まで見えなかったの?」

「うん。昨日の夜?っていうのかな今日の夢っていうのかな、初めて見た。想像していたよりーー」

「かっこよかった?」


机に頬杖をついてニマニマと私を見つめている2つの青い瞳。想像していたのはもっと大人の男性だったから、想像していたより若いなって、もちろんかっこいいとも思ってる。


「もっと年上かと思った。いくつなの?」

「それは分からない。僕達年齢とかないから。」

「僕達?」


夢の世界の住人の事を言っているのか、それなら年齢なんてないのも納得できた。私が想像していた夢人さんはもっと年上のイメージだったけど、きっと心の奥底にある理想の男性は同い年くらいだったのだろう。


「おじさんがよかった?」

「どんな夢人さんでも好きになってたよ。」


顔が見えない状態で好きだったんだから、どんなに歳をとっててもきっと好きになっていた。子供だったらまた話は変わってくるけど。少し話していると注文していた物が届いた。聞くとオムライスも初めて食べるらしい。


「私って夢の中で何も食べさせてなかったのかな?」

「はは、虐待だ。」


笑いながら夢人さんはスプーンでオムライスを一口すくって口に運ぶ。食事をしている彼を見るのは初めてだったから思わずその仕草を目で追ってしまう。もぐもぐと口を動かして、唇についたクリームを小さく舌を出して舐める仕草が色っぽくてドキっとした。


「美味しい。綾乃は食べないの?」

「あ、うんーー食べるよ!よかった口にあったなら。」


私もオムライスを口に運ぶ。現実で食べる味と全く同じでこんな夢なら毎日見たいと思った。オムライスを食べ終わり、食後にコーヒーを持って来てもらう。夢人さんは砂糖もクリームも入れずにブラックで飲んでいた。それは想像通りだった。


「早めに出ようか。お店の人たち夢人さんが気になるみたいだから。」


店員の女性だけじゃなくて、周りにいるお客さん達もチラチラ私たちを見て話してて居心地が悪かった。ゆっくりコーヒーを飲ませてあげられないのは申し訳なかったけど、さっさとお会計を済ませてお店を出る。もし次こういう夢を見る時は、夢人さんは目立たないように変装してもらおう。


「僕のせいでゆっくり出来なくてごめん。」

「え!気にしないでよ!私もすぐ買い物行きたかったし!」


一応自分が目立っている自覚はあるみたいで、申し訳なさそうに謝る夢人さん。私は両手を前で振って気にしないでと、実際買い物にも行きたかったしちょうどよかった。こうやって一緒に外で過ごすのもいいけど、夢から覚める事を考えると家でまた過ごす時間も欲しくなってくる。


「少し買い物して家に帰ろう?」

「うん。どこにでも付き合うよ。」


私たちは手を繋いで店を後にして、少し歩いた所にある大型の商業施設へ向かおうとした時だった。


「ーー綾乃、誰と話してるんだよ。」


心臓が止まるかと思った。何度も何度も聞いたその声は、私の背筋を凍らせるだけの恐怖を思い出させた。私は恐る恐る後ろを振り返ると、そこには目を見開いた悠太が立っていた。

ついに来たかと、私は体をこわばらせて夢人さんの手をぎゅっと握る。


「大丈夫だよ。」


私を安心させるために優しく夢人さんが言う。夢の終わりが来てしまった。やっと幸せな夢が見れたと思ったのに、目の前の悠太によってそれが締めくくられると思うと胸が苦しくなった。


「どうして来たの。」

「どうしてってーー、家に行っても綾乃がいないからっ!探したんだよ!」


悠太が私に近寄ろうと一歩踏み出したのを、大きな声で牽制する。まだ終わりたくない。


「もう私達に構うのは止めてよ!せっかく、終わったと思ったのに!」

「何いってんだよ!寝ぼけてんのか!?」

「もう殺されたくない!痛いのは嫌なの!!!」


刺されるのも首を絞められるのも殴られるのも、もううんざりだった。逃げても追って来て、痛いし苦しいし、毎回起きる度にまた次殺される事を考える。毎日毎日毎日辛かった。私が声を上げると悠太は顔を青ざめてこっちを見ている。


「一度、ちゃんと話そう。ここじゃなくて、綾乃の家に戻ってゆっくり話そう?」

「来ないで!」

「後ろに隠れて。綾乃は僕が守るから。」

「一緒に逃げよう、もしかしたら逃げられるかも!」


夢人さんが前に出て私を後ろに隠してくれる。今回の悠太は手に何も持っていないし、現れるのも遅かったもしかしたら逃げ切る事ができるかもしれない。私は夢人さんのシャツを引っ張って訴える。けれど夢人さんは大丈夫だからと、悠太を鋭い目つきで睨みつけて離さない。

そんな私達を悠太が苦しそうな今にも泣き出しそうな目で見つめてくる。それは私を殺す時の目だった。いつも同じ顔をして私を殺すんだ。


「夢人さん、お願い。私と一緒に逃げてよ。もう殺されるの見たくない。」

「僕だってもう殺されたくないよ。でも綾乃が殺されるのを見る方が嫌なんだ。」

「やだ、逃げようよ!一緒に逃げようって言ってたじゃん!」


「綾乃、さっきから一体誰と話してるんだーー?」


「え……?」


悠太を見ると困惑した表情で私を見ていた。

誰とってーー。


「夢人さん、どういうことーー」


私は夢人さんのシャツをーー、握っていたはずなのに店の、のぼり旗を握っていた。周りには人だかりが出来ていて私達に向けてスマホを向けて動画を撮ったり、ヒソヒソと小声で何かを話したり、いつの間にか注目の的になっていた。


「とりあえず、家に帰ろう。な?」

「い、いやーー触らないでーーッ!」


悠太が私の手を掴むと鳥肌が立った。殺される感覚を体が覚えていて拒絶反応を起こす。何が起こっているのか分からなかった。さっきまで夢人さんと一緒にいたのに、消えていてーー、じゃあ今は夢じゃない?でも確かに夢人さんはさっきまで一緒にいて、消えてーー、どこにいったの?今は夢じゃない?でも確かにーー


ぐるぐると考えがまとまらない頭を抱えて私はその場に崩れ落ちた。

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